バブル経済崩壊、阪神・淡路大震災、景気の低迷と、生活協同組合コープこうべにとって、90年代以降は試練となる時代が続いた。様々な取り組みをするものの経営不振から脱却できず、100周年まで10年となる2012年、コープこうべは良心的な小売業から「社会的課題を解決する事業体のトップランナー」を目指して、自分たちの原点へと軸を戻した。(辻 陽一郎=「NPO新聞」代表)
■90年代、成長から試練の時代へ
組合員数・業績とも順調に成長してきたが、91年にバブル経済が崩壊し、95年追い討ちをかけるように襲った阪神・淡路大震災で決定的な打撃を受けた。コープこうべ本部は倒壊、11カ所が全壊、多くの組合員・職員が被災した。
だが、絶望的な状況下でも、地域の暮らしを守るべくありったけの商品を供給し、震災発生からたった一週間で151店舗の営業を再開した。
職員だけでなく、組合員もボランティアとして、炊き出しや救援物資の配布などを手伝った。震災で多くのボランティアが活躍したことから「ボランティア元年」とも呼ばれ、98年には特定非営利活動促進法(NPO法)も施行された。コープこうべでも、「コープともしびボランティア振興財団」を96年に設立した。
■次代コープこうべは今の時代に合わせた社会的課題の解決を目指す組織に
経済の低迷、雇用の悪化が続く時代は、後に失われた20年と呼ばれる。コープこうべも例外なくその影響を受けた。高度経済成長時代が終わり、これまでの戦略が当てはまらない社会情勢は徐々に勢いを増していった。1998年には経営再生計画を策定・実施したが、その後も苦しい経営は続いた。
また日本社会全体では、少子高齢化や地方の過疎化など、社会的課題が多様化し、かつ深刻化してきた。
そのような中、コープこうべが定めたビジョンは、「社会的課題を解決する事業体のトップランナー」だった。
■地域社会の課題を解決する事業・活動を進める
コープこうべは、これまでも様々な取り組みをすすめてきた。
例えば、1983年には組合員が組合員の生活の自立を支える「コープくらしの助け合いの会」を立ち上げた。また阪神・淡路大震災後(1995年)の復興の中、自らが母体となり社会福祉法人「協同の苑」を神戸市の未来都市六甲アイランドにオープンした。
協同組合にあるこのようなDNAを受け継ぎ、商品の供給だけでなく、くらしや地域の課題にさらに向き合う事業や活動にチャレンジを始めている。
2011年には毎日の食生活を応援するための夕食サポート「まいくる」を展開し、買い物支援として、ネットスーパーや移動店舗などにもチャレンジしている。
また、店内に組合員が集う場を設けるなどの「くらしの拠点」づくりにも取り組もうとしている。
一方、子育て支援として、学童保育事業「Terakoya」やキッズクリエイティブシティ(職業体験を切り口に、子供達が自らの力で考え、行動し、体験する場を創出)、あるいは宅配での妊娠中の方や赤ちゃんがいるお母さんを支援する育児サポートなど、様々な事業・サービスを展開し始めている。
震災が起こったとき、組合員と共に助け合う精神があったことで乗り越えられた。コープこうべが地域社会になくてはならない存在であることも実感した。
コープこうべのあるべき姿は、地域社会と共に生きることだ。経済的な意味だけでなく、人々の結びつきや助け合いによって地域社会が豊かになることで組織も盤石となっていく。2021年の創立100周年に向けてコープこうべの新たな挑戦が始まっている。
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