しかし、以上の3つのことが「できます!」というためには、やらないといけないと思うことがある。「住民の生活をよくするために、僕が○○がしたい」のではなく、「私たちの生活をよくするために○○がしたい」という住民の声に対して、利用価値のある道具になるために、僕がなりたいポジション、という視点だ。
それを鑑みて、今やりたいことは、「1に語学、2に引き出し、3に情報収集」だ。何をやるにしても、語学は必須だ。そんなわけで、朝と寝る前に単語暗記をやったかどうかを表にして壁に貼って、「ちゃんとやれば自分へのご褒美に絵を買おうプロジェクト」を実施してる(やってみて思ったのが、「1日10単語覚える」といった結果ではなく、「早起きをしたかどうか」といった行動を評価し、視覚化しているのが効果的らしい)。
そして、とにかく外に出て誰かと話す。さすがに疲れた日は休んでいるが、自己紹介はかなりスムーズになったし、お茶に呼ばれても、かなり話せるようになった。「何を言ってるのか理解できない」とか「こいつはアラビア語を話せないのか?」なんて言われて悔しい思いをすることも度々だが、凹んでいられない。言葉を学びながら、シリア人たちの生活のことも聞けたりするので一石二鳥、いやプロジェクトの宣伝も出来て三鳥?の美味しい効果がある。
引き出しとは、「何かしたいな、って思った時に、さっと出てくるだけの奥の深さ」のこと。「開発ワーカーはエンターテイナーでないといけない」とは、野田直人さん(『開発フィールドワーカー』著者)の言葉だったと思うけれど、その引き出し作りに励んでいるところである。筆ペンで名前を日本語で書くだけでもひとつのネタになるし、最近は似顔絵を描いて喜ばれたりもしている。そうした人集めの道具や話のきっかけ作りになるものの他、今後は意見を引き出し、アイデアを出し合えるようなワークショップ作りを出来る技術を身につけるようにしたい。
最後の情報収集の方法であるが、ひとつは専門家の人たちが行く先々に一緒にお供しながら、文化センターがやっている救急法や刺繍の訓練の情報を集めることであったり、ひとつは村を回りながら野菜の値段や仕事の様子を観察したり、実際に話しながら生活状況を聞いたり、ニーズを掘り出すといったことなどである。
また、村の中で話している中で、「こんなことができるのか!」という人を発掘する。加えて、僕自身も最低限の保健の知識がないと駄目だろう、と『Where There Is No Doctor(医者がいない場所で)』という無医村での保健指南書ともいえる英書(WEBに日本語版あり)を少しずつ読んでいたり、母子保健や栄養の本などにも目を通すようにしている。ある演劇で、「書を捨てよ、町へ出よ」という言葉を聞いたが、僕は「書を読め。そして町へ出よ」をやっていきたいと思う。
エンターテイナーであれ。これは、単に「面白くあれ」という意味ではなく、プロのエンターテイナーは笑いが取れないことを客のせいにしないのと同様、プロの開発ワーカーは実施したことがうまくいかないことを住民や文化のせいにはしない、という意味でもある。専門性なんてかっこいいことは言えないかもしれないけれど、僕と言う存在が、役に立って、信頼できて、そして楽しいリソースになれるように、と考えながら毎日何かしながら生きている。やってることを書くと忙しそうだけれども、「努力してる」だなんて感じていない。やりたいことを、精一杯楽しんでいるだけだからだろう。なんとも幸せである。感謝。
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