「専門性」と言われ、戸惑った。自分に「何ができる」と言えるだろう。シリア側のプロジェクト統括者を前に、自分がここで活かせるものは、大学で学んできたことよりもむしろ、卒業してから開発コンサルタントの会社で何度も受けた開発学の講座だろうと思い、「大学では国際関係学を、特に国際法を学びました」と答えた後、「卒業後に開発学も学んでいます」と付け加えた。通訳も兼ねてやってきているシリア人スタッフが「いいね」と感想を述べた。
困ったのはその後。プロジェクトが実施されている村へを訪れた時だ。再び「専門性は何か」と聞かれることになった。「開発学を学んだ」というのを、村において言うべきなのだろうか?僕が自己紹介をしているのは、この村に住むコミュニティ・ヘルス・ボランティア(CHV)達の前である。「あなたの村は遅れているから、僕が開発しにやってきたんですよ」なんて言う印象になりはしないか?と、考えて、「彼らにとって、どんな利益となりうるのかを説明できればいいのではないか」という結論に達して、僕が選んだのが以下の3つである(その時は、こんなにしっかり説明できなかったのだが)。
①人を集める道具
②人をつなぐ道具
③知識・刺激となる道具
一つめの「人を集める道具」とは、自分自身が広告塔になることもあるけれど、人を集める際のアイデアを提供したり、実施したりすること。例えば、劇やお祭りの提案をしたり、絵や書道を使って人を集めて、そこから広報活動につなげていく、というような使い方をしてもらう。
二つめの「人をつなぐ道具」とは、住民やCHVの「したいコト」と「できるヒト」をつなぐ、ということ。外部者として動き回るからこそ、手に入る情報を片っ端から集めて渡す。そうして活かせる機会を増やしていく。例えば、救急法を学びたいCHVに公共交通圏内で行なわれている救急法の訓練情報を渡したり、収入向上を望んでいる村の女性に手工芸の先生を紹介したり、といった使い方をしてもらえたら、と考えている。
三つめの「知識・刺激となる道具」とは、ちょっとした工夫での生活状況の改善のアイデア提供(昔の日本にあった「生活改善普及員さん」のようなこと、例えば腰を痛めないように洗濯するための台を高くするだとか)だったり、CHVの個性や村の持ついいところに気付いてもらうようなしかけ作りをしていくといったことである。これを、そのままCHVや村の人たちに言うのは、ちょっと変な感じなので、「一緒に働き、考えたい」とだけ説明した。