午後6時。真っ暗である。
以前、東京のトークイベントで震災により移住を余儀なくされた方の話を聞いた時、県外で仕事を見つけた息子がストレスで14キロ痩せてしまったという話を聞いた。人が住む場所を変えるということが、どれほど大変なことかということを、その数字で思い知った。
だから、3000人が、環境が変わる外へ出る決断をした町というのは、かなり凄い気がする。
宮城県石巻市の端にある雄勝という町。津波への意識が高く、平常時から避難訓練など行っていたため、亡くなった人は少ないが、今、人口は約1000人。人口4000人のうち、3000人がこの町を出て行った。
「生まれも育ちも雄勝だけど、これからもここにいるかどうかはまだ分からない。石巻のもっと陸の方で娘夫婦と新しく店をはじめようという話もある。津波で全てが崩壊した。もうここでやっていても商売にならないだろう。」11月19日、伊勢畑にオープンしたプレハブ商店街「おがつ店こ屋街」で葬儀屋を営む男性は言う。
「他の地区では、その土地の仮設住宅に入る方が多い気がします。なぜ雄勝の人は3000人も町を離れてしまったのでしょう?」
中心街から20分の高台にある、石巻市立大須中学校の校長先生に聞いてみた。
「逆に聞きますが、あなたは、ガソリンスタンドまで片道50分の場所に暮らしたいと思いますか?」と校長先生。
「ここにいるメリットがないんですよ。中心街が壊滅して何もなくなってしまった。まず仕事がない。漁業や漁業関連の会社も、道具ごと仕事が流されてしまった。仕事もない。学校もない。店もない。地盤が下がったから、大雨が降るとすぐに水浸し。前の大雨の時なんか、完全に陸の孤島でしたから。そういうところになってしまったんですよ、雄勝は。」
また、こんな話もしてくれた。
「先々月にテレビの取材が入って、『消えゆく町』と報道された。ちょっと酷いんじゃないかと思いました(笑)。若干虚しさを感じながら見ていましたけど。確かに雄勝は困っている町です。でもわたしは、今年10月に、このそばの北上川沿いで釣りをしている人たちを見かけました。もともとここは観光のまちではありませんでしたが、釣りが盛んだったのです。『亀山旅館』は主に釣り客用の旅館ですし、『長栄館』という宴会ができる場所もある。道路の状態も舗装されて随分良くなりました。今ならもう『雄勝に釣りに来てください、アワビを食べにきてください』と言えます。」
校長先生と別れ、元市街地に降りた。午後6時。真っ暗である。
車のライトに照らされて、ガソリンスタンドの柱がひしゃげているのが見える。病院の内壁が剥き出しになっているのが見える。ここが、雄勝の中心街だった場所だ。それが、夕方の6時でこんなに、黒い布で覆われたように真っ暗になってしまう。
針で開けた小さな穴のように、唯一光を放っていたのは、前述の「おがつ店こ屋街」。プレハブの建物に、弁当屋、食堂、海産物屋、スーパー、タクシー会社、葬儀屋など11店舗が入った集合商店だ。
「商店街で、毎月イベントをやるという話もあるんですよ。イベントをやれば人が来るし、海産物屋さんでお土産を買ってもらったり、食堂で雄勝名物のソース焼きそばを食べてもらったりできる。」校長先生はそんな話をしていた。
「消えゆく町」なんて失礼だ。ちゃんとここから始まっている。(オルタナS特派員 笠原名々子)
■ おがつ店こ屋共栄会 (電話) 0225-57-3077 ※12月16日より開通 (住所) 宮城県石巻市雄勝町雄勝伊勢畑84-1
■亀山旅館 (電話) 0225-58-2025 (住所) 宮城県石巻市雄勝町大字大須字大須218-2
■民宿長栄館 (電話) 0225-58-3203 (住所) 宮城県石巻市雄勝町大字大須字大須222-3