ブラジルは世界最大の日系人居住区であり、1908年以降の約100年間で25万人の日本人がブラジルへと移住した。彼らとその子孫は「日系社会」を形成し、現在は約150万人の日系人が住むと言われている。サンパウロ州にはその約70%にあたる日系人が生活しており、ブラジル社会に与える影響も少なくはない。戦後よりブラジルで日本語新聞を発行してきたサンパウロ新聞社は、日系人の耳目としてコミュニティを支えてきた。半世紀以上に渡って日系社会に貢献してきた同社は、いまこの社会をどう見ているのだろうか。編集次長の松本浩治さんに話を聞いた。(聞き手・オルタナS特派員=清谷啓仁)

サンパウロ新聞

――サンパウロ新聞社の活動について教えてください。

松本:火~土曜日の週5日、日系社会に向けた日本語新聞を発行しています。平均約10ページの紙面構成で、国際・ブラジル国内・社会面などのトピックに加え、毎日新聞社・時事通信社と提携して日本記事の配信も行っています。

新聞社として、日本人移住者及び日系人の耳目となることが第一の使命です。一方で、イベントの企画開催などを通じ、日本・ブラジル親善の架け橋役として、微力ながら両国の交流に積極的に取り組んできました。

――読者層は。

松本:主な読者層は、70~80歳の日系1世の方々です。日系社会は150万人以上と言われ、現在は6世までが確認されています。2世以降の方も日本語は話せますが、読めないという場合がほとんど。ブラジルは世界最大の日系人居住区ですが、どんどんブラジル化していっているため、読者が年々減少していっているのが現状です。世界的に活字は斜陽産業と言われていますが、新規読者の獲得には私たちも頭を悩ませています。

いまはインターネット時代ですが、高齢の方にとっては新聞はまだまだ貴重な情報源ですし、日本語に飢えておられます。そうした方々へ何を伝えていくかということは常に意識していることです。

――日系社会は縮小しつつあるということでしょうか。

松本:150万人という人数自体は横ばいですが、その中身は大きく変わってきていますね。最初の移民がブラジルにやって来てから105年が経っていますので、変わっていくのは必然のことだとは思いますが。

新聞社にとって読者層の減少は大きな問題ですが、もう一つ懸念しているのは「日系社会の記録」の問題。移住史というものは数多く活字に残っていますが、個々の生き様については断片的にしか紹介されてきませんでした。

日本で生きているとおよそ想像もつかないような苦労をされている方、それでも明るく強く生き抜いてこられた方など、一人ひとりに壮絶なドラマがあるんです。歴史の証言者である彼らの話を後世に残すことは、これからの日系社会にとっても大きな意味を持ちますし、それは新聞社である我々にしかできない仕事だという自負があります。

取材を受ける松本浩治さん

――松本さんが見る、日系社会とは。

松本:「日系社会はこういうものだ」とは、なかなか一括りには言えませんね。どういう目的でブラジルに渡ってきたかというルーツも違えば、その後どのように暮らしきたかということも違うからです。そうした異なるバックグラウンドを持った方々で構成された社会を「日系社会」と便宜的に呼んでいるということにすぎません。

日系人として団結していこうという動きも当然あるのですが、ごく少数ですね。ブラジル内の小さな社会とはいえ、「自分たちの社会をこうしたい」という動きはもっとあってもいいのではと思います。

――ブラジルにおける日系人の存在とは。

松本:よく言われているのは、農業分野での貢献です。農業大国と言われるブラジルですが、現在ブラジルで栽培されている野菜や果物などの農産物の多くは、日本人移民がブラジルへ持ち込み、品種改良などを通じてブラジルでの栽培に成功したものなんですよ。戦前には野菜を食べる習慣すらありませんでしたしね。

ブラジルには「Japones Garantido(信用できる日本人)」という言葉もあるくらいです。道が分からなくても、日本人がその場にいればブラジル人にはあまり聞かないみたいですね(笑)

――これからの日系社会はどのように変わっていきますか。

松本:ブラジル社会にますます同化していくことは間違いないと思います。それが良いことか悪いことかというのは、個人の判断になってくるでしょうね。

1世の方々がよく言われるのは、「日本人としての想いを持って、それをブラジル社会に役立ててほしい」ということです。それこそが、この地で代々受け継がれてきたものなんだと思います。そうした方々の声を、これからも伝えていきたいですね。

・サンパウロ新聞社
http://www.saopauloshimbun.com