朝の気仙沼市魚市場。少し湿り気を帯びた潮風に魚のにおいが混ざる。

広く見渡せる市場で、防水のオーバーオールと長靴を身につけた人たちが目に入った。眉間にしわを寄せ真剣な表情で手際よくサメのヒレを切り分ける男性。軽トラックの荷台の上から、大きなスコップで大量の氷を掬い上げて、タンクに放り込む男性。そして、所々に、その脇で手伝う子供や女性たちの姿。



水色のスカイタンクがところどころに積み上げられ、フォークリフトは小回りをきかせてそれを運ぶ。港に横付けされた船からカツオがベルトコンベアーに乗って市場の中へ。重さを計られた後、水を張ったタンクへ入れられる。タンクのまとめられた棟の奥では、モウカザメが並び、ヨシキリザメがその柔らかそうな体を重ね、さらに奥には、角を取られたカジキマグロがその勇ましく大きな体を横たえる。

場内の雰囲気は、喧噪と緊張で、昼に見る魚市場のそれとは違う。しばらく見ていると、一人の男性から関係者以外の現場立入り禁止を告げられる。ここは働く海の人間の場所なのだ。*1

気仙沼市魚市場は、世界に誇る三陸沖を漁場とする船が出入りする漁港の一つだ。サメ、カジキマグロ、カツオ、サンマなどの魚種が水揚げされ、特に高級食材としても名高いフカヒレの生産量は日本一を誇る。この日は、サメ、カジキマグロ、カツオが水揚げされていた。この日のカツオだけでも、7,500万円相当に達した。もうすぐしたらサンマも揚げられる予定だという。*2

7月の水揚高は、およそ7,055トン。昨年の同月が2,368トンだったことを考えるとおよそ3倍。しかし、震災前の2010年7月の16,984トンと比べると4割程度。漁獲量が戻らない大きな原因は、海に出る船がないからではないという。

船は震災後から、復旧・復興の中、多くの支援により数が確保されている。課題はむしろ「『冷凍』と『加工』にあります」と気仙沼漁業協同組合の齋藤光昭さんは話す。たとえば、これから本格化するサンマは、今頃から12月頃までの間に水揚げされるが、我々の食卓に乗るもの以外は冷凍や食品加工がなされ、それが年間を通して冷凍サンマや缶詰といった形で供給され続けるのだ。

その「冷凍」や「加工」に従事する業者の多くがまだ立ち直れないでいるのが、水揚げを増やせない大きな要因の一つだ。いまは入港を希望する漁船を断ることもある。「いつまでに元の規模に戻れたらと思いますか?」という質問に、参次の菅野眞さんが「戻れるなら明日にでも、ですよ」と答えてくれた。

しかし「震災直後は、こういう風に活気が戻ってくるとは思えないくらいでした」と齋藤さんは話す。それが、昨年6月28日のカツオの初水揚げに始まり、今の姿がある。

市場で陳列された魚を見て、仲買人が入札。値がつき、買い主が決まると、あるものは一匹ずつ梱包され、あるものはタンクごとトラックに運ばれていく。そうして少しずつ魚が消え、人がはけていくと、最後にはキレイに掃除・整理され、昼頃には静かになり、再びカモメの鳴き声と波の音が聞こえるようになる。そしてまた夜が更け、朝方近くになると港の灯がともり、船が寄り、人が集まり活気づく日々の営みを繰り返す。


*1 気仙沼漁港は、2階に見学スペースがあり、一般の方はそこから見ることができる。
*2 取材の前日の8月24日に隣の大船渡市魚市場でサンマが初水揚げされた。

DATA
気仙沼市魚市場
〒988-0037 宮城県気仙沼市魚市場前8-25

写真・文=岐部淳一郎


この記事は「東北復興新聞」から転載しました。


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