「We have to live, life goes on.(それでも生きなければいけない)」。トルコでシリア難民の支援活動を行うAAR Japan[難民を助ける会](以下、AAR)の五味さおりさんは、よく彼/彼女から耳にする言葉としてこの言葉を挙げる。難民は急に言語も文化も異なる国へ移動させられ、職を失い、母国に帰れる目処も立たないなか暮らしている。混迷の中で活動する五味さんに国際協力への思いを聞いた。(聞き手・Readyfor支局=吉田 梨乃・オルタナS支局スタッフ)
——五味さんが、国際協力の業界で働こうと思ったきっかけを教えてください。
五味:私は大学を卒業するまでの間アメリカで生活していたので、多様な人種に囲まれた環境で幼少期を過ごしていました。しかし、その中で日本人としての発言力や存在感が低いということに気がつきました。
そのことがきっかけで、自分の英語力を生かし、日本人として海外で仕事をしたいと思うようになりました。昔から「人の役に立ちたい」という思いが強く、警察官やレスキュー隊員などの職種にも憧れがありました。
そんな私の初めての国際協力との出合いは、大学時代に参加したカンボジアの孤児院での1カ月のボランティアです。これらの想いと経験が合わさって、自分の英語力を生かしながら人の役に立つことができる仕事は何か、ということを考えたときに、これが私のやりたいことだと思いました。そして、国際協力という道へ進むことを決めました。
とは言え、社会人として最初から国際協力の道に進むのは心理的なハードルが高かったので、まずは日本で仕事をしたいと考え、新卒で広告代理店に就職しました。そこで社会人としての能力をつけた後に、3年で退職を決め、AARに入職しました。
AARを選んだ理由は「日本人」として、海外で活躍したいと思っていたので、日本の団体に所属したかったからです。AARは国内のNGOとしても歴史が長く、幅広いフィールドで活躍している団体だったので、ノウハウが蓄積されていると考え、入職することを決意しました。
——AARに入職当初からトルコで駐在員として勤務されていたのですか。
五味:東京事務局で2カ月間研修を受けた後、トルコへ赴任しました。最初は東南アジアで活動したいと希望を出したのですが、そのときトルコはどうかと勧められたことがきっかけで駐在員になることになりました。今後、国際協力に携わるにあたって、特にシリアやイエメンといった中近東の地域は避けて通れないと思ったので、ぜひとも、と引き受けました。
ですので、もともとシリア難民支援を希望していたわけではなかったのですが、ご縁があって私は今トルコにいます。でも本当に、この決断をして良かったと思っています。
——現地ではどのような活動をされているのですか。
五味:私たちはトルコで、シリアから流れ着いた難民の方々への支援活動をしています。その中でシリア難民が多く住んでいる地域のコミュニティセンターのマネージャーをしています。簡単に言えば、シリア難民の青少年会館みたいなものですね。
そこではトルコ語、アラビア語、英語の授業や、子どもたちに向けての音楽、スポーツ、女性には料理教室やミシン教室など、さまざまな講座やイベントを開いています。
「難民」というと、難民キャンプで生活しているイメージが強いと思うのですが、ここトルコでは、実際にはキャンプではなく、ほとんどの人が貯蓄を切り崩したり、知人から借金をしたりして、自力で部屋を借りて暮らしています。
しかし、今までの家族や友だちと離れ離れになってしまっているので、現地に誰も知り合いがおらず、遊びにも出られず仕事もできない、学校にも行けないという方が多くいます。
そうすると難民として社会に溶け込むことができずに、毎日を過ごすことになってしまいます。そういう人に、このコミュニティセンターが家を出てもらうきっかけとなってほしい。何よりも彼らにとって「安心できる場所」を提供するのが意味のあることだと思っています。
——普段の活動の中で、どのようなやりがいを感じますか。
五味:この仕事をしていて最も貴重だなと思うのは、自分が行なった支援への反応が直に感じられることです。先日開催した母の日のイベントでは、難民の母親たちが、紛争で子どもを失ったり、家族を置いて避難せざるを得なかったりした経験や、その痛みをいかに克服してトルコでの避難生活を送っているかなど、お互いに想いや悩みを共有し励まし合いました。
最初は3人の女性だけに話してもらうつもりが、母親たちは次々と思いを共有し始めました。みな壮絶な過去があり、それをどのようにして乗り越え、難民としてトルコで生きてきたのか。
難民の方々の人生を考えるとても良い機会であったと本当に思います。何よりもイベント後すぐ、参加者の女性たちから感謝の気持ちをいただけたことがとても嬉しかったです。
広告代理店で働いていたときにも、もちろん感謝の言葉をいただいたこともありましたが、今回のようにすぐに返ってくることはありませんでした。現場で活動する中で、自分としては耳が痛いフィードバックをいただくこともあるのですが、だからこそ、中途半端なことはできないので、身が引き締まる思いでいつも取り組んでいます。
——トルコで活動する中で、日本の支援者の方々について思うことはありますか。
五味:遠い日本から温かいご支援を寄せていただいており、支援者の皆さまには本当に感謝しています。シリア難民の方々は、日本人から寄付をいただいていることは認識しているので、代表として私が直接「ありがとう」という言葉をいただくこともあります。
ですので、日本にいらっしゃる支援者の方々がどういった思いで支援をして下さっていているのかをもっと伺って、それをシリアの方々にも伝えていければと考えています。
可能であれば、日本の支援者の方々とシリア難民が直接コミュニケーションをとることができるような機会を設けて、関係を繋げていくことができたらとも思います。
日本の方々もシリア難民の方々に対して質問したいこともきっと多いはずです。一人ひとりが様々な想いを込めて寄付をしてくださっていているので、それを伝えていきたいです。
——それこそ日本とシリアの架け橋として活動する五味さんにしかできないことだと思います。しかし、日本人には「難民」という事実は容易には想像しづらいですよね。
五味:シリアの方々が難民になって言葉も文化も違うトルコに逃れるということは、日本に住んでいる私たちが、突然難民になって韓国などの周辺国での生活を強いられる、という状況と同じ感覚だと思います。
シリア難民の中には、母国で教授や医者をしていた方や、英語の通訳者をしていた方などもいたのですが、トルコに来てからは無職になってしまった方がほとんどです。
日本の皆さまに特に想像してほしいのは、「自分が持っていることが突然、すべてなくなるのはどういうことか」ということです。よく彼らは「We have to live, life goes on.(それでも生きなければいけない)」という言葉を口にします。難民となった方々はそれでも前を向いて進んでいます。その姿を見ていて心を打たれています。
シリア難民が母国に帰れる目処は立っていません。前を向いても現状は簡単に解決するものではないのも現実です。仕方なく、前を向いている人もいます。戻れるのであれば、すぐに母国に戻りたいと思う人がほとんどです。
——現在、クラウドファンディングでトルコのコミュニティセンターを存続し、1,000人のシリア難民の子どもたちに安心して学べる場を提供すべく資金調達へ挑んでいます。意気込みをお聞かせください。
五味:今回の挑戦が、難民という存在が身近でない日本の皆さまに、「今自信を持って『自分である』と言えているものが、何によってもたらされているのか」ということを考えてもらえるきっかけになればと考えています。
シリア難民というと、遠い国の見知らぬ出来事のように感じるかもしれないですが、自分が自分であると言えるようなアイデンティティ、仕事や友だちや家族など、それらを失ったときに自分は自分であると言えるのでしょうか。
「そんなこと想像なんてできない」、とよく言われます。しかし一度でもそのことについて考えることで、難民の方が経験される状況を少しでも想像できるのではないでしょうか。
もし私たちの活動に、ご支援いただけるのであれば、是非一緒にメッセージを添えていただききたいです。連日の報道を見てシリア難民について憂慮している方も多いと思います。
そこで感じた言葉を、ご支援と一緒に難民の方々に届けていきたいと考えています。Readyforでの支援には支援をする際にコメントをする機能もあるので、このプロジェクトについて思うことや、シリアの方々への温かいメッセージを寄せていただきたいです。どうかご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。
◆五味さんが挑戦しているクラウドファンディングは、2017年6月15日(木)23時まで!是非下記のページよりご覧ください。
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