タイム紙によると、「時間」の概念を持たない人びとがブラジルにいるという。ボリビアとの国境沿いのアマゾンに住むアモンダワ(Amondawa)族だ。
彼らは今でも文明社会と隔絶して暮らす。彼らの独自の言語には、「時間」や「日付」「年」をあらわす言葉がない。彼らの世界には「昼」と「夜」、そして「雨期」と「乾期」の区別があるだけだ。
彼らは4までの数字しか持たない。だから、「年齢」もない。その代わり、彼らは人生の節目で名前を変える。例えば、幼児は新生児が誕生すると自分の名前をその子に譲り、自分は目上の子どもから別の名前を引き継ぐという具合だ。
それに対し、私たちの生活は「時間」の支配下にある。「遅刻」に「アラサー」、「タイム・マネジメント」。日々刻々、否応なく「時」を意識させられる。それは、バカンスを南国の洋上コテージで過ごそうが同じだ。帰国の「時」は遅かれ早かれやってくる。どこまで行っても「時間」は追いかけてくる。
私たちは、悠久の流れを秒針で切り刻み、量り売りして生きる。その対価として私たちが手にする金は彼らに輝いて見えるのだろうか。(オルタナ編集部=赤坂祥彦)