NPO法人iPledge(アイプレッジ)広報の草刈良允さん(27)は、NPO・企業など3つの仕事を掛け持ちながら働いている。エリート街道と言われたキャリアを捨て、自分の心の声に正直に、「なんだかんだ、なんとかなる」という精神で突き進む。(聞き手・オルタナS副編集長=池田 真隆)
※iPlegde代表・羽仁カンタさんのインタビュー記事はこちら
――社会活動にかかわり出したのは、大学4年生からとのことですが、きっかけを教えてください。
草刈:社会活動を始めたのは、大学4年になってからです。3年の冬に、環境NGOのA SEED JAPAN(アシードジャパン)の説明会に行きました。そこで、初めて、環境問題というものを知りました。
――どうして説明会に参加したのですか。
草刈:ぼくの代は(2011年卒)、夏休みに就職活動が始まっていました。でも、ぼくは、なんとなく大学院に行くことを考えていて、学生時代はずっと横浜の個人経営の飲食店でバイト漬けの日々を送っていました。
そのお店では、浪人が終わった次の日から、バイトしていて、週6で入っていて、朝7時に野菜の仕込みをして、それから大学に行き、授業を受け、遊んで、夕方にまたバイトに入る。夜中まで働いて、また朝仕込みをするという生活です。
でも、そのお店が3年の夏につぶれてしまい、一気に暇になったんです。そのときに、周りは就職活動をしていたので、入学式以来にスーツを着て、合同説明会に行きました。
会場までの道のりで、「ダルい」「暑い」という声が聞こえて、気持ち悪くなって、会場までなんとか行ったんですが、何もしたいことないのに、どうすればいいのか分からなくて、帰ってしまいました(笑)。その一回きりで、就職活動をやめました。
院に行くことに決めたのですが、研究室の先輩に「1年後はまた就職活動だよ」と言われ、また同じことをしてしまう。何かやりたいことをつくらないと、と思い、高校のときの課外活動やボランティアが思いつきました。
音楽が好きだったので、「音楽 ボランティア」で検索したら、アシードジャパンがヒットして、2日後に説明会があったので、友達を誘って、とりあえず行くことにしたんです。
――説明会に行ってみて、どういう印象でしたか。
草刈:翌年にCOP10を控えていて、生物多様性について説明してくれたんです、「生物多様性が・・国際会議が・・・」と。そのときは、「国際会議って何だよ」とか思いながら聞いていましたが(笑)
説明会後にその人に、年齢を聞いたら、「1個下」でした。「マジか!」と驚きましたね。
こんなやつらいるの!とショックを受けました。なんでその歳で興味を持つのか意味不明で、こっちは料理して、ライブやフェスに行って、の繰り返しだったから。
それからは大学院に行っても、ずっと、アシードジャパンで活動していました。
――草刈さんは大学院を卒業後、リクルート住まいカンパニーに入社されていますよね。どのようにして、入社を決めたのでしょうか。
草刈:大学4年のときに、友達が静岡県伊豆市の活性化を都会の大学生が考えるというビジネスコンテストを企画していました。
そのときは、アシードジャパンに入ったばかりで、企業なんてクソ食らえと思っていた時期(笑) なのに、その友達からは「NGOで学んだ人がビジコンに出たらおもしろいから、出てくれ」と誘いを受けました。
でも、とりあえず参加してみることにしました。ビジネスは分からなかったので、費用対効果関係なく、「伊豆市なんか知らないし、熱海や箱根にみんな行きますよ!」とか好き勝手言っていたら、優勝してしまいました(苦笑)。
それから、伊豆市の活性化を狙った、グリーンツーリズムのツアーを企画することになり、そのうちに自然と地域活性化に関心を持ちました。
で、地域をキーワードに活動していると、元リクルートの人にめちゃくちゃ会う。それも、全員、考え方ややることがおもしろい。それで就職活動では、「リクルートはおもしろそう」と思って、受けました。
――リクルートに入ってからはどうでしたか。
草刈:「SUUMOカウンター」というショッピングセンターの中にある店舗で、お客様に注文住宅を建てるまでのアドバイスをしたり、おすすめの工務店・ハウスメーカーをご紹介したりする“住宅アドバイザー”として働いていたのですが、目標をつくる過程で悩んでしまいました。
――目標とは売上のことですか。
草刈:数値もそうですが、「こういうリクルートマンになりたい」というイメージができなかったんです。「お金ないなら無理して家を買わなくてもいい」と思っていたので。
目標をつくることに、同期が手伝ってくれたりもしたのですが、ダメでした。目標を決めて、報告する会議が毎週前半にあり、その度に気分が沈んでいました。毎週この気分が続くのかと思うと、休みがちになり、会社に行けなくなってしまいました。2013年卒で4月に入社して、10月からは京都に転勤していたんですが、翌年の1~3月に休職して、4月には辞めることに決めました。
――いまは複数の仕事を掛け持ちしていますが、そういう働き方を選んだのはどうしてでしょうか。
草刈:正直、そうしようと決めたわけではなく、消去法でそうなった、というほうが近いんですよ。転職して、正社員になり、また同じことになったら、もう戻れないだろうという不安がありました。それがどうしようもなく、怖かった。
神奈川の実家に帰り、仕事どうしようかと考えたとき、お誘いいただいた企業・団体すべてに、なにかしらの形で応えたいと思い、バイトなら掛け持ちできたので、そうしました。
――現状はいくつの団体を掛け持ちで働いていますか。
草刈:NPOの「iPledge(アイプレッジ)」と、「マイファーム」という農業系のベンチャー企業でそれぞれ週に2〜3回ほどのアルバイト契約を結んでいるのと、週に1回程度のコミットで、「Neighbors Next U26」という次世代のマンションコミュニティを考えるプロジェクトに委託契約で関わっています。フリーランスとサラリーマンの中間、といったところですかね。
――先ほど、目標を作ることに悩んだとのことですが、どうしてだと思いますか。
草刈:前提として、リクルートの環境は良くて、育成もしっかりしているので、いまだに、力をつけたいという学生には、ほぼ100%リクルートを勧めています。
ただ、僕には、生活には困らない程度にお金を持っている人たちに家を建てるための会社を紹介することが、自分の子供、そしてその世代にとって、どんな良い影響があるのか、分かりませんでした。
――それは、喜ぶのがお客さんだけだからですか。
草刈:包み隠さずに言うと、お金がない人には、ローンを伸ばして買わせる。お金を持っている人には高く契約してもらう。それをしなきゃいけない理由が分からなかった。会社が目指す大きな世界のために、目の前の人に嫌な思いをさせているとしかその時は思えなくて。
――アイプレッジでは、広報として働いていますが、LiFE BUFFET(ライフビュッフェ)という多様な働き方をテーマとしたイベントを行っています。この企画では何を伝えたいのでしょうか。
草刈:一緒に企画した仲間の、「生き方をつまみ食いできるってことだよね」の一言から、「ライフビュッフェ」と名付けました。
ここまで話したような僕自身のキャリアを人に話すと、エリート街道、といわれることも多いですが、そんな僕でも、就職活動では何をしていいのか分からなかった。それは大手求人サイトしか見ていなかったからだな、と思っていて。世の中には、NGO/NPO業界で働いている人もいるし、起業している人もいる。大企業でサラリーマンをする以外にも選択肢は無数にある。そんなこと、僕は大学4年生までは知らなかった。
就職を控えている大学生や、転職を考えている社会人1—3年目くらいの人たちに、そういう選択肢もあると知ってから、進路を選んでほしい。押し付ける気持ちはないですが、そう考えながらイベントをつくりあげています。
――草刈さんは、NGO/NPOや地域活性化にかかわり、多くの人と出会ってきました。このイベントでは、人のつながりを生かした形ですね。
草刈:このイベントには恩返しの気持ちもあります。アシードジャパンや、地域活性化にかかわれ、大学4年からのたった2年間で、2,000枚もの名刺が集まりました。もらった人脈や出会いは次の世代に、何かしらの形でつなげないといけないと考えています。
また、このイベントのゲスト控え室で話していたことなんですが、「なんだかんだ、なんとかなる」というメッセージも大切にしたいと思っています。どんな生き方を選んでも、信じて、応援してくれる仲間を大切にしながら進んでいけば、なんとかなるということです。
大企業に入れないとマジでヤバいと思っても、いやいや見ている世界だけが全てではない。キミが求められる場所は絶対にある。そう伝えたいです。
草刈良允(くさかり・りょうすけ)
1987年横浜生まれ。理系大学院を卒業後、2013年に(株)リクルート住まいカンパニー入社。神奈川・京都・滋賀の「SUUMOカウンター」で住宅アドバイザーを務めた後、より柔軟でおもしろい働き方を実践したいと思い、2014年4月に退社。27歳の現在、広報・マーケティング・ライティング・新規企画など、ニーズに合わせた多様な業務で、複数の組織と仕事をしている。