私たち(学生による被災地支援のための市民メディアプロジェクト)は12月19・20日の二日間にかけて京都で開催された「学生版市民メディフェス」に参加した。「市民メディフェス」とは市民メディア全国交流集会のことで、全国各地で活動するメディア活動の担い手が交流する催しである。2003年から続くこのメディフェス、今年は「学生版」で開催された。(学生による被災地支援のための市民メディアプロジェクト支局=内田 夏帆・武蔵大学社会学部2年)

全国から市民メディアにかかわる大学生が集まった

全国から市民メディアにかかわる大学生が集まった

主催の龍谷大学をはじめ全15団体が参加。また、ゲストスピーカーを招き、様々な視点から市民メディアについて語られた。
1日目、「法政大学+SLOWTIMES.NET」は「川内村を訪ねて」という映像を発表した。これは、学生たちが福島県川内村を訪れ取材を行ったものをまとめたものである。学生たちは、川内村の住職や、仮設住宅でさまざまな支援をしている女性、知的障害者の支援を行う「サロンどじょう」、また村長に話を聞いていた。その中でも印象的だったのは、ある中学校の放送部の話だ。顧問の先生が、「私たちは、被災地に最も近い放送部だ。私たちにしかできないことがある」と、当時の様子や心境とともにどのような思いや経緯で放送部が活動したのかを語った。

先生と生徒ともに口をそろえて言った話がある。それは、「クローズアップ現代」で特集されたことがあるが、その、編集のされ方に納得がいかない、といったものであった。あるシーンで先生が涙を流すのだが、編集の流れでは涙を流しながら会談しているように編集されていた。

先生は、「涙を流したのはその瞬間一度きりで、そこを使われた。生徒ともども皆納得がいっていない。メディアに都合よく編集された。私たちは、メディアは味方であると同時に敵でもあるとこのとき悟った」と話した。

この話は我々市民メディアとして情報を発信する身としては実に身につまされる話である。真実を伝えること、考えさせられた。

そのほか、一日目には東海大学文学部広報メディア学科水島研究室からは「街の記憶~閉山から25年夕張の今~」「体験者から聞く戦争の記憶~戦後70年を迎えて~」、大阪芸術大学卒業制作からは「ヘイトスピーチ」、龍谷大学社会学部からは「滋賀不思議発見」「龍大生の玄関口瀬田駅の歴史」「ぼっちさん」「旅する建築家」、同朋高校放送部「ある日本兵の遺品箱」長野県深志高等学校からは「制服ガラパゴス」「松本市内の高校放送部とケーブルテレビの共同制作について」、そして我々武蔵大学の学生による被災地支援のための市民メディアプロジェクトからは、「学生による被災地支援のための市民メディア活動(インドネシアのアチェと被災地間対話、3.11の被災地を支援した台湾の世界最大のNGO慈済会)取材報告を含む」を発表した。

武蔵大学被災地支援のための市民メディアプロジェクトの発表の様子

武蔵大学被災地支援のための市民メディアプロジェクトの発表の様子

また、ふしみふかくさコミュニティアーカイブプロジェクトチームと小山帥人さんの発表が行われた。1968年の春、ベトナム戦争当時、小山さんは京都の実家に19歳だったアメリカ人脱走兵をかくまった。

小山さんは、日本の市民社会で生活する脱走兵の映像を残すべきだと考え、16ミリフィルムで撮影した。映像はだれの目にもふれることなく、保存されていたが、古い映像を探して上映する学生たちの映像コミュニケーションの場「町家シネマ」を知り、そこで脱走兵の映像を公開することにした。

今回小山さんは映像を見ながら、市民と脱走兵、そして映像と社会について90分にわたり語った。この映像は生々しかったのは当然のことであるが、参加者たちが小山さんに次々に質問をなげかけるのも印象的であった。当時の心境や、今になって公開することにした理由、また「脱走兵」とあえて表現することの意味など、質疑応答が白熱した。

2日目は、麻布大学・デジタルハリウッド大学Aone Media Laboの「青根映像コレクション」を皮切りに、横浜国立大学教育人間科学部人間文化課程ジャーナリズムスタジオから「原発事故避難民の想いに触れて」ここリカプロダクション(北海道精神保健推進協議会)からは「精神障碍者のメディア事務所・ここリカプロダクション活動紹介」、龍谷大学社会学部プロジェクト型実習【地域を取材して新聞をつくる】から『実習新聞「小籠包」の学生記者が大手マスメディアの記者を直撃』、名古屋大学からは「今、中国残留孤児を考える―家族と社会のあいだで」、Wasabi Chilli Filmsから「Endlager(最終処分場)」、沖縄国際大学から「伝統?共存?矛盾?オキナワから」の発表が行われた。

そしてさらに、2日目は2つのトークセッションが行われた。一つ目のトークセッション「メディフェス的女子会andボーイズ」では、「地方、女性、若者」をテーマにパネリストたちがそれぞれの活動想いを語り合った。

ファシリテーターは堀潤さん。そのほか「映像発信てれれ」の下之坊修子さん、映画監督の長岡野亜さん、SEALDsKANSAIの長井優希乃さん、運営委員の龍谷大学木村夏奈さん、西村紗帆さんが登壇した。

なかでも、SEALDsKANSAIの長井さんに質問は集中した。彼女の生き方も非常に興味深かったが、やはり話題はSEALDsについてが多かった。SEALDsがいかにして若者を魅了し、巻き込み活動しているのか、またその影響力、自身の経験も含めて語っていた。

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SEALDsの巻き込み方について会場からは質問が相次いだ

二つ目のトークセッションではコミュニティラジオに関してトークが繰り広げられた。AMARC日本協議会の橋爪明日香さん、京都コミュニティ放送舞鶴赤れんがラジオ柴田美智子さん、FMわぃわぃ金千秋さん、せんだい泉エフエム阿部清人さん、FMあおぞら(亘理町臨時災害エフエム)吉田圭さん、FMよみたん沖宗根朝治さんが登壇した。

まず、それぞれ映像を流し、補足情報などを交えて会話が繰り広げられた。橋爪さんの映像「世界のコミュニティラジオ世界大会(ガーナ)報告」では、タイトル通り、ガーナにて行われた世界のコミュニティラジオ世界大会の様子(世界でのラジオの在り方、また、世界のラジオ関係者の交流)が紹介された。

ガーナではラジオはボランティアでなされ、また容易に開局できるようである。日本のラジオの在り方についても考えさせられた。そのほか、2011年3月11日の震災以降、臨時災害放送局が被災位置に多く開局設置されたが、5年が経とうとする今、その存続の岐路にある。いくつかの臨時災害放送局は廃止が決まり残る放送局も決断が迫られている。

臨時災害放送局の存続は容易ではない。また、当時と同じような役割での放送ではなく、その目的というのも変わっていくものである。司会者が実際に被災地の臨時災害放送局に電話で話を聞くという時間も設けられた。非常に密度の濃いトークセッションの時間であったように思う。

2日間を通して、さまざまな市民メディアに触れることができた。また同時にその多くが同じ学生の発信するものである。ゆえに刺激的で考えさせられる時間であった。市民メディアが果たす役割というのは無限であり、また可能性も無限であると感じた。

自らが発信するとともに、また、それらを享受し、考えることもまた、必要な事なのである。今回のこの学生版市民メディフェスへの参加を通して、これから我々も「被災地支援のための市民メディアプロジェクト」として市民メディア活動をする上で、非常に参考になるものを得ることができた。今後の活動につなげていきたい。

集合写真 [showwhatsnew]