――濱中さんは高校生の頃から、ごみゼロナビゲーション(以下ごみゼロ)の活動に参加してきましたが、きっかけは何だったのでしょうか。

濱中:初めて参加したのは1999年のときのフジロックフェスティバルで、当時高校2年生でした。きっかけは、通っていた高校の総合学習の授業で、NPOを訪問して、レポートにまとめるという課題が出されたことです。

そこで、アシードジャパンを知人に紹介され、iPledge(アイプレッジ)の現代表であるカンタ(アイプレッジでは、年齢差関係なくメンバーどうしのことを親しみを込めて名前で呼んでいる)と出会いました。ぼくは音楽が好きで、ロックスターに憧れて髪の毛も長髪だったこともあり、カンタから「よかったら、フジロック行かないか?」と誘われ、そのときは、憧れていたフジロックに行けることがただただうれしくて、即決で「行きます!」と返事をしました。

――それ以来、15年この活動を継続していますが、初めて高校生で参加したときの印象はいかがでしたでしょうか。

濱中:衝撃を受けたのは、初めて参加してから1年後の高校3年のときでした。当日ボランティアをまとめるコアスタッフで、同い年の人がいたんです。コアスタッフになれるのは、最低でも大学生からだと思っていたので、その人を見て「もう俺の年でもコアスタッフとして活動できるんだ」と思い、フジロックが終わったあとに、コアスタッフの説明会を受けに行きました。

大学生になっても活動は続けていて、その後、就職活動の時期になっても、企業に勤めているイメージがわかなくて、なぜなら、子どもの頃から環境教育を受けてきたので、NPOやボランティアに対して、何か特別な活動というわけではなく、むしろ自然な取り組みという印象を持っていました。そのため、カンタからここで職員にならないかと誘われたときも、自然に「よろしくお願いします!」と返事をした気がします。

若者には、「挑戦を恐れないで、一歩踏み出して」とエールを送る

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――2012年に、羽仁さんがiPledge(アイプレッジ)を立ち上げましたが、そのときは羽仁さんの右腕として、立ち上げ準備にかかわったのですね。

濱中:カンタとは高校からの仲なので、カンタが独立するというときもついていきました。アイプレッジでは、ごみゼロのボランティアマネジメント、イベントで配布するリユース食器の管理、イベント製作会社との連絡など、責任ある立場でさまざまなことをしています。

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