タイトル:電園復耕~大通りからそれて楽しく我が道を歩こう

なぜ人を押しのけて狭き門に殺到するのか?自分を愛し迎えてくれる人たちとの人生になぜ背いて生きるのか?
この書き下ろしは、リクルートスーツの諸君に自分の人生を自分で歩み出してもらうために書いた若者のためのお伽話である。(作・吉田愛一郎)

◆都会の荒涼-放射能は東京にくるのか?-

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あんまり辛かったからビールのロング缶を飲み干した。
次の缶で口をブクブクしながら辛さを胃袋に流した。
辛さが和らぎ、軽い酔いが回ってきた。末広も窓の外を見ながら飲んでいた。春の日が差し込んで雀の声が聞こえてくる。
昨夜からつけっ放しのテレビは原発事故と津波が交互に映し出していた。風向きによって放射能が東京に飛んでくると言っている。
「江戸は花盛りじゃ」末広がつぶやいた。
放射能って実際は何なんだろうと啓介は思った。
少し眠くなった。
満開の桜が頭に浮かんだ。ポトマック河の桜、千鳥淵の桜、目黒川の桜、その花びらが花吹雪となって、舞いだして水面に落ちるとその川が盛り上がり、ピンク色の濁流となって船や家を押し流しだした。大勢の人が浮き沈んで阿鼻叫喚の声が聞こえる。やがて水はくすんだ銀色となり、人々はその重い液体に溶けてゆく。ヒロシマ、フクシマという声が聞こえてきた。うとうとしてしまった。
「花見どころじゃねーぜ」末広が声を上げた。
啓介は涎をぬぐった。

「会社に行ってみます」
「そうか」
「お世話になりました」
「あゝ」

図

春風をうけて並木通りを歩いた。いつもより二時間早いだけで大手町はかなり違って見える。カラスがビニール袋に入ったごみを突いていた。電線に止まっていた他の二羽が向かい風をうまく受けながら並んで降下すると、歩道の上20cmくらいを浮きながら足を前方に出しながら少し浮上してビニール袋に止まろうとすると、前にいたカラスが錐もみをしながら一メートルほど飛び上がって滞空した。

仕事の取り合い?金の奪い合い?しかし争いながら決して殺し合いまではいかない。残飯なんかこいつらにやってしまったらいいのにと啓介は思った。なんで犬や猫やカラスが余ったものを食ってはいけないのだ。狩のおこぼれをもらうために犬は人間と共存するようになった。猫はネズミを捕るために、そしてカラスはごみを片付けるために人里に住んでいる。

ハイエナがサバンナの掃除人なようにカラスは街の掃除人じゃないのか?カラスが残飯を散らかすのではなく、カラスが食べきれない量の残飯が街にはあるのだ。もっとカラスが来ればごみはなくなる。ではわざわざ用意したビニール袋はどうだ?カラスはビニールを食べられない。ばかばかしい。ゴミを捨てるためにゴミを作っているのだ。賞味期限など決めずにさっき訪ねたコンビニの棚のように、乏しい量の食品を包装などせずに並べるだけでいいのだ。

文・吉田愛一郎:私は69歳の現役の学生です。この小説は私が人生をやり直すとすればこうしただろうと言う生き方を書いたものです。半世紀若い読者の皆様がこんな生き方に興味を持たれるのであれば、オルタナSの編集スタッフにご連絡ください 皆様のご相談相手になれれば幸せです。

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