シェアハウスが流行りを見せるなか、現地人と外国人が半々で暮らす多国籍シェアハウスがある。その名は「ボーダレスハウス」で、2007年3月からサービスを開始し、都内に63物件約600人が入居している。去年11月には、台湾にも物件をオープン。手がけたのは、新卒2年目、24歳の若者だ。海外の人と交流することで、偏見をなくし、「戦争を無くしたい」と力を込める。(オルタナS副編集長=池田 真隆)
ボーダレスハウスの台湾事業を立ち上げたのは、ボーダレス・ジャパン(東京・新宿)の青山明弘氏(24)。去年10月末に台湾に単身渡り、現在は現地人スタッフと学生インターンの計3人で事業を進めている。
3カ月で4物件を確保、入居者の募集を12月から開始し、既に台湾・アメリカ・イタリア・韓国・日本の5カ国の人が入居している。社会人から大学生まで、さまざまだ。毎日、2~3時間ほど、リビングに集まり英語や慣れない台湾語でコミュニケーションを取る。お題は、その国の生活・流行・宗教など、日によって異なるが、異文化交流に積極的な人が住んでいるので、毎日話は尽きない。
留学生として台湾に来ても、現地の人と友達になる機会が少なかったり、語学学校に通っている学生としか交流できないという人には、うってつけのシェアハウスだ。
異文化交流だけでなく、家賃や契約にもこだわった。台湾では、1年単位の短期契約を行う不動産が少なく、留学生は大学が紹介する家賃が割高な部屋や寮に住むのが一般的。そこで、1カ月からの契約を可能にし、家賃も複数人部屋ではリーズナブルに抑えている。
さらに、このシェアハウスに住んでいると、格安で海外を行き来することも可能になる。「フリーハウスエクスチェンジ」という制度で、利用者は1週間から1カ月以内なら無料で異なる国のボーダレスハウスに住むことができる。今は、日本・韓国・台湾の首都にあるので、3カ国を旅するときには、現地宿泊費は不要だ。
だが、現地では全てがうまくいっていたわけではない。中堅企業経営者であるオーナーと物件契約に関して揉めた際、「お前みたいな若造じゃ話にならない。日本の社長を連れてこい!」と凄まれたという。危うく契約破談になるところであったが、「早く多くの人にボーダレスハウスを広めたい」との想いから、オーナーを説得。現地人スタッフの頑張りもあり、無事契約までこぎつけた。
■国と国がぶつかる前に
このシェアハウスには、現地人と外国人が半分半分で入居するというルールがあるが、その狙いは、世界から「偏見」をなくすこと。
書籍やニュースで見聞きした情報だけで、その国のことを理解しようとするのではなく、現地人と共に住みコミュニケーションをとることで、異文化理解を促進したいと考えた。青山氏は、中国語は話せないが、自身も台湾のボーダレスハウスに住みながら、日々、事業を推し進めている。「毎日、一緒に暮らす者同士語り合うことで、一方的に抱いていたイメージが変わり、必ずその国のことをより身近に感じるようになる」と話す。
青山氏は慶応義塾大学出身の24歳。2013年4月、同社に入社した。入社した動機は、「戦争につながる偏見と貧困を解決したいから」。学生時代にドキュメンタリー映画を製作するために訪れたカンボジアで、インタビューして回った。そのとき、「あのときは、とても貧しかったから、相手を殺すしか生き延びる方法がなかった」、「相手のことを知らなかったので、銃の引き金を引けた」という言葉に衝撃を受けた。
青山氏は、「個人間の交流がしっかりとあれば、戦争を防ぐことができるのではないか」と考えるようになる。ちょうど就職活動の時期を迎えたが、その想いをどこの会社にぶつけても、「で、それ儲かるの?」と返される始末。
ネットでたまたま見つけたのが、ボーダレスハウスを運営しているボーダレス・ジャパンだった。青山氏が描く理想を、ビジネスで実現している同社にメールを送ると、即日、「会いましょう」と返信が来て、面接に行った。青山氏は生い立ちからこれまでの学び、成し遂げたい志などを夢中で話し続けた。気づけば数時間も経過し、その時には入社を決めていた。
今後、青山氏は、世界中にボーダレスハウスを展開したいと言う。「国と国が衝突しあう前に、個人間の深いコミュニケーションを促せれば」と意気込む。今夏には、台湾事業の単月黒字化を達成し、夢の実現に更なるスピードで近づいていきたいと意気込む。
・青山さんが取り組む「ボーダレスハウス」はこちらから
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