「父の病気をきっかけに、人の死を身近に感じた。後悔しないよう、積極的に生きていこうと決めた瞬間だった」。そう語るのはグンジ(大阪市福島区)の郡司直緒美(ぐんじ・すおみ)代表(44)だ。同社は船舶用エアコンの製造・販売を主に手掛けているが、2006年には認知症の祖母の事故を機に車いす用の自動安全ブレーキ「G-guard」を開発し、新たな分野で可能性を広げている。昨年6月に社長業を引き継いだ郡司さんに、これまでの経緯や展望を聞いた。(聞き手・オルタナS関西特派員=富永祐生)
――会社の歴史を教えてください。
郡司:1972年に父である郡司勝彦(71)会長が設立した会社です。主に船舶用のエアコンと、魚艙(ぎょそう)を冷やす役割を持つ冷水器を製造・販売しています。
船舶用のエアコンを取り扱うようになったきっかけは、父が書店で偶然見つけた洋雑誌の広告でした。「日本にない商品で勝負したい」と考えていた父は興味を抱き、渡米しました。熱意が伝わったのか、代理店として、その会社の製品を輸入・販売することになりました。現在も関係は継続しており、自社製品を製造する傍ら、代理店としての機能も果たしています。
――G-guardを開発した経緯を教えてください。
郡司:きっかけは祖母が車いすで事故を起こしたことです。認知症を患っていた祖母は車輪のロックをし忘れたまま立ち上がろうとして、転倒し、大腿骨を骨折しました。
事故を目の当たりにした父が同様の事故を防ごうと、開発に着手しました。その結果、車いすから降りる際に自動的にブレーキがかかるシステムを完成させました。これにより、利用者が車輪のロックをし忘れたまま立ち上がろうとしても、車いすが後退しない仕組みをつくることに成功しました。
――会社を継いだ理由は何でしょうか?
郡司:父は若いころから行動力がありましたが、私はそうではなかったのです。幼いころは店へ行っても、店員に目的の商品の場所を聞くことすらできなかったくらいですから。
会社を継ぐつもりも全くなく、大学に入学した当初は音楽の教師を目指していました。しかし、20歳のころ、父が腎臓の大病を患ったのをきっかけに考えが変わりました。
命にかかわる病状だと診断されたときに、父に対するさまざまな後悔の念が頭をよぎりました。それからは可能な限り行動する姿勢が身に付き、積極的な性格へと変わりました。大学卒業後は自社に入社し、経理を担当することになりました。そして、昨年6月、父が70歳になったのを機に社長を退任。会社を継ぐに至りました。
――社長業以外にも取り組んでいることはありますか。
郡司:兵庫県西宮市にある神呪寺(かんのうじ)の休耕田を復活させるプロジェクトに参画しています。海を中心としている自社の事業とは文字通り畑違いで、かかわりがないように思えますが、山が豊かになることで、雨水を通じて海も豊かになることを実感しました。
父と違って、開発には携わっていなかったため、私には機械に対する知識がないのです。そのため、さまざまな活動に参加して視野を広め、新しい見方を提供することが自分の役目だと考えています。
――今後の目標を教えてください。
郡司:魅力のある会社にしていきたいです。G-guardは自社が開発したことで他のメーカーも導入するようになりました。小さな会社でも社会に影響を与えることができます。今後も新たな介護福祉用具の開発に取り組むつもりです。父がこれまでにつくりあげた製品を大切にしながら、固定観念を捨てて新たな取り組みにチャレンジし、社会に貢献していきたいです。