PLS(原発性側索硬化症)をご存知ですか。徐々に体の自由が奪われ、症状が進行する話すことも、体を動かすこともできなくなる難病です。ALS(筋萎縮性側索硬化症)と比べて進行は緩やかですが、ALSと同じく治療法は未だ見つかっていません。7年前、31歳でPLSを発症した一人の男性。仲間に支えられながら「今しかできないことを」と挑戦を続けています。(JAMMIN=山本 めぐみ)

「何かおかしい」。足に感じた違和感

100万人に一人の難病PLSと生きる落水洋介さん

100万人に一人の確率で発症するといわれるPLS(原発性側索硬化症)。北九州市に住む落水洋介(おちみず・ようすけ)さん(38)。7年前、31歳の時に体に異変を感じるようになりました。

「何もないところでつまずいたり転んだりすることが増えて明らかに何かおかしいと感じていましたが、自分が病気になるはずがない、病気になんてなりたくない、と今思えば向き合うことを避けていた」と当時を振り返る落水さん。しかし症状が改善することはなく、周囲の勧めもあって病院を受診しました。

「当時、『僕のいた時間』(フジテレビ)というALSのドラマをやっていました。主人公がALSに立ち向かうストーリーなのですが、描写される症状がまるで僕と同じだったんです。『多分ALSなんだな』『いや、そんなわけはない。気のせいだ』…両方の感情が入り混じって整理がつかない状況でしたが、多分そうだろうというのがあったので最初から大きな病院を受診しました」

自覚症状がまだほとんどなかった頃の落水さん。2013年、福岡県糸島市にある白糸の滝へ家族で遊びに行った際の一枚。二人の娘と

検査入院の後、「痙性対麻痺(けいせいついまひ、下肢筋肉が緊張して麻痺した状態)」という症状名がついた落水さん。「ALSではなかったと安堵した一方で、また違う不安を抱いた」と話します。

「当時、二人の娘は5歳と2歳でした。『ALSで死んだら子どもたちに保険金を残せる』と思っていたので、症状名だけがついて宙ぶらりんな状態だと感じました。それまでと同じように働き続けるのが難しいのは明らかでしたが、症状名だけだと国や自治体の支援制度を受けることも難しい。家族を養っていくためにどうしようと思いましたね」

家族を養うために、会社にしがみついた

落水さんの車椅子の後ろのバッグには、スポンサー企業の名前がずらり。「応援していただいてる企業名をプリントさせていただいています」(落水さん)

症状が出始めた頃、落水さんは転職をしたばかりのタイミングでした。徐々に身体の自由を奪われていく中、家族を養うために必死に会社にしがみついたといいます。

「クビになるまいと必死でしたが、一方で会社のある人は僕を辞めさせることに必死でした。当初の営業の仕事を外されて事務の仕事をしていましたが、辞めるまでの一年は、毎日呼び出されては『成績を買われて入団したピッチャーが、肩を壊したらどうなると思う?』などと言われ続けました。つまり、暗に辞めろと」

「でも、僕には養っていかなければならない家族がいる。何が何でもしがみついて、どうにかして自分の居場所を作ろうと思いました。自分にしかできないことを見つけて、車椅子になっても働ける環境を作ろうと。だけど、難しかった。入社から2年経った頃に退職しました。その頃には症状も進行していて、普通の人が5分で歩ける距離を、杖をついて30分かかるようになっていました」

どん底からの無職のスタート

「働く場所も、収入も限られてしまう障がいのある人たちの選択肢を広げたい」と北九州市にある「おもやいファーム」の協力を得て、脳梗塞のために一般企業では働くことができなくなってしまった友人の大場崇生さんと2020年より水耕栽培のにんにく事業をスタート。写真は屋外での販売の様子

仕事を辞めた時と同じくして、PLSと診断された落水さん。

「正直、安心しました。PLSは指定難病に認定されており、医療費の助成を受けることができます。収入のない中、医療費について心配する必要がなくなり、また障害年金の申請ができるようにもなってほっとしました」

ただ、いずれにしても働かないことには家族を養っていけないと就職活動を始めた落水さん。車椅子でも働ける仕事を探すものの、なかなか見つからなかったといいます。

「これからますます身体が動かなくなっていく自分に何ができるんだろう。寝たきりやALSで活躍している人を調べると皆、才能を持つ方ばかり。『もしかしたら明るい未来があるんじゃないか』とちょっとの勇気を振り絞っていろいろと調べてみても、逆に『俺にはこんな才能はない』と、どんどん自分を追い詰めていきました」と当時を振り返ります。

才能もない、道もない、未来の想像もできない。無職のスタートはどん底で、落水さんは次第に家にこもるようになっていきました。

「困った時は、僕がいるよ」。その一言に背中を押されて

せまく急な階段を、周りの人たちに協力してもらい、担がれて降りる落水さん。「できないことはできる人に助けを求め、やってもらえばいいんです」(落水さん)

そんなある日、双子の兄・恒介さんに誘われてとあるプログラミングのセミナーに参加した落水さん。

「『素人からプロになれる』という謳い文句でしたが、専門用語ばっかりでちっとも理解できない。『どこが素人なんだよ』と席を立ったら、主催の方に呼び止められて。僕の話を聞いてくれて、『今度、障害者の就労支援のフォーラムがあるから一緒に行こう』と誘ってくれたんです。後日わざわざ自宅まで来てくれて、片道2時間かけてフォーラムにいきました。その道中、初めて自分が抱えてきた思いや葛藤を吐き出せたんです」

「さらにそのフォーラムで『自立とは、相互依存関係が高い人のこと』という言葉と出会いました。つまり支え合う仲間がたくさんいればなんでもできるんだということ。その言葉が、妙にしっくりきたんです」

「それまでは、なんでも全部自分一人でやろうとしていました。人間はなんでも一人でできなきゃいけない、人に頼るのはかっこわるいと思っていたんです。でも考えてみたら、一人でコンビニで、お弁当を買って食べるとしても、そこには生産者や加工する人、お弁当を調理したり詰めたりする人、たくさんの人が関わっている。割り箸一本とったって、すごくたくさんの人が関わっているんです。人は一人では生きられない。初めてそのことに気付き、『相互依存できたら、もしかしたらなんでもできるんじゃないか』と思えました」

「その帰り道、連れていってくだった方が『落水君はこれからできないことがどんどん増えるけれど、できないことはできる人にやってもらえばいいんだよ』と言ってくれて。『テクノロジーで困ることがあれば、僕がいるよ』と。『僕がいるよ』、その一言で僕の心の扉が開きました」

勇気を出して踏み出した小さな一歩が、やがて大きなうねりとなった

2016年4月、在崎していた川崎フロンターレでJ1最多得点を決めた試合後に「負けるな 落水洋介」と書いたTシャツを掲げた元チームメイトの大久保嘉人選手と、双子のお兄さんの恒介さんと

「そこから、とにかく行動しました」と落水さん。

「何も起こらないかもしれないけど、何か起こるかもしれない。『行動を起こすと、可能性は無限に広がる』というのは、この病気を通して教わったことです。奇跡のような出会いや出来事が次々に起きて、どんどんつながっていきました」

「その一つがブログです。当時、僕は外に出ていくために『WHILL』というオシャレな電動車椅子が欲しいと思っていました。病院や自治体にかけあっても、まだ手が動くから電動車椅子はダメと言われていました。そのことをブログに綴っていると、『それはおかしいんじゃないか』と応援してくれる仲間がどんどん増えてきました。その一人が、小学生の時にサッカーで一緒にプレーしていた元日本代表の大久保嘉人(当時川崎フロンターレ、現在はセレッソ大阪)です」

サッカー少年だった落水さん。小学生の時には北九州の選抜チームに選ばれてプレーしていた。写真下段左から2番目が落水さん、その2人右に写っているのは、同い年で現在Jリーグ・セレッソ大阪でプレーする大久保嘉人選手

「『困っているなら、俺が車椅子を買っちゃる』と言ってくれたんですけど、僕の中ではきちんと制度の中で手に入れることに意味があったので、『いや、買わなくていい』というやりとりを100回ぐらいしました。そうしたら2016年4月、彼がJ1最多得点となるゴールを決めた試合の直後、『負けるな落水洋介』というTシャツを掲げてくれたんです」

「すると、それまで毎日100や 200だったブログのアクセス件数が一気に3万4万になり、全国から応援のメッセージや、その道のプロの方たちからのアドバイスが多数届くようになりました。いつしか皆が僕を応援してくれて、同級生や先輩後輩、バイトや社会人時代の仲間、友人、皆が会いに来てくれて。『なんだ俺、めちゃくちゃ幸せだ』とその時、すべてのことに感謝できたんです。その後、運命的な出会いが重なり、僕が求めていたかたちで車椅子を手に入れることができました」

「体が、すべての幸せの絶対条件ではない」

電動車椅子「WHILL」に乗る落水さん。「WHILLは、皆がオシャレをしたりかっこいい自転車やバイクや車に乗ったりするのと同じように、僕にとってはテンションを上げてくれて、前向きに自信を持って街に出ることができるアイテムです。『車椅子でかわいそう』ではなく、『おっ!あれ何?カッコいい』と思えるアイテムの一つ。機能性もすごいんです」(落水さん)

「車椅子のストーリーは、一つの体験に過ぎません」と落水さん。

「数えきれないくらい素晴らしい出会いをたくさんして、『自分にも役割があるんだ』『このままでいいんだ』と居場所を感じられるようになりました。しかも仲間がいる。できることがたくさんあるんです。僕の夢は、寝たきりになってもできる仕事をつくり、笑顔で幸せに生きること。今はその実現に向けて、仲間たちと動いています」

講演会で話す落水さん。「僕は寝たきりになる病気になってしまったけれど、今が心から人生で一番幸せと思えています。こんな状況でなぜ幸せと思えるのか、誰にでもできる具体的な例を踏まえてお伝えしています」(落水さん)。2019年は学校や各種団体、企業などで170回以上の講演を行った

「それでも、寝たきりになる未来を思うとこわくないですか」という問いに、落水さんは次のように答えてくれました。

「こわいです。今でさえ伝えたいことが伝わらないことがあって、症状がもっと進行したらどうなるんだろうって思います。ただPLSは進行がゆっくりな分、慣れもするし対策を考えることもできると思っています」

「佐賀に住む、ALS歴20年以上の中野玄三さんという方がいます。玄三さんは数センチ動く足の先にパソコンマウスをくっつけて日々ブログを書き、電子書籍も10冊以上出されているすごくパワフルな方です。玄三さんに会いに行った時、動かすことができる目(眼球)を使ってヘルパーさんと会話されるのですが、そのスピードの速さに驚きました。そしていつも冗談ばっかり言っていて、周りの人たちもずっと笑っているんです。そんな人を、僕はもう知ってしまったんですよね。だから僕も、明るい未来を見ると決めました」

ALSと生きる中野玄三さん(右)と

「『難病=不幸』、『寝たきり=不幸』と思っていましたが、身体はすべての幸せの絶対条件とはいえないんだとわかりました。悩みもするし落ち込むこともあるけれど、僕の上には必ず明るい未来がある。それを信じて、『なんとなく』ではなく『具体的に』、未来を作っていく。明るい未来のために、一歩一歩、小さな解決を積み上げていく。だって、そうやって幸せに暮らしている人が、もう既にいるんですから」

「僕は日々を楽しく、大切に生きたい。明日人生が終わるかもしれないなら、今日という日を、今しかできないことを、この身体で精一杯味わいたい。PLSはクソッタレだけど、この病気にならなければ、僕はきっとこんな幸せを感じることはありませんでした。PLSは僕に生きがいをくれた。PLSが心の平和を与えてくれたし、愛を教えてくれたし、笑顔をくれました。PLSはまさに『ピース、ラブ、スマイル』ですね」

落水さんの挑戦を応援できるチャリティーキャンペーン

チャリティー専門ファッションブランド「JAMMIN」(京都)は、5/24(月)〜5/30(日)の1 週間限定でキャンペーンを実施、オリジナルデザインのチャリティーアイテムを販売します。

JAMMINのホームページからチャリティーアイテムを購入すると、1アイテム購入につき700円がチャリティーされ、落水さんが全国を講演して回るための旅の資金として活用されます。

「コロナで自粛続きの昨今ですが、僕に与えられた時間は限られています。来年動ける保証もありません。まだある程度身体が動いて声が出る今、一人でもたくさんの人に会って、僕の体、僕の声、僕の生き様を通して何かを感じてもらいたい。そしてまたいろんな人に会い、そこで僕もまたいろんなものを吸収したい。僕は寝たきりになるけれど、つながりは寝たきりにならないから」

「JAMMIN×TEAM PLS」5/24〜5/30の1週間限定販売のコラボアイテム(写真はTシャツ(カラー:ダークグレー、価格は700円のチャリティー・税込で3500円)。他にもスウェットやパーカー、トートバッグやキッズTシャツなど販売中

JAMMINがデザインしたコラボデザインには、ミツバチと蝶がとまる一輪の花を描きました。花は昆虫に蜜を与え、代わりに昆虫が花粉を運ぶことで、互いの生命が維持されていく。互いに支え合いながら、いのちや思いがつながり広がっていく様子を表現しました。

JAMMINの特集ページでは、落水さんのインタビュー全文を掲載中。こちらもあわせてチェックしてみてくださいね。

「人生は自分次第。僕は寝たきりになるけれど、今が一番幸せです」。難病PLSと戦いながら、生きるメッセージを発信し続ける〜TEAM PLS

山本めぐみ:JAMMINの企画・ライティングを担当。JAMMINは「チャリティーをもっと身近に!」をテーマに、毎週NPO/NGOとコラボしたオリジナルのデザインTシャツを作って販売し、売り上げの一部をコラボ先団体へとチャリティーしている京都の小さな会社です。2014年からコラボした団体の数は350を超え、チャリティー総額は5,500万円を突破しました。

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