お年寄りや子供の避難、ボランティアの受け入れなどをまとめドキュメンタリー映像として収めた。質問は合計で16個用意した。その中でも注目した内容は3つあった。

一つ目は今回のこの避難解除に至るまでの経緯である。震災当初は1000人ほどが第一避難場所に避難した。そのうち2行政区については第二避難所に避難した。その夜は社会福祉協議会の方でも避難の対応をしたとのこと。翌日になると第一原発が危ないという情報が入り、双葉警察署楢葉駐在の駐在からなぜ避難しないのかという問いがかかる。

社会福祉協議会は一帯の情報を得る事ができずにいたため、行動をとれずにいた。災害本部(社会福祉協議会の)は避難を優先させるため、12日の朝に町民をいわきへ避難させる事を決定した。社会福祉協議会自体も平成25年4月に町民支援や避難民支援などを行ったという。避難解除における準備宿泊から避難指示解除までの流れについては、約350世帯、人数にして800名ほどの申し込みがあった。準備宿泊とは1日だけ楢葉の自宅に帰宅する事である。実際に泊まったのは100人程度で、人口の72%ほどはいわき市に避難していた。

二つ目は楢葉町のコミュニティについて。震災後、楢葉町のコミュニティは100%が崩壊した。地域がまとまって避難したわけではないので住民が散り散りになってしまい、楢葉町が元々持っていたコミュニティは崩壊したのである。そして避難先では他の地域の方と住むので同じ楢葉町でも文化や風土が異なってしまうためコミュニティが形成されづらいという問題があった。なので、仮設団地ごとに自治体を設立させた。

その自治体で清掃をしたり、花見をしたり、催しごとを起こっていた。それに対しての資金はある程度街から助成金がでたのだが、社会福祉協議会からも茶菓子が買える程度の助成金を出し積極的に自治体での交流に参加してもらうよう努めた。

三つ目は今後の課題や展望について。今後、財政的な不足と人材の増員が大きな課題としてあると取り上げている。いわき市の方で専門職の募集をかけると応募はくるのだが、楢葉町の方ではからっきしだと言う。社会福祉協議会の運営ができる程度の人材と財政は確保できているがそれらが課題としてあるのは変わらない。

展望としては震災後ようやく被災者が地元に戻る事ができるようになり小さな歩みを進めたがこれはマイナスからの出陣であり険しい現状に変わりはない。だから何年かかっても社会福祉協議会職員の教育と優秀な人材を集めて教育して、行政と一緒の方向に進んで行きたいと語っていた。

今回取材した松本和也さんは楢葉の改革に向けての筋道を細かく思考していた。また、リアルな話を語っていただいて現状をわかりやすく把握できたと共に、今後の楢葉町が変わって行く様を垣間見えた。

[showwhatsnew]
1 2