組合員数が日本有数の生協である生活協同組合コープこうべは良心的な小売り業から、「社会的課題を解決するトップランナー」へと舵を切る。今後、高齢化や孤独死、認知症などの地域の問題に対応した事業に注力していく。助け合いの精神の「協同組合」である生協の組織には何が期待されているのか、社会的事業を行う先駆者から話を聞いていく。第一弾はコミュニティデザイナーの山崎亮さんをお呼びし、コープこうべの本田英一組合長理事と対談した。(聞き手・オルタナS副編集長=池田 真隆 写真=八木 駿祐)(*前編はこちら 中編はこちら)
本田:日本の生協は、国際的に見ると非常に進んでいます。生協がこのように原則論を大事にしながら発展しているのは、たぶん、日本くらいしかないでしょう。
それでも、振り返ってみると経済的には成功したのですが、組合員はお客さんの地位になってしまっている。大学でコープこうべについて話しをして、学生たちにアンケートを取ったら、「生協はスーパーの一つだと思っていた」という声が多かったです。若者からは、そう見られているのかと思いました。
だから、いまは「新生協運動」を起こすために動いています。この運動を提起した理事長は神戸新聞の出身で、いまはNPOをつくって、小さな組織で、自分の思いを実現している人です。組合員に働きかけ、一緒にコープこうべを変えていこうとしている。これはとんでもない挑戦です。
コープこうべでは総代という組合員の代表と春と秋の年に2回、議論する会議の場があります。これまでは、前回に話したことを踏まえて議論するのではなく、毎回0からの議論を繰り返していました。総代の声は聞くが、さまざまな意見を、きちっと紐づけることまではできていなかった。また、役員は出た意見にすべてその場で回答していたので、意見を「聴く」ということが十分に出来ていなかった。
今は、紐づけようとしている。去年の秋にもらった意見を、執行部がまとめて、総代にお返しして、それをもとに春に議論している。それと、総代は意見を言うだけでなく、自主的に考えてもらうように変えたのです。もし、理事長が思っていることを168万人が理解して、制度として確立したらとんでもない革命になる。
――組合員をお客さんから、コープこうべをつくる主体的なプレイヤーに変えるためにはどうしたら良いでしょうか。
山崎:私たちは普段、都市でワークショップをしていますが、コープこうべが抱えている悩みときわめて近い悩みを抱えています。たとえば、まちづくりについて、話し合いをするとき、市民が行政に、要望や陳情や文句をいえば、行政側は、イエスマンではないが、なしのつぶてでもない返事を返します。
でも、このような話し合いを続けても、らちが明かないので、方法を変えます。ワークショップのテーブルを小さくして、向き合って話をしやすくする。そして、行政からの話は1時間ではなく、15分だけにして、市民に対話して考えてもらう時間を優先する。
市民からいろいろ出てきた意見をもとに対話を続けますが、1回だけでは解決策はなかなか出てこない。ですが、ここで、「インプット無きところには、良質なアウトプットは無い」と気付くようになる。
市民から出た意見は、プロからしてみると、すでに考えたものが多く、解決策を生み出すことを期待することはできません。でも、ざっくばらんに出た意見をまとめると、市民が何に関心を持っているのか分かるようになる。そして、その分野の先進事例などを学んでいく。市民にも学んでもらう。
最初は15分だった話を、次は30分にして、その次は1時間にする。その分野について学んでもらうと、市民はだんだん生活実感と学んだ専門知識が頭のなかで混ざり合います。そこから生まれてくる意見が良い意見になるのです。
ぼくらが欲しいのは、専門家でも発想できないアイデアなのです。我々のほうが圧倒的に専門的なことは知っていますが、市民が専門的なことを学んでみると、生活実感のなかに専門的な情報が入ってくるので、これがピタっとつながったときに、「じゃあ生協はこうすればいいんじゃないの」という意見が出てくるはずです。
はじめは、「あの人は理想的なことを言うが、現実では通用しない」なんて言われてしまいますが、これが時間を追うごとに多くの人の意見が重なっていくのです。
ぼくらは自分たちの仕事のことを「目利き」だと思っています。たくさん出てきた付箋のなかで、どれが輝く意見で、可能性のある意見なのかを見抜く力が求められる。そういう付箋を模造紙の中央に持ってくる。そして、多くの人たちと可能性のある意見を磨き上げていく。
ぼくらがしているのは、情報を出して、みんなから出てきた意見をリトマス試験紙のように貼り、今日はここまで意見が出てきたから、次回はこう考えてくださいと伝えて、これを繰り返しています。そうすることで、チームができて、徐々に主体的になるように働きかけています。
いま若手社会起業家がクラウドファンディングなどでファンを集めていますが、ITは使っていないが、生協が成長していきた原則と同じです。ですから、非常に生協の仕組みは、若手社会起業家にとって、参考になります。
――少子高齢化や独居老人が増えるなかで、コープこうべの役割は何だと考えていますか。
本田:われわれは、1921年に設立して、戦争で被害を受けて、戦後は8年ごとに1000億円ずつ急速に成長していきました。しかし、バブル崩壊後に立ち遅れ、経営が悪化しました。99年から職員や組合員の力を借りて、何とかやってきましたが、どれもうまくいかないままです。
原因を考えたら、経営を立ちなおそうとすることが、そもそもおかしかったと気付きました。経営はあくまで手段であり、目的ではない。店舗が赤字だからどうするのか、宅配の伸びが止まったから、宅配をどうしようかなど、そんなことばかり、やっているから、それこそ競合と変わらなくなってしまう。
もう一度、何のためにわれわれは存在するのか考え直しました。そうして、良心的な小売りから、社会的課題を解決するトップランナーになることに方向性を変えました。
職員から、「社会的課題を解決するトップランナーに」という提案を最初に受けたときは、何を甘いこと言っているのかと思ったが、とりあえずこちらも打つ手がない。乗ったふりをするしかなかった(笑)。
われわれは社内研修のときに、賀川のことを学ぶが、それは昔の話だと認識していた。でも、よくよく考えたら、社会的課題を解決していくことは、賀川が考え、実践してきたことと多く重なっている。
だから、この分野でトップランナーになることに、賭けてみることもありかなと思った。ぼくが想定したよりも、職員や組合員に変化が見え始めている。今、日本社会では高齢化と独居老人の孤独死など社会問題が山積している。去年、ネパール地震で、組合員から6000万円ほど集まった寄付金がしっかり使われたのか視察するために、ネパールに行った。
ネパールは世界でも最貧国の一つ。日本に研修に来ていたネパール人がぼくのアテンドをしてくれてたのですが、その彼にこう言われた。「日本は確かに豊かだし、素晴らしいが、日本にいたときに、老人が誰にも看取られずに死ぬことがあると聞いてびっくりした。ネパールではありえない」。
困っているネパールを助けるつもりで行ったのだけど、これには考えさせられた。
これから高齢化は避けられない。家族ですらセーフティネットにはならない時代がくる。そうなったとき、この社会は誰が支えるのか。古臭い概念だと思っていたが、助け合いの社会は今こそ必要だと思う。
山崎:studio-Lという社名のLはライフのLです。「生活(ライフ)こそが財産である」という英国の評論家ジョン・ラスキンの言葉に感化を受けたからそうしました。
ジョン・ラスキンが影響を与えていた人を調べると、英国のデザイナー ウィリアム・モリスであったり、住宅改善運動をした社会変革者のオクタヴィア・ヒル、経済学者のアーノルド・トインビーなど。
ぼくらがいま、デザインから福祉まで興味を持っているのは、こういう流れがあったからだと思う。
では、ジョン・ラスキンは誰から影響を受けていたのか、大きくは2人いて、歴史家のトマス・カーライル、そして、事業家のロバート・オウエン。ロバート・オウエンは、教育こそ最も大切だと考えていた。
環境が人格を形成して、人格が備わった人が良い社会をつくると信じていた。けれど、環境を変えることによって人格が変わるまでには時間が掛かり、生活が苦しくなる。全員の人格が変わるまでにも、生活を助けるために何か措置をしなければいけない。そこで、オウエンがつくったニューラナークという工場村では、その中に、学校や労働者の家や売店をつくった。
その工場村は山奥にあるので、売店にて自分たちが最も良いと思った商品を一括して購入してきて、安い価格でみんなに買ってもらう仕組みにした。この売店は、人格を形成するまでのしのぎの役割を果たした。
ロバート・オウエンは、ニューラナークでの実験に成功しながらも、インディアナ州近くのニューハーモニー村では失敗して、ほかの地域でも失敗した。この失敗を見た後輩たちは逆転の発想をして、売店から初めて環境を変え、徐々に人格を変えていくというほうがと思い、ロッチデール公正先駆者組合という組織を始めた。
このようにして、過去の失敗から学び、生協の原点となるような組織をつくってきた。いま、その延長で考えるべきは、地域包括ケアだと思っている。
賀川さんの時代は、良いものを安く買うということがなかったから、そこから始まったということもありますが、いまはのっぴきならない問題として、認知症や孤立死などがあります。これらの問題に地域はどう貢献できるのか。
社会保障だけでは、2025年、2045年は立ち行かなくなる。厚労省の地域包括ケアの仕組みを、生協のなかでどう実現していくのか。例えば神戸が安心して徘徊できる街になれば画期的。このために、生協は、組合員は、何をしなくてはいけないのか。それが大きなテーマになる。60年代は家庭で介護していて、自殺や殺人事件などが起きてしまった。核家族化によって家族で介護しきれなくなり、70年代には施設介護に変わった。
高齢者の生活を縛り付けたら人間的な生き方はできないので、施設に閉じこめるのではなく、地域に戻す必要がある。でも、これがまた家庭に戻ったら意味がない。単純に昔に戻るだけだ。だから今度は、地域介護にしなくてはいけない。地域で、健康に豊かな人生を送るために、生活協同組合の地域包括ケアには可能性を十分に感じています。
本田英一:
神戸大学法学部卒。1974年に灘神戸生活協同組合(現コープこうべ)に入所し、店舗運営、情報システム、経営企画などに従事し2001年に役員に就任後、2011年より組合長理事となり今に至る。また現在、日本生活協同組合連合会副会長、兵庫県生活協同組合連合会会長理事などにも就任。
山崎亮:
studio-L代表。東北芸術工科大学教授(コミュニティデザイン学科長)。慶応義塾大学特別招聘教授。
1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院および東京大学大学院修了。博士(工学)。建築・ランドスケープ設計事務所を経て、2005年にstudio-Lを設立。地域の課題を地域に住む人たちが解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりのワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、市民参加型のパークマネジメントなどに関するプロジェクトが多い。「海士町総合振興計画」「studio-L伊賀事務所」「しまのわ2014」でグッドデザイン賞、「親子健康手帳」でキッズデザイン賞などを受賞。
著書に『コミュニティデザイン(学芸出版社:不動産協会賞受賞)』『コミュニティデザインの時代(中公新書)』『ソーシャルデザイン・アトラス(鹿島出版会)』『まちの幸福論(NHK出版)』などがある。