朝霧裕さんは、10万人に1人の発症率のウエルドニッヒ・ホフマン症(脊髄性進行性筋委縮症)で生まれ、「明日まで生きられない」と言われた。だが、24時間の介助サポートと、友人たちに支えられながら生き延びてきた。10代半ばから「介助がすべて親がかりでは親の亡き後に生きていけない」という危機感に突き当たり、22歳でさいたま市でひとり暮らしを始め、将来の夢だったシンガー・ソングライターになった。(今一生)

ライブ中の朝霧さん(写真提供:三好祐司)

ライブ中の朝霧さん(写真提供:三好祐司)

シンガー・ソングライターになり、発音をきれいにする基礎や少しでも息を長く出す練習をオペラ関係者に4年間習った。自主制作のCDも4年前から約800枚を製作・販売した。

着替え、トイレ、風呂、食事作り、外出の付き添い(電車の乗り降り)など、すべてに介助が必要な生活だ。しかも、障がいによる多くの差別やいじめの体験、介護制度の不足、周囲の障がいへの無理解からやりたいことができないことも多かった。

それでも、この世に生まれたすべての人がやりたいことのできる社会をイメージし、 シンガー・ソングライターとして活動を続けている。その活動が少しずつSNSやクチコミで広まり、絵画展とのコラボや創作舞踊との共演などを実現してきた。

今年6月には、『バリアフリーのその先へ! 車いすの3・11』 (岩波書店) という本を書いた。朝霧さんは大地震の危機の中で「災害弱者」を痛感し、東北の障害者たちの体験を聞く旅に出たのだ。参加した脱原発デモでは、新たな差別に遭った。

「お前の車椅子は電動で電気を使ってるじゃねぇか」と言われたこともある。そして、障がい者年金や生活保護を受給してるだけで、バッシングされたこともある。生きていく自信もなくなっていくし、死んだ方がいいのかなと思うぐらいのいじめを体験したことも。

それでも、「このまま家で死んでたまるか」と思って生きてきたという。

そんな彼女が、12月13日、さいたま市ふれあい福祉基金チャリティー「第8回 彩の国ゆめコンサート」に出演し、ゲストの木村弓さんと共演を果たす。朝霧さんの作詞した歌を木村弓さんが歌うのだ。

「ゆめコン」は、脳性まひの当事者が実行委員長を務め、プログラムの表紙絵を進行性筋ジストロフィーのパステル画家・辻友紀子さんが担当している。

「スタッフ・出演者ともに障がいの有無を一切問わないバリアフリーコンサート」として先駆け的な役割を果たしている「ゆめコン」の聴衆には、「出演者で出たい」「ボランティアで関わりたい」など、関心を外へ向けるきっかけにできた人が増えているという。

「『あの人は恵まれているからいいよね』で取り合ってもらえないこともあるけど、歌を聞きに来て、『死ぬのをやめた』と言ってくれた子もいます。人それぞれ誰もがいろいろな事情を抱えてるんです。だから多様な仲間を作り、本や音楽で発信していきたい。百万人の前でライブできるのが、一番でかい夢かな」

朝霧さんの過去のライブは、彼女の公式サイトやYoutubeでも閲覧できる。

◆「朝霧裕」公式サイトはこちら

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