本を通して青少年の健全育成に取り組む伊藤忠記念財団の小林栄三理事長(伊藤忠商事会長)は、人間力を育てるには身体と頭と心の健康がカギと話す。身体と頭は自分ひとりでも鍛えられるが、心の健康は生身の相手と言葉を交わさないと磨けない。アナウンサー経験を生かして、子どもたちに読み聞かせをしている山根基世理事と、本の力で教育に取り組む思いを話し合ってもらった。(聞き手・オルタナ副編集長=吉田 広子、オルタナS副編集長=池田 真隆 写真=高橋 慎一)

伊藤忠記念財団の小林栄三理事長と山根基世理事

対談を行った、伊藤忠記念財団の小林栄三理事長と山根基世理事

――「三方よし」は、日本型CSRとして数多くの経営者に共感されている考えですが、創業156年を迎える伊藤忠商事として、その精神が今どのように生きているのか。そして、伊藤忠記念財団の設立40周年を振り返って、社会へどう貢献してきたと考えているのか教えていただけますでしょうか。

小林:創業した156年前は江戸時代末期ですが、その頃から近江商人は、売り手よし、買い手よし、世間よしの「三方よし」を経営哲学としていました。この言葉が表すように、良き企業市民として、コミュニティに認められるということを意識しておりました。

企業の発展には、自社だけでなくて、社会の発展も同時に考えなくてはいけません。「三方よし」は、われわれが生き続けるための最低条件です。この精神の延長で、伊藤忠記念財団が設立されました。

――山根さんは、ことばの杜を立ち上げて、子どもたちに朗読で読み聞かせなどをしてきました。NHKを辞めて、どういった思いで立ち上げましたか。

山根:子どもの言葉を育てたいという気持ちから団体を立ち上げました。36年間、NHKアナウンサーとして働いてきましたが、アナウンサーに対しては、少しでも言葉に関する間違いがあると、すぐ視聴者から苦情が来ます。しかし、それは、裏を返せば、NHKのアナウンサーには、ちゃんと正しい日本語を使ってほしいという期待の表れです。その期待に押されて、私たちは日本の話し言葉を磨き、そのノウハウを蓄積してきたわけです。

ですから、定年後は、そんなNHKが蓄積してきた話し言葉のノウハウを生かして社会貢献したいと考え、子どもの言葉を育てる活動にとり組みました。そう思った背景には、子どもたちが、一瞬の激情にかられて、とりかえしのつかない事件を引きおこし、自分も周囲も不幸に陥れる、そんな事件が重なっていたことがあります。

なぜそんなことが起こるのか、社会的にもいろいろな背景はあるのですが、一つの原因として挙げられたのは、言葉の力の欠如でした。自分の気持ちを言葉で表現する力がない、これは大変なストレスです。

また周囲と良い人間関係を築く言葉の力がない、語彙が少なく「バカ、死ね、ウザイ」だけでは良い関係を結べるはずがありません。

自分らしい幸せな人生を切り拓くには、自分の気持ちを表現したり、周囲と温かい関係を築く言葉の力が是非、必要だと思い、子どもたちのそんな力を育てるための活動を続けています。

――被災地にも、本の寄贈をしています。さまざまな復興支援の形があるなかで、本を通した支援活動にこめる思いを教えていただけますか。

本の力で感性豊かな人間に育ってほしいと語る小林理事長

本の力で感性豊かな人間に育ってほしいと語る小林理事長

小林:
以前聞いたある方のお話にものすごく感激しました。その方は、3月11日に被災したあと、自分の家も流されたのですが、軽トラックを借りてきて、荷台にたくさんの本を乗せて、移動図書館をされていました。

あのような環境でも、子どもたちの心が少しでも豊かになってほしいという思いで、その方は一生懸命活動していました。こういう方が日本にいる限り、日本社会はまだまだ良くなっていくはずです。この方のような活動を我々ももっと支援していかなければいけないと強く思いました。

「東南アジアに絵本を贈ろうin東北」では、カンボジア、ラオス等の東南アジアの子どもたちに本を贈るため、東北の子どもたちが翻訳シールを貼ります。私も現地で一緒に作業したのですが、母親たちの子どもの成長を願う熱意に感動しました。被災して、大変な状況でもありますが、嬉々としてシール貼りを行っていた姿が印象に残っています。

「東南アジアに絵本を贈ろうプロジェクトin東北」で、カンボジアの子どもに絵本を贈る子どもたち

「東南アジアに絵本を贈ろうプロジェクトin東北」で、カンボジアの子どもに絵本を贈る子どもたち

私たちは、義捐金を贈ることも行っていますが、本の助成の場合、贈る側の気持ちやメッセージが直接相手に伝わります。これからの世の中を支える青少年たちが、そのようなメッセージを受けとめて、感性豊かな人間力を持った人になってほしいと思います。

――本を通してコミュニティをつくっていますが、孤独が引き起こす課題の解決にもつながりますね。

小林:私は4人兄弟でしたから、家に帰れば兄弟のコミュニティがありました。しかし、最近の都会の子供たちはほとんどが一人っ子なので、彼らのコミュニティはネットやテレビになっています。

感性豊かな青少年を育てるためには、生身の人と触れ合いながら、学んでもらうしかありません。だからコミュニティをつくることが大切です。

中高生向けの講演会では、身体と頭と心の健康を大切にと伝えています。身体の健康は自分ひとりでも管理できます。運動して、栄養をしっかり取ればよいのです。頭の健康も、ひとりで鍛えることができます。色々な情報に触れ、しっかり勉強すればよいのです。ですが、心の健康は自分ひとりではどうしようもありません。自分が相手の心を健康にできる存在にならなくてはいけません。

そういう意味で、「君たちは、人をちゃんと好きになりなさい、人と向き合って理解しなさい」と伝えているのです。

山根理事は、子どもの言葉を育てるには、地域のつながりが必要と話す

山根理事は、子どもの言葉を育てるには、地域のつながりが必要と話す

山根:世にさきがけて環境問題を告発した生物学者、レイチェル・カーソンは、「知るということは感じることの半分も大事ではない」と言っています。ようするに、知識も必要だけど、その前に感じる感性があって、人間らしくなれるということです。その感性を磨く場が、自然の中に入ったり、直に人と触れあったりすることではないでしょうか。

地域社会がつながっていた昔は、冠婚葬祭の折りなど、赤ちゃんからお年寄りまでが集まりました。そこで子どもは、生身の人を見て、「人間」を肌で感じていました。

子どもたちはそこで、多様な大人の振る舞いや、言葉づかいから多くのことを、学びました。人間が生きていくための基本の基みたいなものです。もう一度、つながりを取り戻さなければなりません。地域がつながって皆で子どもの言葉を育てる意識が必要です。

そのためにも私は、朗読を手がかりに地域の人々をつなぎ、その中心になって子どもの言葉を育てる活動を進めてくれる朗読指導者を育てていきたいと思っています。

――これから伊藤忠記念財団でどういうことをされていきたいですか。

小林:少子化の中で、もっと子どもを支援しないと、という声が政府や企業で高まっています。そうした子どもたちへの本を通したソフト面での支援を引き続き行うことに加えて、社会的弱者である障害者の方にも本を読んでもらえるよう電子図書普及事業に力を入れています。

先月、伊藤忠青山アートスクエアで電子図書の展示をしたとき、皇后陛下もご覧になって、激励のお言葉をいただきましたが、今後も、子どもたちの健全な育成のためには何をすべきかを命題として色々なことに取り組んでいきたいですね。その活動が、企業の発展の大前提にあると考えています。

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