熊本地震で大きな被害を受けた熊本県益城町。災害時に被災情報の伝達はどのようにして行われたのか。「広報ましき災害臨時号」を発行している益城町復興課広報係の遠山伸也氏に話を聞いた。(松本ゼミ支局=佐野 こゆ季・武蔵大学社会学部メディア社会学科1年)
前震発生直後は住民からの情報をもとにした周辺の捜索を行い、次の日には職員が各避難所に出向いた。役場も対応に追われ、避難所も混乱していたため、なかなか広報の仕事ができなかったという。
そして地震発生から16日後の4月30日に広報ましき災害臨時号第一号が発行され、避難者への配布が行われた。これまで第13号まで発行され、罹災証明の受付、震災がれきの分別ルール、仮設住宅の受け付けや役場の業務再開など、暮らしに必要な情報がつまったこの広報誌は、住民にとって役に立ったに違いない。
「仮設住宅もできてきたが、まだ施設などに避難している人もいる。完全に安心して生活できる状況ではない。これからの広報誌は町民が精神的に安らげるような情報も載せていきたい」と遠山氏は話す。
「危険」と書かれた紙が貼られ一階から倒壊した家、屋根瓦の落下防止のビニールシートで覆われた屋根、崩れ落ちた石垣――今も当時の悲惨な爪痕が色濃く残る。遠山氏も「まだまだ落ち着いたという実感はない」と繰り返したように、普通に暮らしに戻っていないのが現状だ。しかし、益城町復興市場・屋台村ができるなど、元の生活を取り戻そうと着実に動きだしている。
今回の熊本取材で、県内でも地域によって被害の大きさや復興への歩みの速度が違うことを実感した。ただ、同じことは、元の生活を取り戻し以前よりももっと良い地域づくりをしていこうという力強い思いだと感じた。完璧な復興には時間がかかるだろう。しかし、たとえ小さな一歩でも前に進んでいくことが、大きな未来へと繋がっていくのだと思う。
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