途上国の児童労働問題に取り組むNGO・ACE(エース、東京・台東)は、このほどノーベル平和賞を受賞したカイラシュ・サティヤルティさんと運命的な出会いがあった。岩附由香代表は1997年、ACEを学生5人で立ち上げたが、そのきっかけがカイラシュさんだというのだ。(オルタナS副編集長=池田 真隆)

カイラシュさんと写る岩附代表=2013年10月、ブラジルで行われた児童労働世界会議で

カイラシュさんと写る岩附代表=2013年10月、ブラジルで行われた児童労働世界会議で

岩附代表とカイラシュさんが出会ったのは、1998年の「児童労働に反対するグローバルマーチ」のキャンペーン中。同キャンペーンは、世界110カ国・2,000以上のNGOや組合が参加して、6カ月をかけて世界中を歩くものだが、インドでの行進中に、2人は出会った。

エースはもともと、このキャンペーンに参加するために立ち上がった期間限定の団体だった。キャンペーンが行われる一年前、カイラシュさんは世界中のNGOや機関に参加を要請する手紙を送っていた。当時、大阪大学大学院国際公共政策研究科1年だった岩附代表は、NGO・国際子ども権利センターでボランティアスタッフとして児童労働問題に取り組んでいた。

カイラシュさんからの手紙は、国際子ども権利センターにも届けられた。そして、岩附代表は、上司からその手紙の翻訳作業を頼まれた。世界的規模で児童労働撲滅を訴えるキャンペーンの存在を知った岩附代表は、直感で「参加したい」と思ったという。

さっそく、上司にかけあったものの、参加の許可はおりなかった。そこで、国内の団体に声をかけた。1つの団体から、参加を表明する返事を受けたが、職員1人で運営していたため、「キャンペーンに参加したとしても岩附さんたちの力でお願いすることになる」と言われてしまった。

その晩、岩附代表は家に帰り、どうすればキャンペーンに参加できるのか考えた。思いついたのが、自分たちで団体を立ち上げるということだった。思い立った岩附代表は、深夜までかけて、一気に設立趣意書を書き上げた。そして、翌日、同じ世代で児童労働に関心のある友人たちに、「一緒にやろう」と電話をかけた。その結果、岩附代表を含め5人の学生が集まった。こうして、エースは誕生した。

翌年の1998年、学生5人の組織だったが、キャンペーンは、東京と大阪で開催し、約300人を動員した。もともと、キャンペーン限定の団体であったが、動員に成功したことで、仕事をしながらも、エースとしての活動を続けることに決めた。

インドでのグローバルマーチでカイラシュさんと初めて出会った。写真真ん中がカイラシュさん、左後方に岩附代表 

インドでのグローバルマーチでカイラシュさんと初めて出会った。写真真ん中がカイラシュさん、左後方に岩附代表 

そして、キャンペーンが縁となり、エース主催で、カイラシュさんを日本に呼び、さまざまなキャンペーンの記者会見やセミナーを行ってきた。

エースは2005年にNPO法人設立記念シンポジウムを開いたのだが、そのときにも、カイラシュさんは来日し、元児童労働のインド人の男の子とともに、講演を行った。岩附代表が印象に残っているカイラシュさんの言葉は、「児童労働の原因は、貧困ではなく、政治的意思の弱さだ」というものだ。

カイラシュさんは、「お金だけでは、児童労働問題を根源から解決することはできない。この問題に対する政治的意思が欠けていることが原因だ」と考えている。岩附代表は、カイラシュさんの人柄を、意思が強く、周りの人に影響を与える力がすごく秀でていると語る。約8万人の子どもたちを児童労働から救ったカイラシュさんの影響で、児童労働撲滅に立ち上がった経営者、政治家は多い。岩附代表もそのうちの一人だ。

講演するカイラシュさん。彼の影響で多くの人が児童労働に立ち上がった

講演するカイラシュさん。彼の影響で多くの人が児童労働に立ち上がった

エースを立ち上げて10年後の2007年、岩附代表は本業としてかかわりだす。学生5人で立ち上げた組織で、これまでに1000人以上の児童労働に苦しむ子どもたちを救ってきた。

立ち上げたばかりの時期は、知り合いにメルマガを送ることからスタートした。経験したことがない記者会見の準備もし、できることから、黙々とこなして、信頼と実績を積み重ねてきた。2010年には、認定NPO法人となった。

岩附代表は、「やってきたことが、今につながっている」と振り返る。「不安要素を数え上げたら切りがない。とにかく一歩踏み出すこと」と、若い社会起業家にエールを送る。

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