シリア難民や同国内の教育問題について動き出した日本の若者たちがいる。日本政府の動きは鈍いなか、クラウドファンディングや映画製作など、等身大の方法で若者たちが社会を変えていく。(オルタナS副編集長=池田 真隆)
中野貴行さん(35)はシリア国内に残る小学生向けの教育支援を行っている。プロジェクトの名称は、「ピースオブシリア」。パートナーとして、トルコにいるシリア難民のウサマ・アジュンさん(27)と組んだ。内戦が起きる前、ウサマさんは英語教師だった。現在はトルコで暮らしながら、シリアに残る子どもたちへ教育支援を行う。
中野さんがウサマさんと協力した理由は、「多くの支援者と話したが、国内向けに支援活動をしているのはウサマさんだけだったから」とする。さらに、ウサマさんの姿勢にも惚れた。
ウサマさんはトルコで職を失い収入が途絶えたときも、支援活動のために集めたお金には一切手をつけず耐えしのいでいた。この姿勢を見た中野さんは、「彼自身をサポートしたいと思った」と言う。
昨年10月末、クラウドファンディング「レディフォー」で資金を募り、129万3000円が集まった。この資金を施設の改修や教員の人件費、ウサマさんの現地での活動費として使う予定だ。
学校があるのは、アレッポ西部の山の中。空爆を避けるため、地下にある。この周囲には300人ほどの小学生が暮らしているが、内戦によって、子どもたちの教育機会は奪われている。
中野さんは、「教育は、将来を見据えたときに大切」と力を込める。大人になっても読み書きができないと平和について議論することもできないからだ。
子どもたちが通えない理由として、「出歩くのが危険」、「先生が不足している」、「経済的に余裕がない」などを挙げる。
さらに、「数年間、学校に通わなかったことで、年齢だけが上がり、年下の子どもと同じ授業を受けることを避けるようになる」(中野さん)。
中野さんによると、同国内で小学校に通っている割合は5割以下だという。内戦前の就学率は97%で、大学までの学費は無料だった。そして、子どもたちにとって学校は、「大好きな居場所だった」と中野さん。
中野さんは青年海外協力隊員として2008年3月から2010年3月までシリアに滞在していた。その当時は治安が良く、中野さんはシリアについてこう話す。
「バスに乗ると、隣のおじさんが僕のバス代をいつの間にか払ってくれていて、『日本から来てくれたんだから』と笑顔を見せてくれた。『喉が渇いた』と近くの家に助けを求めると、水やお茶だけでなく、ご飯までご馳走してくれた。紛失したカメラも、携帯電話も、腕時計も、現金の入った手帳さえ、すべて返ってきた」
中野さんは講演会や写真展を開き、シリアの魅力を伝えている。「『かわいそうだから』ではなく、シリア国民の良いところを知って、ファンになってもらいたい」。
難民に関して動かないのは、「すでに多くの団体が動いているから」。自身の役割を、「もともとシリアに興味を持ってなかった人に、興味を持ってもらうこと」とする。
■「笑顔の裏側」を映画で
林将平さん(早稲田大学国際教養学部3年)は、難民問題をテーマに映画「境界を越えて~スウェーデンで出会った8万分の1の難民」を製作した。この映画は、林さんがスウェーデンに留学しているときに出会った、シリア難民のFayz(ファイズ)さんの生き様を収めたもの。
1月11日には、早稲田大学早稲田キャンパスでこの映画の上映会を開いた。当日は大学生だけでなく、難民問題に関心を持つ中学生や社会人らも訪れた。
この映画では、「シリア難民の笑顔の裏側」を伝えた。ファイズさんは内戦で故郷を追いやられ、多くの友人を亡くしていた。戦火から逃れ着いたのがスウェーデンだったが、同国でも政府は国境検査を強化するなど、難民に対する姿勢は厳しい。
ファイズさんは若くして、このような苦難な人生を生き抜いてきたが、林さんたちに明るく話しかける。映画では、ファイズさんが3年ぶりに家族と再会を果たした様子を映した。
内戦が始まり6年が過ぎ、シリア国内の人口(約2100万人)の半数以上が国内外へ避難した。難民の数は世界全体で7000万人に及ぶ。
難民の受け入れは国際的な課題だ。受け入れに関して、日本は先進国の中で最低レベル。2015年に日本で難民申請をした7586人のうち、日本政府が難民認定をした人数はわずか27人のみ(参考:法務省入国管理局「平成27年における難民認定者数等について」)。
難民申請に必要な書類は膨大で、日本語が読めない場合、書類に記入することが困難で、プロボノで弁護士に依頼するしか方法がない。難民認定を受けられないと、家を借りることや、安定した仕事に就くことが難しい。
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