西日本豪雨での被害はあまりにも範囲が広く、まだ収束のめどは見えない。自治体の疲れも見えはじめ、ボランティアも全体ではまだまだ足りていない。各地で続く災害の中から立ち上がり、傷ついた人たち同士がつながっていく。その「ボランティアの輪」は災害現場で一筋の光を灯していた。(文・写真=福地 波宇郎)
7月28日、ボランティアの受付窓口である愛媛県宇和島市社会福祉協議会に一台のバスが到着した。昨年の北部九州豪雨でやはり甚大な被害を受けた福岡県東峰村(とうほうむら)の一団だ。澁谷博昭村長を筆頭に41人がボランティアとして参加、3つの班に分かれて宇和島のボランティア現場へと出発して行った。
宇和島は海と山に面し、急峻な斜面にはみかんをはじめとするかんきつ類が茂っている。その緑の林のいたるところで山肌が露出し、流れ出した土砂は居住地や畑へと押し寄せた。
今も土砂はあちこちに堆積し、容赦なく照りつける日差しは細かな山の土を乾燥させ土ぼこりが一面にたっている。
「うちらのときと同じだな」とその光景をみた東峰村の村民がつぶやく。同じく山間部で土砂と水に苦しめられた一年前の経験をみんなが思い返していた。
澁谷村長たち15人の班は宇和島市吉田町法花津(ほけづ)地区に入り、おりしも接近していた台風対策用の土のう作りにまず取り掛かった。一年前の災害でも現場肌として率先して指揮をとっていた村長はいちばんにスコップをふるい、炎天下で100袋の土のうをまたたくまに作り上げた。「恩返しは当たり前ですから」と自分たちがボランティアに助けられた経験とここに来た理由を宇和島の住民たちに語っていた。
午後には今年でちょうど築150年になるというお宅での作業。床上浸水し、床の下からは泥を取り出した後だった。
ただ泥を取り出す際に基礎の土間を削りすぎてしまい、でこぼこになっていた床下をみんなでいっせいに整地、神棚や仏壇にはほこりがかからないように養生して柱や床の根太も丁寧にブラッシングして清掃した。
この家の住民は「どうしていいかもうわかりません」と話していたが、村民たちは「私たちも同じでした。一緒に復興していきましょうよ」と経験したからこその言葉をかけ、自分たちも復興途上だと励ました。「ほんとうに心強い言葉でした」と住民は語り、帰るときにはみなで笑いあうひと時もあった。村民たちは作業を終えるとそのままバスに乗りこみ、自分たちの村の台風対策のためにまた海を渡って東峰村へと帰っていった。