タイトル:電園復耕~大通りからそれて楽しく我が道を歩こう

なぜ人を押しのけて狭き門に殺到するのか?自分を愛し迎えてくれる人たちとの人生になぜ背いて生きるのか?
この書き下ろしは、リクルートスーツの諸君に自分の人生を自分で歩み出してもらうために書いた若者のためのお伽話である。(作・吉田愛一郎)

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◆陰鬱な春

啓介は敏夫に目配せをして平井には「しばらく話し合いますから、遅く帰社します」といった。帰社してもしなくてもどうでもいい。平井は毎日5時きっかりに退社するからだ。啓介のいるGICO保険会社は残業代が女子事務員以外には出ないのだ

啓介が敏夫の事を山梨バルブの関係者と言ったことは嘘ではない。輿水敏夫は山梨バルブの子会社が経営するスキー場のスキーインストラクターと言う名の季節従業員だ。シルバーバレースキー場と言うのが彼の職場である。

山梨バブルは日本がバブル経済に浮かれていた時、ご多分に漏れず大儲けした。急成長しまたたくまに東証に上場した。上場したときはみな山梨バブルと言ってその株価に注目したものだった。あり余る資金で山梨バルブは多角化経営に乗り出した。その一つがスキー場経営である。シルバーバレー株式会社の社長は、親会社山梨バルブのオーナーの次男、若干45歳の小沢豪太だ。ビジネスよりもスキーそのものが大好きなぼっちゃん社長は、スキーインストラクターの敏夫を弟のように可愛がっているから、敏夫が啓介を社長に引合すことくらい易しい事なのである。

啓介のの体がゆっくりと動き出すと、魚たちが身を引いて隙間を作ったように見えた。啓介は右に曲がって歩き出した。敏夫もそれにつられて歩くと、二人は五時前の永代通りをぶらぶらと歩いた。

こんなふとした曲がり方が、若者の人生を良くも悪くも変えることはよくあることだ。 綿密な人生設計を立てて、定年までつつがなく勤め上げようと思う方が無茶な生き方なのかもしれない。人が死ぬまでの人生を計算したとて、その行く道が思ったままに伸びて行くと誰が保証するものか。若人らよ、人生をふと曲がってみてはどうだろう。横道が案外王道だったりするかもしれないよ。
「曲がってよかったかな?」
「わからん」敏夫が答えた。「なぜ曲がった?」
「わからない」啓介が答えた。「会社に戻らないためかな~」
3月の中旬に差し掛かっているのにまだ寒い。肌寒い中を
オーバーを着ない黒い魚たちはさっきより少なくなった。
「これからがいい季節だ」啓介が言った。
「いや、俺は今が一番嫌いだよ」敏夫が答えた
「なぜ?」
「散らない春があればいいけど、すぐ散ってしまうだろ。最高の時が一番辛いときで、最低の時が一番楽しいよ。これから来ることにワクワクするじゃあ」
「俺って今最低なのかな」敏夫がポツリ言った。

文・吉田愛一郎:私は69歳の現役の学生です。この小説は私が人生をやり直すとすればこうしただろうと言う生き方を書いたものです。半世紀若い読者の皆様がこんな生き方に興味を持たれるのであれば、オルタナSの編集スタッフにご連絡ください 皆様のご相談相手になれれば幸せです。

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