福島県飯舘村は阿武隈山系北部の高原に開けた豊かな自然に恵まれた美しい村です。
しかし、その村に突然悲劇が訪れました。それは放射能という見えない敵によって、美しい村の自然そして住民の生活のすべてが奪われてしまいました。

東京電力福島第一原発の北西30~50キロ圏内に位置する飯舘村は、地震による被害はほとんど無かったものの、原発から飛来した高濃度の放射性物質で村は汚染されて、4月22日、政府は飯舘村全体を計画的避難地域と指定しました。
不運な事態により全村避難を強いられながらも懸命に前を見続ける飯舘村長菅野典雄氏にお話を伺いました。

菅野典雄村長

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Q.菅野村長は被害者であり、村長という立場上、村人を守っていかないといけないと思いますが、苦しい状況の中でどのように自分自身を奮い立たせたのでしょうか?
菅野:私は村長ですから、村は自分の決断によって大きく変わります。だから、自分がしっかりしていないと村人たちに迷惑をかけてしまいます。なので、私心を捨て、村人のためだけを思うことによって自分を奮い立たせています。

Q.村全体が計画的避難区域に指定されたときの心境はどのようなものだったのでしょうか?
菅野:一部避難は免れないと思っていたのですが、全村避難だけは避けたかったです。全村避難と宣告されたときには自分の力不足への怒りや、これからの生活への不安とともに背中に冷や水が流れました。

Q.菅野村長にとって飯舘村とは何でしょうか?
菅野:自分にとっての家族であり、子どもですね。村の子どもはみんなの子どもですし、村人はみんな家族です。

Q.避難した人の様子はどうでしょうか?
菅野:震災前、飯舘村では6000人の村人が、1700軒の家に住んでいました。しかし、今は6000人が避難先でそれぞれ合計2600軒の住宅に暮らしています。よって、家族をばらばらにされて暮らしている人が心配です。慣れない土地でストレスに悩まされていると聞いています。

Q.菅野村長は復興をどのような状態だと定義付けしますか?
菅野:放射能で汚れた土地が除染されて、もう一度住めるようになり、農業が復活し、子どもたちが昔と同じように遊べるようになる状態ですね。もと通りになることが復興です。

Q.復興にあたって今後原発とどのように向き合っていきますか?
菅野:もともと原発とは向き合うつもりはありません。しかし、これほどの被害を及ぼしたのは確かなので、これからの復興計画において福島県では脱原発で取り組むべきだと思います。

Q.今回の原発の報道、対応の仕方で国民の国やマスコミに対する信頼性は落ちています。国のあり方やマスコミの報道の仕方をどう考えますか?
菅野:情報の被害にはたくさん合いました。ただその情報を流せばいいということではない気がします。その情報を流せばどのような影響が出るのか。もう少し考えてから情報公開をしてほしいと思いました。
これからの国のあり方としては、今は復旧・復興作業に夢中になっていますが、大切なことは先を見据えて何事にも取り組んでいくこだと思います。今のことではなくもっと先の日本を見据えてほしいです。

Q.先の日本とはどのようなものですか?
菅野:先の日本とは、大量消費、大量生産で成長してきた日本とは違い、一人一人の国民の生活を重要視した日本を目指してほしいと思います。暮らし方をこの機会に考え直してほしい。今までは足し算の中に豊かさがあると言われてきましたが、これからは引き算の中に豊かさがあることにも気づいてほしい。日本人の持っている分け合う優しさをもう一度思い出して、これからの社会を築いていってほしいです。日本人は本来助け合いができる精神を強く持っています。もうこれ以上、自分さえ良ければいいという世の中を創ってはいけません。

Q.菅野村長にとって東日本大震災とは何ですか?
菅野:私は新しい日本を創っていく転換期だと思っています。

Q.飯舘村で見た希望はどのようなものでしょうか?
菅野:以前、東電の副社長が来たときに、1000人以上の村民が集まりました。そのときかなりの罵声を飛ばす人がいたのですが、ある人が「お前辞めろ。飯舘村の恥だぞ。」と言って止めてくれました。その姿を見たときにこの村は良い村になっているなと確信しました。
あと、やっぱり私たちの村にとっての希望は子どもたちなのです。子どもたちが元気に笑っていられる姿がある限り飯舘村は豊かですし、私たち大人もこの子らのために頑張ろうと思えます。

Q.若者はこれから原発・放射能問題とどのように向き合っていけばいいと思いますか?
菅野:今は脱原発という言葉が飛び交って、世間は脱原発一色になっています。だからこそ、この機会に多様に考えてほしいと思います。固定観念に縛られることなく考えてほしいです。日本人は白か黒かで物事を判断しがちですが、白と黒の間にあるグレーゾーンを認め合える人になってほしいです。今はいろいろな意見があり、自分と合わない意見もたくさんあります。でも、それが当然です。そういうときに今の青年は突っ込まないで引いてしまいがちです。そうなるのではなく、相手の意見を尊重して受け容れて、かつ、自分の意見も伝えられるようになってほしいのです。そうやって人間の器を磨いてほしい。この震災を機に広い心を持って、これからの社会を担っていく存在になることを期待しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

菅野典雄著

『美しい村に放射能が降った〜飯舘村長・決断と覚悟の120日』

(ワニブックス【PLUS】新書刊)
定価798円(税込)
(*この記事は2011年9月20日に掲載されました)
(聞き手 オルタナS特派員 池田真隆)