NPOや市民団体などにマネジメント支援を行うNPO法人CRファクトリー(東京・台東)が創業15年を迎えました。代表理事の呉哲煥(ご・てつあき)さんはこの15年を振り返ると、「前半は理解されない日々だった」と打ち明けます。どんな思いで、NPOを経営してきたのか。将来、NPOを立ち上げたいと思う人には必見の内容です。

2016年4月1日で独立・起業してからちょうど15年を迎えます。2001年3月31日に26歳で会社員を辞め、「世の中にあたたかいコミュニティをたくさん増やしたい」といって無謀にも独立してここまでやってきました。いま思えば、長かったような、あっと言う間だったような・・・。(NPO法人CRファクトリー代表理事・呉 哲煥)

非営利組織のコミュニティ支援を15年続けてきた

非営利組織のコミュニティ支援を15年続けてきた

15年間を振り返ると、特に前半は「理解されない日々」でした。異業種交流会やイベントに出かけては自己紹介しながら説明し、あるときはプレゼンし、あるときは身近な仲間や家族に説明し、どこにいってもほぼ理解されず、怪訝な顔をされて、批判されるような日々でした(苦笑)。

当たり前です。ちゃんと説明できていない、実績がない、自信もあまりない(半信半疑)。
そもそも目に見えない、今までにない新しいことをやろうとしてるのだから、あまり理解されないのが基本構造なんですよね。
2001年当時に、26歳の若者に、「あたたかいコミュニティを増やしたい」とか言われても、心から「そうだね!」なんて今の私でも言えないと思います(笑)。

それでも人間だから理解されたいんですよね。
理解されないたびに、批判されるたびに、「あの人はわかっていない」と相手のせいにしたり、「これは本当に必要なんだろうか。着想・企画が間違っているんじゃないか」と過度に自信を失くしたり。そんな心折れそうなもんもんとした時間をだいぶ長く過ごした気がします。

そのような経験を経て、今に至り、強く思うことがあります。それは「理解されなくても、やる」です。
理解されなくても、やるんです。

やりたいこと・信じた道ならば、理解されなくても、やるんです。「理解されるかどうか」「共感されるかどうか」は、企画の適切さを見直す意味では重要なフィードバックではありますが、自分がやり続けるのか、やめるのか、を決めるための要因・判断基準にはなりません。
「理解されようが、理解されまいが、やる」かどうか、やりたいかどうか。そこに本質があるような気がします。
特に、起業や新規事業には圧倒的に求められる精神だと思います。

現実においては、事業・活動は仲間がいないとできないですし、仲間と一緒に熱く楽しくやりたいものです。
まわりから評価されて、関心を持たれて、参加してくれる人が増えれば、これほどうれしいことはありません。
しかし、たとえ・仮に・万が一、まわりからあまり評価されず、1人だけになったとしても、それでもその事業・活動をやるのか・やりたいのかどうか。

その問いはとても重要・有効な問いだと思うし、大きな判断基準になってくれると思います。

私が愛用しているゲーテの言葉で「自分一人で石を持ち上げる気がなければ、二人がかりでも石は持ち上がらない」という言葉があります。
これは団体のトップや事業部長、プロジェクト責任者など、あらゆるリーダーに必要な姿勢・覚悟だと思います。
仮に自分一人であったとしても石を持ち上げる気があるというのは、とてもパワフルです。
その姿勢・覚悟にまわりの人たちは力を貸してくれます。
その姿勢が人を惹きつけ、多くの共感者や仲間が増えていきます。

こんなことをわざわざ書くのは、私が理解されずに苦しんできたからでもありますし、いま理解されずに苦しんでいるリーダーたちにエールを送りたいからです。
また、理解されないことでひよっている人に発破をかけたいからです。
自分がやりたいことなら・信じた道ならば、理解されなくてもやる。
たとえ・仮に・万が一1人になったとしてもやる。
その姿勢・覚悟こそがとてもパワフルなのだと思います。

「理解されない日々を超えて」。
この言葉が15年経った今の地平から最も言える言葉のような気がします。
これからも自分の信じた道を仲間と共にしっかりと歩んでいきたいと思います。

NPO法人CRファクトリー
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