(記事提供:日本医師会)

バイパスのトンネルを抜けると、海側に灰色のがらんとした土地が目に入ってくる。ここ岩手県大槌町は、先の東日本大震災による津波で壊滅的な被害を受けた。



植田俊郎先生もまた、被災者の一人だ。強い揺れの後、津波警報を知らずに、近くに住む患者の様子を見に往診に出ていた。水が見えるから逃げましょう! という周りの声で、なんとか自宅兼診療所の屋上に逃げた。一瞬のうちに眼前は荒れた海のようになり、綺麗な街は跡形もなくなった。

翌日、自衛隊のヘリコプターで救助された。透析患者に付き添って八戸の病院に行き、避難所に戻った翌日から診察にあたった。

「診察って言っても、器具も薬もないから血圧測って話を聴くだけ。この震災は死ぬか助かるかで、重症者はほとんどいなかったから、避難所で持病が悪化しないように診るぐらいしかすることもなかったんだ。僕もこの町の一員だし、今まで食わせてもらってきたわけだから、医者としてできる当たり前のことをしただけだよ。」

そんな地元の医師、DMATやJMATなどの医療支援チームの活動、さらに搬送や輸送に関わった自衛隊や行政の力もあって、薬や診療が途絶えて慢性疾患で亡くなる患者さんはほとんど出なかった。日頃から開業医と病院はもちろん、歯科医や消防とも連携を取って活動してきたため、必要な支援が互いにイメージできたからではないか、と植田先生は言う。

「大槌はもともと医療過疎だったから、普段から病院と開業医の関係が深かった。昔から木曜の午後は医院を休診にして、県立病院の病棟回診を行い、夕方からはみんなで麻雀卓を囲む……。そんな関係だから、こんなことがあっても協力しあえたんだと思う」

仮設とはいえ診療所を再開し、少しずつではあるが地域の復興も進み始めた。そんな現在の課題は、県立大槌病院の再建だ。

「大槌は医療拠点を失ってしまった。今はCTや内視鏡を使うだけでも、救急車で30分かけて釜石病院に行かなきゃならない。だから再建する病院は、絶対安全な場所に作らないと」

もともと連携していた病院と地元の開業医は、今回の震災を踏まえて「もっと良い連携の形」を模索し始めている。日常的な、病院と開業医の連携、そして他の機関との関係作りが大事だということを強く実感したからだ。復興への道のりは平坦ではないが、地域の医療を支える体制がしっかりと維持されていることは、この町の大きな支えになるだろう。


記事提供元

日本医師会発行『ドクタラーゼ』ドクタラーゼは、日本医師会が、これからの医療を担う医学生を対象に発行しているフリーペーパーです。この記事は、被災地の地域医療を支える医師の姿を、全国の医学生に知ってもらうために作られたものを転載しています。
URL:http://www.med.or.jp/doctor-ase/

写真=岐部淳一郎


この記事は「東北復興新聞」から転載しています。


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