日本女子チームメンバー(年齢は大会当時)
小宮正江(37)キャプテン、パラリンピック出場3回目
浦田理恵(35)パラ2回目
安達阿記子(28)パラ2回目
中嶋茜(22)パラ初出場
欠端瑛子(19)パラ初出場
若杉遙(17)パラ初出場
選手村に入り、試合までの1週間は1日平均1~1時間半の練習を行った。残り3日間はオフ(休み)にし、ゴールボールは行わずにコミュニケーションを高めるよう努めた。開会式は行進のみ参加し、続く式典の様子は選手村に戻ってテレビで見守った。
試合1日目の8月30日、女子チームは試合がなかったため、男子のフィンランド対ブラジル戦を観戦して翌日の1戦目に臨んだ。
■予選リーグ
8月31日対オーストラリア(3―1で日本チームの勝利)
9月1日対アメリカ(2ー1で勝利)
2日対スウェーデン(0ー0で引き分け)
3日対カナダ(0ー1で惜敗)
この先の試合の流れを占う初戦、相手のオーストラリアは今まで日本が対戦してきたことのないシフト(逆三角形)で攻めてきたが、3-1で日本の勝利する。順調な滑り出しとなった。
今夏のアラバマ遠征の経験が生きたアメリカ戦では若手の欠端などアラバマ経験者を積極的に起用。翌スウェーデン戦では引き分けに終わり、選手たちに疲労感が出てきたのではないかと感じたという。続くカナダ戦はエース・安達以外の選手全員が出場したが惜しくも敗れた。
予選リーグは2勝1敗1分でリーグ戦Bプール通過、その翌日の4日、日本チームは試合がなかった。江黒コーチは、この日を有意義に過ごせたことが、翌日からの決勝トーナメントを戦うポイントになったという。
■決勝トーナメント
9月5日準々決勝対ブラジル(2ー0で勝利)
6日準決勝対スウェーデン(4ー3で勝利)
7日決勝対中国(1ー0で勝利、金メダル獲得)
接戦になった準決勝・スウェーデン戦。後半に安達がペナルティースローで1得点を入れるも残り30秒で1失点し、同点のまま後半終了。ここからは各選手が1人づつ投球して得点の多い方が勝利する「エクストラスロー」の対決になった。
しかし選手が一巡して2得点2失点のまま決着がつかず、ついには「サドンデスエクストラスロー」に。ここでキャプテンの小宮がゴールを決めて日本は決勝進出。日本チームがこの「エクストラスロー」で勝利したのは初めてのことだった。
決勝を翌日に控えたその日の夜、選手村に帰ると選手団のみんなから「メダルおめでとう!」とメダル確定になったことを祝福された。しかし金メダルを目標にロンドンにやってきた日本チーム、逆にこの言葉がきっかけで金メダルへの気持ちがより強くなったという。
決勝・中国戦の前、江黒ヘッドコーチはスタンド観戦を続けてきた日本のコーチ陣から相手チームの情報を得ていた。世界1位といわれていた中国だが、向こうのエースの投球など詳細を把握できたこともあって強豪・中国にも勝利、世界一に輝いた。
宴席で、江黒コーチは「ここまで来れたのは東京や京都の(ゴールボール協会やボランティアスタッフ)みなさんの協力があったからこそ。お返しするのは金メダルしかないと思いました。コートに立たせていただいて、おかげで世界の頂点に立つことができました」とチームを支えた多くの人たちに感謝の気持ちを伝えた。
この後、今回のパラリンピックで日本人で初めて主審を務めた水野慎治氏は「自分の国の国旗が表彰台の真ん中を飾り、自分の国の国歌が流れるとは夢のようでした」と喜びを語った。
祝勝会では、会場の店の女将さんに選手がメダルをかけてあげて記念写真を撮るなど、アットホームな雰囲気で夜が更けていった。
■男女両チームでリオへ始動
今年は、女子チームの金メダルで話題をさらったゴールボール界。その影響か、合宿場所ではゴールボールを最近始めたといわれる女性が練習に打ち込む姿が見られた。
一方、今回のロンドンではパラリンピック出場を逃した男子チームだが、今年も夏と冬の合宿で強化に励み、ロンドン直前の8月には女子チームの練習試合の相手を務めた。男子は4年後のリオデジャネイロに向けて初のパラリンピック出場を目指す。年が明けて1月には都内での合宿が予定されている。(オルタナS特派員=水野恵美子)
■参考
日本ゴールボール協会 http://www.jgba.jp/index.html
ロンドンパラリンピック公式サイト http://www.paralympic.org/