新潟県十日町市にある、小さな山あいの集落「池谷集落」。この集落に移住した福島美佳さん(十日町市地域おこし実行委員会メンバー)から移住希望者向けの家を建てると言うプロジェクトをファンドレイジングで進めていると言う話を伺った。限界集落から脱出し奇跡の集落とも言われる同所の新しい挑戦だ。(オルタナS特派員=伊藤きっこう)
池谷集落は、昭和30年代には37戸170人以上が暮らす賑やかな集落でだったが、高度経済成長とともに人口が流出。いわゆる「限界集落」という状態になった。
2004年10月23日、新潟県中越沖地域でマグニチュード6.8の大地震が発生した。池谷集落も被災し、住民全員一週間近隣の小学校で避難生活を余儀なくされた。
山や田んぼが崩れ、道路がひび割れ、神社の鳥居も落ち、一瞬にして今まで見ていた風景が変わってった。地震を機に2世帯が集落を離れ、一時13人になった住民は、「もう村をたたむしかないのだろうか」と、そんな言い知れぬ不安を感じたという。
しかし、そんな池谷集落に、奇跡が起きる。全国各地から支援の手が差し伸べられたのだ。国際協力NGO「JEN」や新潟県内のNPO法人、市民団体、個人ボランティアが続々と池谷集落に駆けつけてきた。
最初は「ボランティアってなんだ?」と懐疑的だった住民も、見ず知らずのボランティアが集落のために汗水たらして手伝ってくれる姿を見て、少しずつ元気を取り戻していった。
やってきたボランティアも「手伝いに来たはずが、逆に元気をもらった」と集落の自然や住民の人柄に感激し、多くの方がリピーターとなり絆を深めていった。
池谷集落では、やってくるボランティアの受け皿として、住民を中心とする「十日町市地域おこし実行委員会」を発足。震災復興以後も、過疎化問題に対して様々な活動を実施してきた。
都会との交流イベントを続けていくうちに、「自分も池谷集落に住みたい」という若者が現れた。20代30代の若者、3世帯5人が池谷集落に移住。6世帯13人だった集落は8世帯18人となり、「限界集落」と呼ばれる状態から脱出し「奇跡の集落」と呼ばれるようになった。その後、子どもも産まれ、2014年現在では9世帯21人にまで増えた。
しかし、震災当時60代後半だった昔からの住民も、現在では70代後半となり、田んぼを手放す人も現れた。どの農家も「あとどれだけ農業を続けられるか分からない」と不安を抱えている。
池谷集落が長年守ってきた田んぼ、自然、農業や生活の知恵を途切れさせたくない。「自分たちの農業を引き継いでもらいたい」「集落の後継者となる新しい住民にもっと来てもらいたい」。そう強く願う池谷集落は、新しい挑戦に踏み出した。
それは、移住希望者向けの新しい家を建てること。日本有数の豪雪地帯であるがゆえ、離村する際は、みな家を壊すために、集落には人が住める空き家がない。議論を重ね、ついに小さな移住希望者向けの住宅を自己資金と寄付金、助成金で建てることに決めた。住宅は同時 に、農業後継者を育成する場ともなる。同住宅が後継者不足に悩む池谷集落の希望の光となることをめざし、かつ、同じような問題に悩む他の集落の参考になればと思っていると、福島さんは話した。
日本の食糧供給を担う農村の存続をめざす同企画は、同時に都会に住む人たちのためにもなるし、池谷集落の挑戦を応援するだけでなく、日本の農村を取り巻く現状・課題に関心を持つ格好の事例ではないだろうか。
◆「READY FOR?」で進行中の「農業後継者育成のための住宅を新潟県魚沼産の棚田米で作りたい!」企画はこちら
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