私たち、学生(学生による被災地支援のための市民メディアプロジェクト支局=天野太陽、内山 武、大朏衣梨・武蔵大学社会学部メディア社会学科3年)は4月17日、宮城県岩沼市役所に取材をしに訪問した。この活動は、同学科の学生たちが所属する「学生による被災地支援のための市民メディアプロジェクト」の活動の一環。今回は、宮城県岩沼市さわやか市政推進課、課長補佐の木村和裕さんに「震災後4年間の自治体広報を振り返って」をテーマに話を伺った。(学生による被災地支援のための市民メディアプロジェクト支局=大朏 衣梨・武蔵大学社会学部3年)

岩沼市さわやか市政推進課、課長補佐の木村和裕さん

岩沼市さわやか市政推進課、課長補佐の木村和裕さん

岩沼市は人口44000人、そのうち避難所に避難した市民は6700人、岩沼市の人口の約15%の割合。電話やネットは全く使えない状況。普及したのは3~4日後。大混乱の中市の職員の方がとった行動は「被災した現場に足を運び、自力で情報を集めること」であった。毎日のように朝から避難所、仮設住宅に向かい、情報を収集し、それで1日が終わることがほとんどであったとのこと。

そして、震災後初の広報誌「広報いわぬま」が2011年3月28日に発行された。通常はA4の24ページから28ページものがA4の8ページの白黒。配布し、また情報収集するために毎日のよう避難所に通い続けた。

復興のために情報共有をしたい、少しでも明るい場を作っていきたいという思いから市役所の前に掲示板を作成し、送られてきた支援メッセージや情報などを掲示した。この掲示板は現在もそのままのものが残っている。みんなが同じ場所に足を運び、情報共有できることが広報のメインだと考えそうだ。

岩沼市コミュニティ局、現在は臨時災害放送局である「FMいわぬま」も震災時は現場に自力で向い、走り書きで現行を作成し、仮設スタジオから放送していた。現在は、市が提供している番組が月曜日から金曜日の昼と夕方に放送されている。

「広報いわぬま」も「FMいわぬま」も自治体広報として市民に情報伝達していく上で非常に役に立ったのが市民の「口コミ」だという。毎回市の職員が避難所に足を運ぶたびにコミュニティの輪が広がり、情報共有をすることができたと。

あの震災時「話をきく、きかれる、話す」ことが簡単にできるかといったらそうではないだろう。そのような中、市の職員の毎日の訪問の積み重ねと力があり、それに応えようとする市民の協力があってこそ成立し、今の「広報いわぬま」、「FMいわぬま」が存在続けているのだと感じさせられた。

震災から4年が経ち、生活が落ち着き、震災当時の話をできるようになってきた人も出てきて、今後記録し続けていくこと、そして震災前よりも発展した街づくりをしていきたいと意気込みをきくことができた。

震災情報を伝え続けてきた「広報いわぬま」と「FMいわぬま」。今は震災のことを取り上げることはあまりないという。今後も岩沼市の情報を伝え続け、市民から愛される自治体広報であってほしいと思った。

◆岩沼市のHP:http://www.city.iwanuma.miyagi.jp/
◆FMいわぬまHP:http://www.fm779.com/

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