バスケットボールの最高峰NBAを目指す若き日本人少年がいる。大原亞紋(あもん)さん(16)は去年中学校を卒業すると、日本の高校には通わないという決断をした。アメリカの高校に通い、本場の地でバスケットボールを学び20歳でのNBA入りを実現することが目標だという。「将来は日本のバスケットボール界を引っ張る存在になりたい」と語る。(聞き手・オルタナS副編集長=池田真隆)

大原亜紋さん(写真左)


——日本の高校に進学しないと決断した決め手は何だったのでしょうか。

大原:中学3年生の夏にアメリカで開催されたレーカーズキャンプに参加してきました。そこで、MVPを頂き、高校からはもっとハイレベルな環境でバスケに挑戦して、自分を追いつめていきたいと思ったからです。

——すぐに決断できたのでしょうか。悩んだりはしませんでしたか。

大原:4ヶ月くらいは考えていました。でも、コーチをしてくれている親父の言っていることを信じれば絶対に世界で通用すると信じていました。

——なるほど、父親である大原輝隆コーチとの信頼が大きかったのですね。

大原:小学生の頃は怒られ過ぎて、ぼくのことが嫌いなのかと思っていました(笑)。毎週バスケのことなどで怒られて、家に帰ったら親父に見つからないようにこっそりと部屋に入っていました。

でも、今では50歳を超えても仕事で忙しいのにバスケも熱く教えてくれるので尊敬しています。あの頃に「勉強しろ」といわれていたのに、なんで勉強しなかったのか後悔しています。

——勉強しなかったことを後悔しているのですか。

大原:学校に行かなくなって2ヶ月ほどしてから、急に学校に行きたくなりました。今まで思ったことないのに、勉強したくなって家にある中学3年生用の参考書を読みながら勉強したのですが、苦戦しました(笑)。やっぱり誰かに教えてもらわないとできないですね。

——今年の9月にはアメリカの高校に進学する予定ですが、今の目標を教えてください。

大原:20歳でドラフト指名で「マイアミ・ヒート」か「シカゴブルズ」か「セルティックス」に入団したいです。そして、社会的に影響力のある選手になりたいので、NBA選手が恵まれない子どもたちへの支援を行うNBAケアーズのボランティア活動にも積極的に参加していきたいです。

——最後にこの決断をした意気込みを聞かせてください。

大原:ぼくにとってバスケットボールは大好きだから続けていられます。生まれたときから、バスケしかしてこなかったのでバスケはぼくの人生です。この決断をして、周りの友達は高校に通っているのにぼくは通っていません。同世代から置いていかれていると感じることもあります。でも、この決断をしたからこそ、自分の夢を信じて努力していきたいと思っています。アメリカに行っても絶対に負けたくないです。NBAで活躍して日本のバスケットボール界を引っ張っていきたいです。



大原亞紋(あもん) 1995/9/12  TITANS所属
176cm69kg
父の影響で幼少の頃からバスケットボールを始める。
小学校1年生からTITANSに所属。
9歳から (2005年)NBA Rising stars of America Baron Davis Basketball  Campに毎年参加。(2005~2011)。2007年以降毎年、MVP受賞。
2010年、2011年Lakers basketball camp 参加。2年連続MVP受賞。
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