2020年の小中高生の自殺者数は499人。学校や家庭のしんどさから、自ら命を断つ子どもたちがいます。「学校に行けないだけで子どもたちは悩み、命を落としていく。そんなことがあっていいわけはない」。1991年、周囲の無理解や偏見に苦しんでいた不登校の子どもたちのための居場所づくりをスタートした一人の男性。活動開始から30年、今の思いを聞きました。(JAMMIN=山本 めぐみ)

「子どもたちと共に学び、育ち合う場を」

1992年、手づくりのいかだで多摩川を進む。「いかだをつくって、多摩川を下りたい」という子どもの声から始まった

神奈川県川崎市を拠点に活動する認定NPO法人「フリースペースたまりば」。理事長の西野博之(にしの・ひろゆき)さん(61)は30年前、学校に通うことができず「僕は大人になれない」と涙をこぼした小学1年生の男の子と出会い、「学校だけが学びの場ではない。子どもたちと共に学び、育ち合う場をつくろう」と、6畳と4畳半のアパートの一室で不登校の子どもたちの居場所づくりをスタートしました。

当時、不登校児は「登校拒否児」と呼ばれ、本人や家族は偏見や無理解に苦しんでいました。消え入りそうないのちのともしびを、もがき苦しみながら燃やす子どもたちの姿。それはかつて「死んでしまいたい」と思い悩んだ、10代の頃の西野さん自身の姿と重なったといいます。

お話をお伺いした西野博之さん

その後、1998年に川崎市が全国に先がけて「子どもの権利に関する条例」をつくることになった際、西野さんは調査研究員会の世話人の一人として策定に携わります。

2003年からは、この条例の具現化を目指してできた子どもの居場所「川崎市子ども夢パーク」内につくられた、学校や家庭に居場所を見いだせない子どもや若者のためのスペース「フリースペースえん」の運営を川崎市から受託、2006年からは子ども夢パーク全体の指定管理者としても運営を担ってきました。

さらに団体独自の活動として、生活困窮世帯に向けて食の支援と人のつながりの拠点を目指した「コミュニティスペースえんくる」を運営。フードパントリーや多世代型こども食堂も開催しています。

神奈川県川崎市にある「川崎市子ども夢パーク」。10,000平米の敷地の中に、自由に遊べるプレーパーク(冒険遊び場)がある。夢パークにある遊具は、すべてスタッフと子どもたちの手づくり

「たまりばの基本的な考え方として『何歳でも、どんな人でも』というのがあります」と西野さん。

「子どもたちは家庭や地域、すべてをひっくるめた社会の中で生きていく。だから困ったことやしんどいことがあった時、見知った顔で『なんとかなるぜ』『しばらく休めよ』『勉強教えてやろうか』と言ってくれる人が地域にいることや、親御さんも肩の荷をおろして自由に発言できる場所があることが大切です」

「飾らない素のままの自分でいられて、何かあった時に『助けて』と言えること。そんな関係性があることが、子どもたちの居場所とも大きく関係してくるのではないでしょうか。そのためには、包括的な支援が必要だと考えています」

大人の「良かれ」が、子どもをどんどん生きづらくさせている

「僕、魚をさばいてみたい」。大人たちに見守られながら、包丁の使い方を覚える。「『やってみたい』ことを手に入れた子どもの眼はいきいきと輝き、集中が続きます」

「大人が良かれと思ってしていることが、子どもをどんどん生きづらくさせている節がある」と西野さんは指摘します。

「もちろん経験値が少なく未熟なので、大人から見た時に足りていないように感じたり、危なっかしく感じたりすることもあるでしょう。でも、子どもなりに考えながら動いているし、存在としては対等なんです」

「花火だってつくっちゃう。遊んで学び、学んで遊びます」

「いつしか子どもたちが、やりたいことに挑戦できなくなってしまった。工場跡地の一万平米の敷地に作られた『川崎子ども夢パーク』は、子どもたちの挑戦、『やってみたい』が体現できる場であることを心がけています」

「木に登りたいなら木に登る。どろんこになって遊ぶ。ケガすることもあるかもしれません。でもそれを恐れ、責任をとりたくないからと大人たちが何でもかんでも禁止にするから、子どもの遊び場がどんどん奪われてしまったのです」

「『ケガと弁当自分持ち』という言葉がありますが、挑戦する時に、『ケガしても、それは自分の責任だよ』という場をつくらざるを得ません。子どもたちの『やってみたい』を保障するには、失敗を安心して積み重ねられる環境が大事なのです」

子どもの生きづらさの背景にあるのは、「大人の不安」

「子どもたちは、どこでも、なんでも使って遊びます。ゆったりと流れる時間の中で育ち合います」

塾や習い事に忙しく、子どもとしての時間を奪われている今の子どもたち。「この背景には『大人の不安』が関係しているのではないか」と西野さん。

「『正しい親だと思われたい、認められたい』という大人が増えていると感じます。大人として、親として、子どもに失敗させてはいけない。子どもの評価が親の評価に結びつくと思って、早くから塾や習い事に通わせる親御さんが急速に増えています」

「そして子どもにできないことがあると、『普通はこれぐらいできるでしょ』とか『これができなくてどうするの』と言ってしまう。子どもは小さいうちから『大人から評価される子どもであること』を求められるのです。そんな環境で、果たしてありのままの自分でいられるでしょうか。本音や弱音が吐けるでしょうか」

「社会で生きる残るためにもっと早く、もっと早くと大人が子どもの世界に入っていった結果、生きづらさを感じる世代がどんどん下がってきています。心身が苦しくなり、不登校や引きこもる子どもたちが増えているのです。生まれる子どもの数は減り続けているのに、子どもの自殺は増えています」

「いのちはすべて、輝く原石」

自分たちで薪割りをして、火をおこし、3升釜でご飯を炊く子どもたち

「大人がつくった型や枠にあてはめなければ、一人ひとりの個性が磨かれ、キラキラと輝きはじめる。いのちが本来持つパワーがもっともっと引き出されていくのです」と西野さん。

「誰ひとり、役に立たないいのちなどありません。いのちはすべて、輝いているのです。石に例えると、いのちはただそれだけで、輝く原石です。それを『きれいに見えるように』とか言って、都合良くコーティングしたり削ったりしているところがあるのではないでしょうか」

「みんな同じように丸くツルツルにならなくていいんです。『ありのままでいいんだよ、原石のままでいいんだよ』っていう空気感が、今の世の中には必要だと思うんです。それぞれゴツゴツしていたり大きかったり小さかったり、欠けていたり飛び出ていたり…。そんないびつで不揃いな自分たちを『おもしろいね』って言い合える仲間作りを、僕たちはしていきたい。お互いのいびつさを楽しみ、手を取り助け合いながら共に生きる文化を、取り戻していきたいのです」

「殺したい」「死にたい」の奥にあったのは「自分はここにいるよ」という悲痛な心の叫びだった

子どもたちは、たき火が大好き。「焼いて食べたいものを持ってくる子どももいます」

「僕らのベースの思いとしてあるのが、『生きているだけで、君はすごいんだ』ということ」と西野さん。

西野さんがたまりばをスタートしてしばらく経った頃、1997年に、当時14歳の少年が相次いで小学生5人を殺傷した神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)、2000年には17歳の少年が高速バスを乗っ取り女性を殺害した西鉄バスジャック事件が起こりました。

「この事件が起きた時、危機感を抱いた僕は子どもたちに呼びかけたんです。『死にたいと思う人、殺したいと思う人は集まって』と。当時、ふだん20人ぐらいがたまりばに来ていたのですが、なんと当日、16人も集まっちゃったんです。僕は大ショックでした」

「用意したお茶も飲まずお菓子も食べず、彼らは胸に抱えてきた葛藤を語り始めました。それぞれ状況は違うのですが、集約すると皆、同じことを言っていることに僕は気づきました」

「それは何か。皆、生まれてこのかた『生まれてくれてありがとう』ということを、父ちゃん母ちゃんから受けとれていないんです。メッセージが伝わってきていないんです。物心がついてからこの年まで、ずっと存在を肯定してもらえず、親など特定の養育者との間に愛着を持てていない。『死にたい』『殺したい』の奥にあるのは、『見て、自分はここにいるよ』という心の叫び、深い傷つき、悲しみでした。生きてくるのが一体どれだけつらかったでしょうか」

「親が『生まれてきてくれてありがとう』って言ってくれたら最高。だけど、親じゃなくたってそれはできるんです。近所のおっちゃんおばちゃんが『あんたはおもしろいね』とか『飯食ってないなら、ここで食っていくか?』とかって声をかけてくれたら。自分の存在をそのまま受け止めて、面白がってくれるような人がいたり場所があったら。そうしたら子どもたちはきっと、『生きていていいんだ』って感じられるはずなんです」

「自分なんて死んだ方がいい」。苦しむ子どもの姿が、過去の自分と重なった

アパートで活動を始めた頃の写真。右端に写っているのが西野さん。「この頃から変わっていないのは、毎日ご飯をつくって食べること。カリキュラムはなく、過ごしたいように過ごすこと。大きな家族のように、異年齢の子どもと大人が混ざり合う空間です」

「30年前にたまりばを始めるきっかけのひとりとなった子、中学2年のマユミは不登校でした。当時、不登校に対する世間の目は厳しいものでした。マユミのお母さんは周囲から『母親が甘やかすから』『(子どもの不登校は)嫁の血がわるいから』と責められ、ある日とうとう、子どもを道連れに無理心中をはかったんです」

「不登校だけでも苦しいのに、自分のことが原因で親が喧嘩したりなじられたりする。あるいは家にいても、親から首を絞めて殺されるかもしれない。『私なんて生まれてこないほうがよかった』と言う彼女が、中学生の時、同じように『自分なんて死んだ方がいい』と思っていた僕自身とシンクロしたんです」

戦後の高度経済成長期に生まれ、「もっと豊かに、もっと豊かに」という社会の風潮の中で子ども時代を過ごした西野さん。

「勉強してこのぐらいの大学に入って、企業に入ったら課長か部長にはなれるかもしれない。マイホームも持てるかもしれない。でも、それがなんぼのものなの?それが果たして幸せなの?…大人の社会が汚く見え、一体何のためにどう生きるのか、考えれば考えるほど苦しくて頭がおかしくなりそうで、死んでしまいたいと思っていました」と当時を振り返ります。

「生きづらさを抱え、死にたいとさえ思っている子どもたちが、一体何があれば今日を生きたいと思えるのだろうか。自問しながら関わり続け、彼ら一人ひとりと共に、僕自身が思春期を繰り返し体験させてもらいました。そうすることで、虚無感を感じていたあの頃の自分にケリをつけ、こんな僕でも居ていいんだと思えるようになったんです」

「子どもたちと共に生きる場が、苦しかった当時の僕を助けてくれているんです。『死にたい』と言っている人に、無責任に生きろとは言えません。『こう生きたら良い』と正解があるものでもありません。答えのない問いの中で、『だよね、つらいよな。すごいよ。よく生きてきたね』と共感してくれて、『俺だったらどうするかな』と一緒に頭を抱えて悩んでくれる人がいるかどうか、なのだと思います」

「共感しかできない、そばにいることしかできない。でももしかしたらそれが、どん底にいる人にとっていちばんの生きる力になるかもしれない。『とにかく生きてみよう。もうちょっと何かに出会ってみよう』と思えるかもしれない。その力をただ信じて、覚悟を決めて関わり続けていくしかないのです」

団体の活動を応援できるチャリティーキャンペーン

チャリティー専門ファッションブランド「JAMMIN」(京都)は、「フリースペースたまりば」と1/17(月)~1/23(日)の1週間限定でコラボキャンペーンを実施、オリジナルデザインのチャリティーアイテムを販売します。

JAMMINのホームページからチャリティーアイテムを購入すると、1アイテム購入につき700円が団体へとチャリティーされ、団体の活動資金として活用されます。

「JAMMIN×フリースペースたまりば」1/17~1/23の1週間限定販売のコラボアイテム。写真はTシャツ(700円のチャリティー・税込で3500円)。他にもパーカー、バッグなど販売中

JAMMINがデザインしたコラボデザインには、いろんなものを寄せ集めて作った、空飛ぶ乗り物を描きました。キレイに整えなくていい、みんなと同じじゃなくてもいい。一人ひとりの子どもたちが持つ感性や創造性、溢れんばかりのいのちの輝きそのものが、空を飛ぶほどの可能性を秘めたものであることを表現しています。

JAMMINの特集ページでは、インタビュー全文を掲載中。こちらもあわせてチェックしてみてくださいね!

「いのちは輝く原石。大丈夫、なんとかなるぜ」。不登校、引きこもり…、生きづらさを抱えた子どもたちが、ありのままで生きられる社会を〜NPO法人フリースペースたまりば

山本めぐみ(JAMMIN):
京都発・チャリティー専門ファッションブランド「 JAMMIN(ジャミン)」の企画・ライティング担当。「チャリティーをもっと身近に!」をテーマに、毎週さまざまな社会課題に取り組む団体と1週間限定でコラボしたデザインアイテムを販売。売り上げの一部(Tシャツ1枚につき700円)がコラボ団体へと寄付され、活動を支援しています。2014年から休まずコラボを続け、コラボした団体の数は390超、チャリティー総額は6,500万円を突破しました。

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