1946年2月5日、マッカーサー元帥は憲法改正の条件として、「3原則」を発表した。これが、いわゆる「マッカーサー三原則」である。

1、天皇は国家元首の地位にある。皇位は世襲される。天皇の職務と権限は、憲法に基づいて行使され、憲法の定めるところにより、国民の基本的意思に対して責任を負う。

2、国家の主権としての戦争は廃止される。日本は、紛争解決の手段としての戦争のみならず、自国の安全を維持する手段としての戦争も放棄する。日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に信頼する。日本が陸海空軍を保有することは、将来ともに許可されることがなく、日本軍に交戦権が与えられることもない。

3、日本の封建制度は廃止される。華族の権利は、皇族を除き、現在生存する一代以上に及ばない。華族の特権は、今後、国または地方のいかなる政治的権力も包含するものではない。予算は英国の制度を手本とする。

上記に記したマッカーサー三原則には、「国民主権」の宣言規定には触れていないことが分かる。さらに、現憲法の「天皇が国政に関する権威を有しない」という考えも持っていなかったことが分かる。

アメリカ側が「国民主権」の考えを持たなかった背景には、同国の法制史上に理由があると、『憲法「押しつけ」論の幻』(講談社現代新書)の著者小西豊治氏は言っている。世界の憲法史上、「国民主権」が誕生したのは、1775年から1783年まで続いたアメリカ独立戦争の最中である。

日本国憲法の成り立ちをまとめた一冊

「すべて権力は人民に存し、したがって人民に由来するものである」と、「ヴァージニアの権利章典(1776年6月12日)」に記されている。この章典は、独立戦争に従軍した人々によってフランスに持ち帰られ、同国に「国民主権」を誕生させた。

しかし、アメリカでは、「アメリカ合衆国憲法(1788年)」「合衆国憲法修正箇条(1791年)」にも「国民主権」は規定されていない。「国民主権」は、「ヴァージニアの権利章典」に起源を持ちながらも、フランスで栄えたものであり、アメリカにはなかったものである。こうして、マッカーサー元帥はじめ、民政局局長ホイットニー准将には「国民主権」のアイデアが浮かばなかったのだ。

日本国憲法の核心部分を考案した「私的な研究者集団」とは

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