タイトル:電園復耕~大通りからそれて楽しく我が道を歩こう

なぜ人を押しのけて狭き門に殺到するのか?自分を愛し迎えてくれる人たちとの人生になぜ背いて生きるのか?
この書き下ろしは、リクルートスーツの諸君に自分の人生を自分で歩み出してもらうために書いた若者のためのお伽話である。(作・吉田愛一郎)

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◆野球との別れ

ダン ヨシダは監督から重宝がられた。送りバントやセカンド方面にゴロを打つ進塁打を嫌な顔をしないでこなしたからだ。アメリカでは当たり前だったからだ。もちろんタバコは吸わず、当時コーチたちまでもやっていたマージャンなど付き合わなかった。

そしてみんなが遊んでいる時に彼は178センチ76キロの小さい身体をカバーするウエイトトレーニングを欠かさなかった。当時、球団は筋肉トレーニングの施設をもたず、フィットネスジムなんてものもなかったから、ダンはボディービルなどと看板に書かれていた町の道場に通った。他の選手は「そんなトレーニングなどすれば余分な所に筋肉がついてかえってよくない事になるぞ」などいっていたが、彼はその年、打率2割8分5厘、盗塁20を決めた。守備に回っては、セカンド、ショート、センターレフトを守りチームにとても貢献したと自分でも満足していた。

しかし、シーズンオフにアメリカMLBから38才の黒人スラッガーが入団するという噂が流れた。その黒人ホームランバッターは日本にやって来る初めてのメジャーリーガ―で、ダンもハイスクールの時TVで見たことのあるスターだ。盛りをずいぶん過ぎてはいたが、6.2フィート、250パウンドもある巨漢は他を圧倒した。

ダンはTVで見たことのあるスターと同じチームでプレイできることが嬉しかった。いつ来日するのかと楽しみにしていた。しかしそのスラッガーと一緒にプレイすることはなかった。来期の選手としての契約はしない旨の電話が球団から来たのだ。通訳としての契約の話があったがダンは断った。

そして年が明けるとアメリカに向かった。アリゾナのフェニックスのMLBの3Aのスプリングキャンプに参加するためだった。知ってはいたが3Aの待遇は酷かった。日本のパリーグより酷かった。メジャーが天国だから、その惨めさは際立った。しかしダンはその3Aからもオファーを貰えなかった。

ダンはそれほど落胆しなかった。むしろ久しぶりのアメリカを楽しんだ。ダンはMBAのバスケットボールを見たり、メジャーリーグベースボールの試合を見たり、スポーティンググッズの会社を訪問したりした。ディズニーランドやハリウッドなどには興味がない自分を変人だと思った。しかしアメリカのスポーツ業界はとても魅力的だった。日本のプロ野球よりも魅力的だった。アメリカ式のコーチングやトレーナーの存在とテーピング、そしてダンは何よりもスポーツドリンクに興味が湧いた。なんだかワクワクして来た。

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