人身取引は基本的人権と人間の尊厳に対する重大な侵害であり、世界の国が協同して取り組むべき課題である。強制売春、強制労働、偽装結婚、臓器摘出、強制的家庭内労働、強制的物乞い、児童兵士――人身取引には様々な形態があり、日本人にとっても決して無関係な話ではない。私たちの身近に潜む、「人身取引」の闇とはいったい。タイのバンコクにてJICA専門家として活動する、百生詩緒子さんに話を聞いた。(オルタナS特派員=清谷啓仁)

人身取引に対する取り組みについて話す百生詩緒子さん

■タイの深刻な人身取引問題

タイは急速な経済発展や情報流通の高度化に伴い、1980年代以降に人身取引事案が多数発生している。タイは、日本、中近東、アメリカ、ヨーロッパ諸国などへ人を送り出す「送出国」であり、周辺諸国からの人がタイを経由しタイ以外の第三国に移送される「経由国」であると同時に、ラオスやミャンマーなどのメコン地域諸国からの被害者の「受入国(目的地)」でもある。こうしたことから、タイにおいては人身取引対策は大きな課題として認識されている。

2008年には「人身取引対策法」が制定され、社会開発人間安全保障省を中心に課題に取り組んでいる。人身取引対策に当たっては「被害の予防」、「被害者の救出と保護」及び「加害者の訴追と処罰」を包括的に行う必要がある。

人身取引のような複雑な要素が絡み合う問題に対処していくには、関係する政府機関、NGOなどが連携して包括的に取り組むことが重要であり、そのためタイ政府は人身取引被害者の保護・支援のための「多分野協働チーム(MDT: Multi-Disciplinary Team)」アプローチを採用している。

JICAはタイ政府と協働して「タイ国人身取引被害者保護・自立支援促進プロジェクト」を実施しており、MDTの機能強化を進めている。人身取引への日本の取組みは国際的な観点からも決して進んでいるわけではなく、そうした中で日本が当プロジェクトに協力する意味は極めて大きい。

日本を含めたプロジェクト関連諸国の関係者が、お互いの状況を理解し、より良い知恵を出し合う知識共創的な取り組みをこれまで目指してきた。

■貧しさだけが原因ではない

人身取引は傾向としては貧しい国で起こるケースが多いが、貧しいという理由だけで人身取引の対象となるわけではない。紛争地域、国籍を持たない人や少数民族等が住む地域、あるいは政府の腐敗や法律がきちんと執行されていないような場合には、人身取引斡旋業者(いわゆる、ブローカー)がはびこりやすい。人身取引における被害で圧倒的に多いのは性的搾取と労働搾取であり、性的搾取の被害者の多くは女性と18歳未満の子どもである。

「世界には約1200万人以上の人身取引被害者がいると言われていますが、これは貧しい国などの一部で起こっている問題ではありません。もちろん、日本も無関係ではありません。人身取引をなくすには人身取引によって利益を得ている斡旋業者を取り締まる必要がありますが、それだけでは不十分です。需要がある限り、取引は闇で行われ続けることでしょう。需要があるところに供給が生まれ、そうした構造が人身取引をビジネスとして成り立たせてしまうんです。需要を減らすためには、まずは私たち一人一人が人身取引が身近に行われている犯罪行為であること、そして深刻な人権侵害であることを強く認識する必要があります。人身取引は被害者に対して深刻な精神的・肉体的苦痛をもたらします。まずは、そうした事実を日本の皆さんにも知ってもらいたいです」(百生さん)

イベントでは白熱した議論が交わされる

■日本にとっての人身取引

人身取引は、日本人には関係のない外国人の問題だと勘違いされていることが多いが、日本で保護される人身取引被害者の約半数は日本人であるという。日本では強制売春の被害がほとんどであるが、近年は工場での強制労働も問題視されてきている。

「多様性が認められにくい日本では、人身取引だけではなく、人種、ジェンダー、LGBTなど社会的に弱い立場の人たちの人権に対する意識は低いです。問題を問題として認識できていないことすらあります。例えば、日本人がサービス残業に強制従事させられているとなると大きな問題になりますが、外国人の強制労働となると途端に軽視されてしまいがちです。ステレオタイプが先行しているのかもしれませんが、『賃金が低いと言っても、本国よりはマシでしょ。出稼ぎに来ているんでしょ。』と、それだけで片付けてしまうんです。グレーゾーンの多い風俗産業にしても、人身取引が起こっている可能性は大いにあります。犯罪の片棒を担いでいるということに気付けないようでは、こうした被害は一向になくなりません。日本に住む多くの人たちが、人身取引が日本で起こっているなんて夢にも思っていないのではないでしょうか」と百生さんは語る。

人身取引は私たち日本人の周りでも起こっている、決して目を背けることのできない問題である。「貧しい国から出稼ぎに来ている」という、それだけの認識で終わらせてはいけない。

日本を人身取引の「目的地」としないためにも、私たちはきちんとした知識を身につけ、問題をより深く考えていかなければならないのではないだろうか。問題を見過ごしてしまうのは冷酷さではなく、無情すぎるほどの知識のなさなのだから。

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