ボーイズシンクロエンターテイメント「iNDIGO BLUE」(インディゴブルー)は今年4月で2006年の設立から7周年を迎える。東京、京都を拠点に学生を中心としたメンバーである。全国各地の公営私営のプール会場やレジャー施設などで500回以上の公演を行い、観客動員は合計15万人を超す。
団体を立ち上げたのは京都府出身の平澤慎也さん(当時18歳)。シンクロとの出会いは高校1年生時。シンクロに魅了されたのではなく、当時の水泳部先輩の引退記念として仕方なく行ったシンクロ公演がきっかけである。
しかし、その時に味わった全身が震えるような感覚に溜まらなく感動して18歳の時に「第二回フジテレビ全国ウォーターボーイズ選手権」に出場。大会終了後も「この身震いするような感動をもっと広くに届けたい」という思いで全国の選手権出場者を集め、ボーイズシンクロエンターテイメントiNDIGO BLUEを結成。
2011年4月楽天に就職するが、シンクロへの想いを断ち切ることができずに研修期間終了後に退職。今年24歳になり、シンクロに生涯を掛ける平澤さんの想いとはー(聞き手・オルタナS特派員=池田真隆)
――団体設立当初の頃のお話を聞きたいのですが、「フジテレビ全国ウォーターボーイズ選手権」が終わってから仲間を集めたそうですが、どのようにして仲間を集めましたか?
平澤:単純に「あれ楽しかったよな?もう一回やろうぜ!」だけです。
11人で団体を設立したのですが、東京、神奈川、京都、岐阜、三重とそれぞれ住んでいるところが違ったので、集まることが大変でした。
「どうやってやるの?」「練習はどうする?」「住んでるところ離れているけど大丈夫?」
仲間からはそんな声が多くあがっていたのですが、運よく岐阜のメンバーが通う高校の施設をお借りすることが出来て、8月の丸々1ヶ月メンバーの家に泊まり込みで練習しました。
――通算公演回数は500回を超していますが、今までの公演で印象に残っていることはありますか?
平澤:団体設立からの3年間は悲惨でした。全国各地の施設に営業の電話を掛けるのですが、ほとんどとりあってくれなかったです。また、地方にいく遠征費や機材費などは全て負担していたので、200万円近くの借金をしました。
しかし、それでもメンバーは自腹を切って遠征に来てくてました。今でも彼らには感謝しています。
――「シンクロで、あなたに、感動を」という理念の背景には何があるのですか?
平澤:うちのメンバーはほとんどが学生なので毎年メンバーの入れ替わりがあります。一人一人と「なぜうちの団体に入りたいのか」をしっかり話します。そのときに、僕自身の「なぜこの団体を設立したのか」という当初の想いが目に見える場所にあった方が良いと思いこの理念を作りました。
■ライブの演出を考えるとき、自分の母親をお客さんとして連想する
平澤:僕が絶対に忘れたくないものが、一万人が目の前にいても、その目の前の一人を喜ばすことが出来ないと誰も喜ばすことが出来ない、ということです。
ぼくはいつもライブを演出するとき自分の母親をお客さんとして連想します。母親がどうすれば喜ぶだろうかと考えます。メンバーにも目の前の一人のお客さんをどうやって喜ばすかを考えることが他のお客さんにも伝染していってどんどん広がっていき、一体となる空間が生まれるのだと伝えています。
そして、僕たちのライブを見たお客さんが何かしら感じてくれて、自分のやりたいことや想いに気づいてくれてアクションを起こすまでになる。これを達成することを目標としています。だから、その意味でお客さんもメンバーなのです。誰かの背中を押せるエンターティメントでありたいと思っています。
■「あれ以来、笑えるようになりました」という激励のメール
――実際にお客さんの反応はどうですか?
平澤:今年の夏には会場である子どもに「成長したらインディゴブルーに入りたい」と言ってもらえました。その時はめちゃくちゃうれしかったです。
そして、後日その子どもの親から「あれ以来笑えるようになりました」と書かれた感激のメールをもらいました。
――男性ばかりの組織なので、激しいぶつかり合いで解散やメンバーの脱退などはありませんでしたか?
平澤:一度だけ、辞めたいって言ったことがあります。
2007年の合宿のときに、メンバーがあまりにも不真面目だったので「お前らそんなに真面目にやらんのならやめるからな」って言って切れてしまいました。
荷物まとめて帰ろうとしたら、メンバーの一人の子が泣きながら「いやや、慎也くんが辞めるなんて言うと思ってなかったから考え直してくれ」と言ってきました。
あとにも先にもあんなに泣いてくれることはなかったので、あの子がいなかったら今こうしてはいられなかったです。
――会社を辞めてまでも、シンクロにかける魅力は何ですか?
平澤:誰かの背中を押すエンターテイメントを目指しているので、自分の感性に正直に生きて欲しいってことを発信したいのであれば、まず自分がそう生きるべきだと思いました。そう考えたとき、このままサラリーマンを続けるのか、それともシンクロで生きていくのか、答えは明らかでした。
――最後に2012年、今年の抱負は何ですか?
平澤:今年は世の中に出て行きたいです。今年は、みなさんが絶対に知っているメディアに絶対1本は出る。それに知名度の高い有名な会場でも公演してみたいです。
平澤:最後に、一つだけ伝えたいことがあります。今ここで僕が話していることを、そのままの意味で捉えないでほしいです。つまり、言葉に捉われ過ぎないでほしいのです。その言葉の裏側にある意味はここからでは理解出来ないことが多いです。少しでも気になる人はぜひ、一度連絡してほしいです。連絡して頂ければ僕は誰とでも話しにいきます。
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