難民について、世界中で大きな議論が巻き起こっている。当事者である、難民とならざるを得ない彼らは、今どのような気持ちを抱えているのだろうか。彼らに家族はいるのだろうか。ノルウェーのオスロで、第8回目となるHuman Rights Human Wrongs Documentary Film Festivalが開催されている。このフェスティバルのディレクターであるKetil Magnussen氏に話を聞いた。(早稲田大学高野ゼミ支局長=石黒 真彩・早稲田大学文化構想学部3年)
メキシコ、シリア、コロンビア、セネガル、アフガニスタン、中国、パキスタン、ビルマ、チベット、コンゴ、ルーマニア、ウクライナ・・・これらの地域で人々はどのように暮らしているのかと、彼らの生活について想像することは出来るだろうか。そして、私たちには直接関係のない人たちだと言ってしまってもいいのだろうか。
Human Rights Human Wrongs Documentary Film Festivalは、今年で6度目の開催となる。ドキュメンタリー映画の上映だけでなく、映画の製作者や専門家を招いたセミナーやディベート、アート作品の展示が行われている。
ディレクターのKetil Magnussen氏は、この映画祭のゴールを私たちに語った。「この映画祭のゴールは、人々の目を現在起こっている様々な出来事に向けることだ。ただのひとごととして目を向けるのではなく、ドキュメンタリーフィルムを通して一人ひとりに実際に世界で起こっているさまざまな出来事の一部として参加してもらうためだ」。
ディレクターの言葉の通り、映画祭の魅力は、「気づき」にある。専門家や研究機関など、38組ものパートナーの協力のもとに成り立っているこの映画祭は、様々な「色」を持っている。時には理論的に、時には分析的に、時には感情的に、そして時には感覚的に「私たちはこれらの地域の人たちと繋がっているんだよ」と参加者に訴えかける。
実際この映画祭に参加したオーストラリア人の学生は、「自分がオーストラリア人でも、シリアで実際に何が起きているのかを見ることができた。彼らにはなれないけど、彼らの感情を感じることができた」と語った。
正解のない大きな問題を目の前にした今、私たちに求められていることは「知り」そして「考えること」なのではないだろうか。そして専門家や研究者と協力し、彼らの研究だけに留まらず、この映画祭のようにどのようにたくさんの種を、社会の中で蒔くことができるだろうか。
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