これからの日本で必要とされる会社、長く生き続けることのできる会社ってどんな会社だろう。そんな“モテ企業”が持つべきモノを探すのが「モテ企業の条件」。

消費者からモテる企業、取引先からモテる企業、労働者からモテる企業、そして社会からモテる企業。そんな企業がこれからの世界で生き残っていけるのだと思う。財務や経営ノウハウも大事だけど、どんな“手段”で生きるか、の前にどんな“目的”を持つべきだろうか。「モテ企業の条件」ではそのヒントを様々な経営者や現場で活躍する社会人に聞いていきます。

第5弾は、東京都台東区の閑静な街中に建つ「行燈旅館」。

行燈旅館は宿泊客の9割をバックパッカーなどの外国人旅行客が占める。部屋数は24部屋、部屋の広さは7平米と、宿泊所としては珍しい造りの行燈旅館だが、一歩中へ足を踏み入れると、スタッフによるおもてなしの良さが至る所に垣間見える。行燈旅館を立ち上げた下町の女将、石井敏子さんに話を聞いた。

聞き手・オルタナS特派員=石井美咲、大下ショヘル
写真・大下ショヘル

石井敏子
1956年東京都墨田区生まれ。短期大学を卒業後、山谷で宿泊業を営む夫と結婚。以来、都内で簡易宿泊所に住み込みで勤務する。92年から山谷で営む簡易宿泊所・ニュー紅陽の経営が96年に傾き始め、簡易宿泊所から外国人バックパッカーの宿泊所に再建。その後、神田外語学院・観光学科で英語などを学びを経て、02年に行燈有限会社を設立、翌年6月に創業。自らが行燈旅館の顔として、代表を務める。

 


欲しい商品があれば、販売しているお店を調べて、行き方まで丁寧に説明する

■ 接客を通した外国人との付き合い方

 

行燈旅館に足を踏み入れると、そこには旅館とは思えない趣向が凝らされている。入り口を入るとキッチンがまず目に留まる。狭い空間にお茶やコーヒーなどのセルフサービスがあり、アットホームな時間を過ごすことができる。

女将が集めた骨董品が旅館の至る所に飾られ、日本らしさをアピールすることだけでなく、行燈旅館らしさを感じさせることも忘れてはいない。

しかし内装以上に力を入れているのが、おもてなしだ。

石井さんは、「チェックインが早くても、追加のお金は取りません。部屋の準備ができ次第チェックインして頂けます」と言う。

受け入れ側の準備が整っていれば、何時にチェックインしても基本的には追加料金をとっていない。部屋の準備が間に合わなければ、タオルを渡してお風呂に入ってもらう。長旅で疲れている外国人への気配りは、どんな時でも忘れない。

基本的に旅館内のサービスはほとんど無料で行っている。館内では宿泊客から極力お金を頂かないというのが、女将の考えだ。

行燈旅館が行うおもてなしは、旅館の外でのお客様にまで目を向ける。

日本に着いたばかりで、文化や習慣はもちろん、地理や人柄もわからない外国人に対して、行燈旅館のスタッフは、店をリサーチしたり、事前に店に電話で連絡をしたりと、親身なサービスを提供している。

こうして外国人旅行客との距離を大切にする一方、朝食に対するおもてなしは少し変わっている。

「朝食は洋食のみ」。これが行燈旅館のスタイルだ。和食と洋食、どちらの提供も行うというのが一般的な旅館だろう。しかし行燈旅館は、あえて和食の提供をしない。和食は日本に滞在している以上、どこでも食べることができるからだ。

「自分が外国に旅行したときの気持ちを大切にする。その国の食べ物ばかり食べていると、たまには和食が恋しくなる」

そこには女将の石井さんなりの気遣いがあった。もちろん和食の店に関するリクエストを受けたら、希望に沿った店を紹介する。日本にいるからこそ、安くて美味しい和食は専門の店で食べてきてほしいのだという。

旅の醍醐味には、失敗も含まれる。その失敗も大切にしてほしいという気持ちから、宿泊客へのおもてなしはやりすぎてはいけない。「3日泊まって3日とも同じおもてなしをされたら嫌になる」からだ。

 


2009年に新設されたMie Ishii氏デザインの家族風呂

■ 労働者の飯場から外国人向けの旅館に再建

そもそもなぜ、外国人をターゲットに再建を図ったのだろうか。

行燈旅館の前に石井さんが経営していたのは、山谷の簡易宿泊所だった。だが、他の宿泊所との競争の中で低価格化を強いられ、90年代後半から経営が厳しくなった。山谷は日雇い労働者の溜り場としてのイメージが強く、日本人観光客を呼び込むのは難しいと考え、外国人向けに東京初のデザイナーズ旅館として再建することにした。

海外の方にいかに安く、かつ快適に過ごして頂くにはどうしたら良いか考え、2003年に行燈旅館をオープンした。

石井さんは「いつの日か東京が世界で一番の観光地になることを夢見ている」という。

■ 英語力よりコミュニケーション能力が大切

これだけ多くの外国人を受け入れているからこそ気になるのが、スタッフの英語力だ。取材をしている最中も、外国人の宿泊客は次々と英語で女将に話しかけてくる。

海外旅行の経験が豊富な石井さんだが、長期滞在は一度もない。再建を機に、日常会話程度だった英語力をさらに磨こうと、石井さんは専門学校で2年間勉強し、さらに外国人客からも学んできたという。

英語が得意に越したことはないが、最終的には気持ちが大切だという考えの下、日々外国人旅行客をおもてなしする。長年旅館業を営んできた経験から相手の心や気持ちを読み取ることができるという、女将の自信が伝わった。

下手な英語を使うより、日本語で話しかけた方が気持ちが通じるときがあるという斬新な考え方は、経験なしでは生まれないということがよく分かった。

しかし今まで数多くの宿泊客と接してきたからこそ、人柄を初見で判断してしまいそうになるときもある。そこで大切なことは、先入観を持たないように、いつも頭の中は真っ白でいることだ。色目で見ないことが、人と接する上で一番大切である。

接客に精通しているからこそ、伝えたい気持ちと先入観はきちんと切り離さなければならない。人とかかわる仕事の難しさが感じられた。

 

■「私がいるから、行燈旅館はある」

様々なSNSが取り巻く現代で、どのように行燈旅館が生き残っていくか。そこには「個人にフォーカスされている時代」というキーワードが隠されていた。

「○○さんが作ったトマト」などというラベルを、最近スーパーなどでよく目にする。これは消費者に安心感を与える一方、生産者にとっては「自分が作ったからお客さんが買ってくれる」というとらえ方につながる。

石井さんの考えも同様だ。「行燈旅館は石井敏子が女将をやっているから宿泊客がきてくれる」。このように個人を全面に押し出す。石井さんの魅力を行燈旅館に取り入れていくことで、もっと多くの人に行燈旅館を知ってもらい、遊びに来てもらう。骨董品にこだわる女将のねらいは、ここにあった。

では、個人とはどのように磨いていくのだろう。

日々たくさんの宿泊客と接しながら、自分も旅館も変化していく。それが個人の成長であり、旅館が多くの人々に愛されるようになる秘訣である。そこには宿泊客とスタッフとの距離感が鍵になる。

「絶えず考える」。これは宿泊客と接していく中で忘れてはいけない言葉だ。よどみができないように変化を遂げていくことは、容易なことではない。しかし、そこに経営者ならではのやりがいを見出し、行燈旅館の成長を期待する。

行燈旅館:http://andon.co.jp/index_ja.html

 

1)適度な距離感を大切に、宿泊客の立場に立ってサービス

2)常にフラットな気持ちで宿泊客を迎え入れる

3)時代の変化に、個人の魅力を盛り込む