タイトル:電園復耕~大通りからそれて楽しく我が道を歩こう
なぜ人を押しのけて狭き門に殺到するのか?自分を愛し迎えてくれる人たちとの人生になぜ背いて生きるのか?
この書き下ろしは、リクルートスーツの諸君に自分の人生を自分で歩み出してもらうために書いた若者のためのお伽話である。(作・吉田愛一郎)
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◆ドルとシリング
テーブルに置かれたビールの一本は冷えていて一本は冷えていなかった。ラベルにはタスカと書いてあった。「なんや一本冷えてへんよ~」「オレ冷えてない奴でいいですよ。きっとモトかバリリはどちらか温かいか冷たいなんですね」
そんな会話をしていると奥から店の経営者らしきインド人がシリング紙幣の札束をもって現れた。
ドルと交換してくれると言っているようだった。末広がもうドルは無いというと、小室が「わしもっともっているで」と言って10ドル紙幣何枚だした。するとその小柄なインド人は10シリング札を11枚出して「OK?」と言ったから小室は「アシタ、アシタ」と言って現地通貨を受け取った。
店主が下がると「夢のような国やで。どんどん儲かるやないか」
「アサンテじゃねえすか?」
「そやった。アサッテ、アサッテ」
「スワヒリでしょう?ありがとうはアサンテですよ」
「どっちでもええで。儲かればこっちのもんや」
ウエイターがつまみに三角形の餃子のような物を幾つか皿に入れて持ってきた。サモサと言うらしい。カレー味で旨い。もうひと皿頼むと腹が落ち着いた。
「金はあるし、いい気持ちやし、散歩と洒落よか」小室が立ち上がったので、二人で表に出た。街は暮れなずみモスクからは引きも切らさず祈りの言葉がゆったりと厳かに流れていた。
ソフトクリームの売店があって、インド人の一家のベンツが止まっていた。夫婦が前の座席に座って、子供が四人後ろの座席にいて、二人ずつ左右の窓から首を出してソフトクリームを舐めていた。
「なんで車から降りへんのかな」
車の傍にはみすぼらしい黒人の子供たちが裸足でそれを見ていた。その内の何人かが末広たちの周りに集まって「サイデヤ、サイデヤ」といいだしてそれぞれ細い手を出した。先ほどの店のつり銭をその一人にやると、他の手が殆ど暴力的に末広と小室のポケットに向った。
「こりゃかなわん」
「逃げましょう」
二人はモスクの方に駈けだした。
やっとの事で追っ手を振り切り、息を切らして市場の様な所にやってきた。City Marketと板切れの看板に書いてある。
「えらい目におおたな」
「やばかったすね」
「そやけど、ベンツのインド人一家と浮浪児たちの対比はなんや」
「俺たちだったら、見せびらかしてソフトを喰うなんてまねはできねえすよね」
「あれも自分の子供たちへの教育なのかいな。こんなふうになってはいないって」
「優越感がアイスを旨くする?」
「でも車から降りないのは正解っすね。降りれば取り囲まれて物乞いされる。アイスなんかおちおち食ってられねえすからね」
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