震災から一ヶ月がたち、徐々にその被害状況が把握されてきた。
被害が甚大とされる陸前高田や石巻などは早くからマスコミにも取り上げられ、
外部から多くの人が支援に向かっている。

そんな中、宮城県亘理町では“被災地が被災地を助ける”という動きが始まって
いる。

キーマンは松島宏佑さん(24)。
普段は島根県海士町にて地域づくりの企業に勤務する青年だ。
宮城県白石市出身の彼は、自らの実家も被害にあった被災者の家族。
震災を受けて宮城に戻り、現在は白石市の隣町である亘理町にて支援活動に奔走。
ボランティアのための宿を確保し、多くの人を受け入れることに成功した。

宿を提供したのは宮城県の遠刈田温泉にある、小規模高級宿の
「温泉山荘だいこんの花」支配人、渡辺千尋さん。
震災の影響を受けて休業していた間のうち、4月8日~20日まで、無償で
ボランティアに宿を提供した。

亘理町で起こった新しい支援の形について聞くため、二人を訪れ、お話しを
伺った。

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「白石は大丈夫。隣町を助けてやってくれ」

――なぜ地元の白石ではなく、隣の亘理町で活動しようと思ったの
ですか?

(松島さん以下松)もともとは、白石を支援しようと思って地元に帰りました。
しかし戻ってみたら意外とみんな日常生活を始めていたんです。
スーパーも空いているし、電気やガスも使えるようになっていました。
でも何か自分にできることはないかと考えて避難所を回りました。
そうしたら色々な方にこう言われたんです。

「確かに俺らも大変だよ。だけど海に近ぇ方はもっと大変だ。だから隣町を助けてやってくれ」

これを聞いて、ますます地元のことを好きになりましたし、ここは大丈夫だと感じました。それで隣町へと活動拠点を移しました。

――拠点を移してからは、どのように動いたのですか

(松)最初の2週間くらいは空振りの連続でした。避難所の方に向けた温泉ツアーや、著名なアーティストのライブ中継なども試みましたがどれもうまくいきませんでした。でも、必ず何かできると信じていました。

――それはなぜですか?

(松)明らかにニーズがあったからです。自分自身もガレキの撤去やヘドロのかき出しなどのボランティアをするなかで、まだまだ人が足りないことを痛感しました。
一方、私のところには何かできないかという問い合わせが電話やメールやtwitter
などでたくさん来ました。だから必ずやり方があるはずだと確信していました。
じゃなきゃ2週間も一人で活動するのは無理です(笑)

(2)へ続く