第5回、フィリピンごみ山スラムに暮らす住民へのインタビュー。

カガヤンさん一家
職業:(父)サイドカードライバー(自転車タクシー)/スカベンジャー、(母)鮮魚販売
家族構成:父・母・2歳から16歳までの子どもたち6人
出身地:サマール地方
居住地:スモーキーマウンテンⅡ

― 略歴 ―
母親は15歳の時、単身でマニラ首都圏内に移住。1994年、22歳で結婚し家庭をもうける。子どもたちは全員スモーキーマウンテンⅡ生まれ。4月から5月末まで夏休みの2ヶ月間、長女と末息子を除く8歳から12歳までの子どもたちがゴミ拾いとして働き、家計を助けている。


―― 今までの人生の中で最も悲しかったできごとは何ですか?

「どんなに厳しくても、家族が一緒にいられれば幸せです」

長い長い沈黙の後、母親はそう口にした。

「もちろん病気になれば悩みます。お金がかかるので」

その日暮らしが強いられるスラム住民。打てば響くように言葉が返ってくる人ばかりではない。言葉少なな彼女には、ただその日その時のために脇目もふらず人生を歩んできた貫禄が伺えた。頭や心を言葉で溢れ返らせている暇もないほどに、日々のやり繰りに目を回す生活だ。
小学校2年生で中退したと言う母親に、後悔はありますかと聞いてみた。

「自分の身に起きたことへの後悔ならありません。でも、子どもたちには自分と同じ人生を歩ませたくありません。高校まで、行かせてやりたい」

カガヤンさん家の一日の収入は約250ペソ(500円)だ。午前11時から18時までの7時間、ほとんど毎日地域周辺にゴミ拾いに出る子どもたちの収入は平均たった15ペソ。ジャンクショップ(中古品買い取りの店)のバイヤーは、少ない量では買い取ってくれない。子どもたちは全員の収穫物を持ち寄りなんとか頼み込むが、相手が子どもと見ると安く買い叩かれるのが常だ。
1日3食のご飯を家族全員分確保するには十分でない収入だが、母親は決して子どもたちを埋め立て地には行かせない。新しいゴミが運ばれてくる最前線では、常に大型のダンプカーが出入りし、ブルドーザーやクレーン車が作業している。埋め立てを担当している業者はスカベンジャーたちをまるで地面にうごめくアリのように軽視し、荒々しく作業を進めていく。ゴミの山に埋もれてしまったり、機器のアームで頭を殴られ重傷を負う大人も少なくない。
子どもたちの助けについて、どう感じているのかを聞いてみた。

「悲しいです。本来は外で楽しく遊んでいられるはずの年齢です。でも、同時に幸せです。彼らが自分たちになにができるかを考え、私たち夫婦を助けようとしている。現状を理解し、明日へ一緒に進もうと努力してくれているわけですから」


――「人生」をあなたの言葉で表現すると何ですか?

「困難の連続です。収入が低く、私たちにはお金が無い。けれど生きていくには、お金がないとできないことしかないんです」

高校2年生で落第し、中退してしまった長女のマリーゴールドちゃん。フィリピンでは小学校6年間と高校4年間が無償教育として提供されているが、交通費や食費、筆記用具などにかかる雑費は自己負担だ。ただし成績が優秀な者には奨学金が出る。貧しい家庭では、特にこれが頼りとなって教育を受け続けられるか否かが決まってくる。
フィリピンではスラムに暮らす子どもも含めほぼ100%が小学校入学を果たすが、卒業に至るのは7割に留まる。奨学金は一度でも落第するとほとんどの場合で打ち切られるため、貧しい家庭の子どもはこれを機に学校に通わなくなっていく。教育から離れれば離れるほど、もう二度と教育の場に立ち入れない仕組みがここにはある。

「今の収入では、子どもたち全員を学校に通わせることはできません。隔年で交代させながら、少しずつ教育を受けさせるのがやっとです」

けれど、と彼女は続けた。

「私たち夫婦は大人であり親だから、強くならなければいけません。悲しみを露呈することは、子どもに悪影響を与える。人生を変えることはひどく難しく、そこには天と地の距離があります。だから私たちは今日のために、精一杯生きるんです」


☆インタビュアーからメッセージ~カガヤン家の子どもたちの夢~

 マリーゴールド(16歳)…先生。読み書きを知らない子どもたちを助けたい。
 メリージェーン(12歳)…先生。読み書きを知らない子どもたちを助けたい。
 クリスチャン(11歳)…兵士。人を助けられて、かっこいい。
 クリサント(9歳)…警察官。人を助けたい。
 マリリーン(8歳)…先生。お母さんを助けたい。
 クリスタン(2歳)

スラム街に暮らす子どもに夢を尋ねると、いつもほぼ同じ答えが返ってくる。理由も「誰かを助けたい」、この言葉に尽きる。日本の子どものように、“自分のための夢”を持つ自由がここゴミ山スラムにはない。花屋さんも作家も宇宙飛行士も、フィリピンの子どもたちの夢とはなり得ないのだ。
貧困は心の豊かさを生むだなどと、安く言葉にするべきではないし、彼らを大人にせざるを得ない環境があるという現実から目をそむけてはならない。フィリピンという国をかつて植民地支配した一国として、今も安い労働力として国民を利用する先進国として、日本人は自国の物質的豊かさをもう一度省みるべきだろう。
どうかフィリピンの子どもたちの幸せを、無視しないでください。関係なくなんかない、そのことをどうか心に留め、今日をまた一日、心底感じて生きてください。