デビュー以来、大手レコード会社に属さず、北海道を拠点に活動を続けるTHA BLUE HERB(ザ・ブルーハーブ)。北の大地から強靭な言葉と音を放つことで、東京を中心に動く日本のヒップホップ・シーンを北から動かしている。活動休止状態にあった昨年を経て、前のアルバム発表からの5年間の集大成として先日5月9日にアルバム「TOTAL」を発表した。ここに至るまでの思いをMCのILL-BOSSTINO氏(以下、B)とトラックメーカーのO.N.O氏(以下、O)に聞いた(聞き手=赤坂祥彦、写真・斎藤正志)


◆昨年を総括する言葉は持っていない

――震災が発生する前から1年間の活動休止宣言をされていました。

B:昨年、1年は言葉を扱う職業の人間として言葉を探すのに悩みましたね。その1年間の苦悶の末に今回のアルバムが形成されていき、遂に完成したと。

O:震災直後は何も手につきませんでしたね。ただ、幸い、自分には音楽制作があったので、これまで以上に向き合ってましたね。

――発表されたアルバムタイトルは「TOTAL」です。昨年を総括するという意味でしょうか。

B:昨年を総括する「TOTAL」ではないですね。誰も経験のしたことのない未曾有の危機に遭遇している訳ですから、今はまだ答えなんて誰も持っていないでしょう。逆に世の中には、予測不可能なことだらけだということを強く再認識しました。今も、昨年を総括する言葉は探している途上にあって、自分はまだ持っていません。「大変な年だった」としか言えません。

――歌詞を書く上で、震災はどのように影響しましたか。

B:より明確なメッセージを打ち出すようになりました。例えるなら、以前の作品では、自分がシャドーボクシングをしている姿を歌詞にしていたようなものです。そこに、聞き手が自分の姿を重ね合わせて、共感してくれていたんだと思います。

でも、今回は、リスナーだけでなく、東北の被災者や、この暗い世情の中で出口を見つけられない人に対してもメッセージを届けるという意識を明確に持って制作しました。自分たちのアルバムを聞いてくれた人の気持ちを前向きにさせたり、彼らの背中を押す力を持つ作品を作りたいと思っていました。

 ◆音楽の使い方は個人の自由

――震災で一番大きく変わったことは何ですか。

B:震災が起きて、大勢の人が亡くなりました。「彼らと残された人の痛みを忘れてはいけない」と思うようになったのが最大の変化かもしれません。起きたことをずっと心に留めておく。そして、日常は儚いものだという事実を心の片隅に置くようになりました。

――本作では反原発を明確に打ち出しています。音楽を社会運動のために使うことについてどう思われますか。

B:個人の自由だと思いますね。自分たちは信じる考えを、信じた音に乗せて鳴らすだけです。それを受け手がどう捉えるか、使うかまでは強制できません。音楽はただ存在しているだけです。それは、聞き手によって変化します。自分たちの音楽をどう使うかは、あくまで聞き手に託しています。そこに自由は残しておきます。

O:自分も個人の受け取り方次第だと思います。そういう受け取り方をして、社会問題解決のために音楽を使う人もいるでしょう。

――ほかのアーティストと一緒に反原発を訴えるつもりは。

B:今は考えていませんが、どうなっていくかも分かりません。あくまで、自分たちがその時、信じたものを伝えるというスタンスは保っていきます。

トラック・メーカーのO.N.O氏(左)とMCのILL-BOSSTINO氏(右)

――他誌のインタビューでは、「特定の宗教は信じないけれど、音楽の力は信じる」と仰っています。世間では、互いが「善」を主張し、対立し合っています。音楽には、対立する「善」同士を繋げる力があると思いませんか。

B:何が善で、何が悪かと断定できるほど、自分が全てを知っている訳でありません。ですので、それについては何も言えません。正直にいえば、音楽にそこまでの役割があるかどうか考えたことはありません。自分はただ、音楽を楽しみたい、楽しんでほしいと思っています。十分楽しんだ後、次に考える事がポジティブなものであるはずだと。

O:音楽はそんな不自由なものではないと思います。聞き手次第で、いくらでも変化するのが音楽のよいところではないでしょうか。

――原発に関しては、反対派にも賛成派にも一理ある中で議論が行われています。

 B:互いの非を責めることや、「体制」より恐ろしいのは、例えば、節電や政治、経済などの複雑な問題を「面倒だ」と片付けてしまう心の弱さです。ただ、誰が善で、誰が悪かをハッキリさせることに時間を費やしているのは馬鹿げていることだけはハッキリしています。

◆ゆっくり、混沌に意味づけをする方がいい

――経済格差と同時に危機感にも格差が生じていると感じます。

B:それは仕方のないことです。今は、まだ気付かない人も、これから気付いていくでしょう。恐らく、後、10年くらいは混沌が続くと思います。元通りに戻るのか、全く新しい世界が待っているかは分かりません。

――強固な社会のヒエラルキーの底辺にいる人々にとっては、のし上がるチャンスの生まれる「混沌」はある種のカタルシスのはずでした。しかし、実際、「混沌」が訪れると様子が違います。

 B:戦後60年をかけて築き上げた価値観が間違いだったかもしれないという状態な訳です。その答えをこの1~2年で出そうとするのはもったいないと思います。逆にこの混沌はいい機会だと捉えています。「豊かさ」を問い直す時代というのは良く言われることですよね。もっとゆっくり、この混沌に意味づけをする方がいいと思います。

――昨年は世界中で革命や自然災害が吹き荒れました。お二人にとって、昨年は地球規模で見てどのような年だったと思いますか。

B:それも分かりません。エジプトだって自分のことで精一杯で、ほかの国のことまで気にしているとは思えません。日本の震災、原発事故と世界各地で起こった革命を結びつけることはできません。因果関係もない。ただの偶然だと思います。少なくとも、今、その意味を考えても答えはでない。10年後にする作業だと思います。

――活動開始当初から北海道を拠点に、大手レコード会社と手を組まずに全国区に認められる存在となりました。ご自身たちの活動から被災者が復興を遂げていくためのヒントになり得ることはありますか。

B:確かに、自分たちは地方にいて、借金をしながらレコードを刷って、古い音楽業界の中で勝ち上がることに命をかけていました。コネもなく、スポンサーもいませんでした。ただ、音楽ビジネスで得た考えなどを用いて、被災地の人たちに軽はずみなことは言えません。自分たちにできることは音楽を鳴らすことだけです。無論出来ることはしたいし、力になりたいと思っています。

ただし、自分たちの本業はあくまで、音楽をつくることです。そこから、何か前向きなメッセージを受け取るのは、聞き手次第です。こうした離れた場所で受けるインタビューを通して、被災地で苦しむ人たちに限られた字数で軽はずみなことは言いたくありません。だから、一年間、沈黙を守って考え抜き、このアルバムを作った訳です。だからこのアルバムの中から前向きなメッセージを受け取って欲しいし、それをやり遂げられるであろう自信は作品の中にあります。

 O:確かに「自分たちの足で立つ」というのは正論です。自分は、震災の時「自分の家族だったらどうすればいい」と悩み、そのことについて一番、長く考えました。気安く「頑張ってください」とは言えません。言葉で伝えきれない気持ちを音楽では伝えられると思っています。

【プロフィール】
ラッパーILL-BOSSTINO、トラックメイカーO.N.O、ライヴDJ DJ DYEの3人からなる一個小隊。1997年札幌で結成。以後も札幌を拠点に自ら運営するレーベルからリリースを重ねてきた。HIP HOPの精神性を堅持しながらも、楽曲においては多種多様な音楽の要素を取り入れ、同時にあらゆるジャンルのアーティストと交流を持つ。これまで列島100カ所以上に渡って繰り広げられたライヴでは、1MC1DJの極限に挑む音と言葉のぶつかり合いが発する情熱が、各地の音楽好きを解放している。