近年、「コミュニティーデザイン」という言葉が流行りを見せるが、13年前からコミュニティー研究を続けている一人の男がいる。企業やNPO団体向けにコミュニティー支援活動を行うNPO法人CRファクトリーの呉(ご)哲煥(てつあき)代表(39)だ。大学生活で体感した「コミュニティーの温かさ」をつくりあげたいと26歳のときに、独立した。創業しても数年は事業が軌道に乗らず、電気やガスを幾度となく止められた。うまくいかず悩んでいたとき、母親からの、「そのままの哲で良い」という言葉が転機となり突破口を見つけた。

■プロローグ

コミュニティーの存在なくして、私たちの人生は語れない。学校生活、クラブ活動、地域、サークル、会社。これまでコミュニティーに所属し、そこに集う仲間と一緒に何かを行った経験が誰にでもあるはずだ。

私たちの社会は便利になり、1人で何かをすることも易しくなった。けれども、人はたった1人で幸せになることは難しい。

自分の言葉、行ないに誰かが反応し、受けとめてくれる、そんなやりとりの中で、人は幸せを感じるものだからだ。

■誰と、この先生きていこう?

インタビューを受ける呉哲煥さん

「コミュニティーを大切にしたい」という想いが強くなったきっかけは、学生時代に友人の誘いで、ある福祉系のボランティアサークルに参加したことです。

当時はボランティアに関心があった訳ではなく、別に所属していた野球サークルの活動の方が「好きなこと」でした。けれど、いくつか所属していたサークルの内、のめり込んでいったのは、そのボランティアサークルだったのです。上手く伝えられないけれど、仲間との相性がよく、「自分がまるごと受け入れられている」という実感をそのコミュニティで得られていたからだと思います。

サークル仲間と、授業が終わると何となく「このまま帰るのはさみしいよね」とご飯を食べに行ったり、飲みに行ったり、仲間の家に泊まりに行く。

深夜になると、これまでに誰にも話をしたことがないような自分の深い悩みや、人生の迷い、心の揺らぎをポツポツとお互いに語りだす時間が始まる。

「心の深い部分を曝け出すような会話をして、その言葉があたたかく受け止められた時、仲間とのつながりが本物になったような気がしました。活動を通じて、更に絆が強まることで仲間から『大切に受けとめられている』という自己肯定感や自分の存在意義を感じられるようになっていったのです」

「それまでは、何かに絶望していたわけではないけれど、今後何のために生きていくのか、分かりませんでした。自分の人生なのに、積極的に生きたいとあまり思っていなかったのです。それが、大学生活の4年間が経つと『この仲間と共に生きられる社会なら、これからの人生も生きていきたい 』と、とても前向きに思えるようになりました」 

何気ない日々を、1日1日積み重ねたこの経験は、呉の「こんなコミュニティを社会に広めよう」という自分自身の大きな軸へと変化していった。

■大切なものを、より大切に

卒業と同時に呉は就職し、塾の運営に携わるようになる。

「サークル活動の経験から、私たちが幸せに、心豊かに生きていくために『コミュニティ』を広げることが必要だという想いに確信を持っていました。だから『人が集まり、つながる空間づくりをしたい』という切り口で企業に自己PRしていましたね。当時、独立したいという想いは全くなかったので、自分なりに企業分析をして他の人と同じように、一般企業に就職しました」

ところが、数年経ち、企業の中で運営されているコミュニティに、「自分の価値観と合わないところもあるな」と違和感を感じだしてしまう。 会社員として、コミュニティ運営の経験を積んだことは、自分が「何をより大切にしたいのか」を浮き彫りにしていった。

必要なのは「あたたかい」コミュニティなのだ。そこに集う仲間を大切に想いあい、認め合い、支えあう。そう、かつて自分自身が経験したような。

会社という枠組みの中で、自分が想い描くコミュニティを100%作り上げることは難しい。より大切にしたい世界観、コミュニティで得られる個人の幸せを純粋に追求し、社会に提供していきたい。そんな想いが強くなった結果、入社当時は考えもしなかった独立という道を選んだ。入社してから3年後、呉は26歳だった。

■絶望の中でも動ける力

「会社員の頃は内勤で人脈もなく、ほぼ毎日終電で帰宅する日々だったので、具体的に辞めた後のことを考える時間も全くありませんでした。独立後、とりあえず海に飛び込んでから泳ぎ方を考えているような、0からのスタートでしたね。 2〜3年間は本当に陽の目を見ず、電気、ガスが何度も止められるなど、目も当てられないくらい貧乏でしたよ」

毎日のようにカフェにこもって、ノートに事業計画や自分の想いを書き続け、異業種交流会に片っ端から参加しては自分のやりたいことを伝えて回った。ただ、他人に自分の想い、事業アイデアなどを話してみても、全く理解してもらえないことも少なくなかったと言う。

「本当に、すべてが上手くいっていなかったし、辛かった。それでも『自分で決めたことを0から自らの力で作り上げているのだ』という期待感、ワクワク感はそんな悲惨な状況すら凌駕するエネルギーを自分に与えてくれました」

呉自身が、これからの社会に「あたたかいコミュニティが絶対に必要」という想いが揺らいだことは1度もないという。なんといっても自分に最高の幸せをくれたコミュニティで過ごした4年間という日々が体験として自分自身に刻まれているのだ。

心のなかで信じなおしたり、念じなおしたりする信念ではない。どんなことがあってもそこに引き戻され信じ続けられる、圧倒的な原体験に勝る源水などないのかもしれない。

■外の世界を変えるには

そうはいっても現実問題、想いだけで食べていける程社会は甘くない。泣かず飛ばずの苦しい日々は続き、「何を変えたら突破口が見つかるのか」ともがいていた。

転機になったのは、意外にも親とのふとした会話だったという。呉の父親は社会問題を扱うドキュメンタリーの映画監督、母親も映画制作の仕事をするなど、それぞれ自分の道を切り開いており、呉の独立という生き方へも影響を与えている。ある日、突然実家の近くで予定が空いた呉は、母親と2人で食事をしていた。

「何となく話をしたと、ふと物思いに耽ったのか『働き通しで子育てに時間をかけられなかった自分は、いい母親だったかしら』と言い出しました。自分も独立し、辛くても続けられているのは、『自分の道は自分で決めるべき』という生き方を背中で見せてくれた両親のおかげ。そう思っていたので、心から『おふくろでよかったよ』と思っていること、だからこそ今、苦しくても生きていることに思い切りYesと言える、ということを自分なりの言葉で、本心を伝えてみました」

「母親もその時『そのままの哲でいい。自分にとって哲が一番だから』ということを本音で伝えてくれました。その言葉を聞けたことが、自分の内側の転換点ではないかと思っています」

会社は辞めたし、結婚も出来ていない。貧乏で、事業は上手くいかず、突破口が見えない。30歳を目前に、「親の期待に何一つ応えられない自分」でいることを惨めだと思っていたけれど、それらは親にとって何でもないことだった。ただ自分は生きているだけで愛されている。

「それまで自分は学級委員をやる、テストで100点をとるなど『何か魅力がある自分』でいなければ人に認められないと思っていました。おそらくすべての人に対して、同じように『そのままの自分以上に魅力づけした自分にならなければ』と思って接していたと思います」

「どんな自分でもOKだ」そう自分の在り方が変わったことで、人との接し方など「やり方」も変わっていった。

■弾み車の法則

いくつか勉強会などのサークルを立ちあげたり、既にあるコミュニティをサポートするサービスを行ってみたりと奮闘を続けていた呉だが、その後、徐々に講師の仕事が得られるようになっていく。収入を得られる道が開けたことは、精神的な安定にもつながり、現在のNPO法人CRファクトリーの活動にもより時間を割けるようになっていった。

「最初の3年位は、自分では何も進んでいないような気がしていてものすごく辛かった。けれど、続けていたことで少しずつ積み上がっていったものが本当はあったのです。多くの人間関係や、徐々にブラッシュアップしたコンテンツ、認知度、1つ1つの資料もそうですね。そうして積み上げたものが4年、5年、と続けていくうちに事業を押してくれる原動力になっていきました」

こうして、セミナー、ワークショップ、団体への個別コンサルティングサービスなど、現在行っているNPO・市民活動支援サービスが徐々に形作られていった。

独立してから現在まで13年。だからこそ言えるのは「信じることを『続ける』大切さ」だという。

「団体を運営していると、惨めな想いをすることや、『もう、辞めてもいいかな』と思ってしまいたくなる瞬間はいくらでもあります。過去に仲間と『解散したほうがいいのでは』という話になったこともありますよ。ただ、自分が信じている道なら決して諦めず、続けること。時間が経てば、自分も周りも、社会だって変わる。自分もまた成長して視野が広がり、異なる展開が開けていくはずです」

人は自分が本当に、本当に大切にしたいことこそ、細部に心がいき、深く考えてしまうもの。例えどんな状況にあっても、自分がこれだと信じているなら、決して諦めない。信念を試されるような状況を乗り越える力を持っている人こそ、本当のリーダーといえるのではないだろうか。

■リーダーがやらなければならないこと

呉は、コミュニティのリーダーにはやらなければならないことが2つあるという。

1つは、コミュニティに息を吹き込むこと。そしてもう1つは、メンバーと人生の仲間としてつきあうこと。

仲間に対してかける愛情や想いは、誰よりも強い。

「CRファクトリーでは、メンバー同士が大切にしている価値観として『自分たちは家族だ』という想いがあります。極端な言い方ですが、究極、事業すら手段であり、道具。事業を通じて今の仲間たちと出会い、その仲間と今回の自分の人生、一緒に何かをして前向きに生きていきたい、という想いが強いですね」

かつてサークルで経験した仲間たちとの関係性のように、居場所や自分自身が受け入れられているという自己肯定感、そして存在意義実感を持てる個人を増やしたい。NPO法人CRファクトリーはそんな想いを抱え、現在まで活動を続けている。

「規模の拡大を狙うのではなく、少人数ながらも社会に大きな影響を与えられるような工夫を重ねていきたいですね。私がメンバー1人1人に対して気持ちを込められる範囲を考えると、組織を100人、1000人にはしないと思います。そして今いるメンバーとも、より家族になっていきたい。そんな、仲間を大切に想い合える団体やコミュニティが増えれば、日本社会はどんどん良くなっていくと思います」

■エピローグ

現代では、人や地域のつながりが希薄化しているとよく言われる。ソーシャルメディア上でもしかしたら、数百人以上の友人がいるかもしれない。けれども、自分のかけがえのない想いを分かち合える仲間は何人いるだろうか。

あたたかいコミュニティが増え、お互いの心を支え合えるつながりが増えたなら、私たちの人生はもっと「生きていきたい」ものになるはずだ。あなたは人生、「誰と」時間を共にしたいですか。

呉 哲煥:
1974年生まれ。静岡大学卒業後、株式会社サマデイに入社。2001年同社を退社し、2005年NPO法人CRファクトリーを設立、代表理事に就任。「すべての人が居場所と仲間を持って心豊かに生きる社会の実現」をビジョンに、社会貢献性の高い事業経営を展開し、経営者として活躍中。「コミュニティー運営支援ツール「コミュ助」」「コミュニティーマネジメントセミナー」「コミュニティーリーダーズカフェ」「コミュニティーフォーラム」「コミュニティー運営相談会」など、NPO・市民活動・サークルの運営者向けのサービスを多数提供。

*この記事は、パラレルキャリア支援サイト「もんじゅ」から転載しています。