SNS、マーケティング、モバイルは、次の時代の雰囲気やブームを生み出すキーワードだ。世代間の感覚や感性の違いが生み出されているだけではなく、仕事に始まり、暮らしや移動や消費にも大きな影響を与えている。

今回、第四弾は、「ポリモルフィック・センスメイキングの時代」と題し、情報社会基盤となったSNSが生み出している価値観やそれを取り巻く時代の雰囲気のポリモルフィック化(多形化)について議論を展開する。

センスメイキングとは、意味(sense)の形成(making)のことである。周りの状況を察しながら、状況の意味づけや仲間との合意が生まれている。インターネットに、あたかも目や耳を持つかのように多様なセンサーとつながるIoTや人のように考えるAIが加わり、SNSのコミュニティーにさらに多形な価値観が生まれる新しい時代になろうとしている。

筆者は、松永統行氏(国際社会経済研究所)と若者からシニアまで多様な世代の消費動向に詳しい元伊藤忠ファッションシステムの吉水由美子氏のもとを訪れた。

若者の消費傾向に詳しい吉水氏

情報技術が生み出す時代の価値とセンスメイキング

池田:今日は情報技術が大きく変わることによって生まれてくる時代の価値観や感覚についての議論ですね。

松永:そうです、今、コンピュータが眼や耳のような感覚器官を持ちはじめたといわれています。デジタルカメラが笑顔を認識するようになっていますし、スマートフォンに話しかけると、コンピュータが反応するようになってきています。

カラオケマシンが歌の審査員をするような時代にもなりました。まだまだ、人のようにはできませんが、このような多くの情報技術が急速に進化して、私たちの生活に浸透してきています。今日のテーマはセンスメイキングです。

吉水さんは、時代の雰囲気を切り取る専門家で、著書に「漂い系の若者たち」があります。

この本は、ケータイでi-modeが出た頃のコミュニティや時代の雰囲気を切り取った本ですよね。

吉水:そうです。もういつのことやらという感じの昔ですよね。

■デジタル空間での新しいつながり方の登場

松永:しかし、この頃に、デジタルでの新しいツナガリ方が生まれました。ケータイは私たちの予測を超えながらスマートフォンに進化しました。そして、SNSの登場と重なり、新しいコミュニティを創る力が生まれ今に至っています。

吉水さんは、時代の雰囲気を捉える専門家で、このようなデジタル化の新しい変化を捉えてこられました。一方で、人間が本来持っている本性のようなものも同時に捉えます。例えば、あたかもデジタル化への反動のように広がった、スピリチャルなものが流行り出す時代の空気も切り取ったりされています。

吉水:ファッションという枠組みで現象をみてきているのですか、狭い意味でファッションを洋服のトレンドとだけで捉えるのではなく、人々の気分とか時代の価値観もファッションという広義で捉え、時代の流れや変化、その兆しに関わるものを幅広く掬い取ってきました。

この前、化粧品の1950年代くらいからのCMを若いリサーチャーと一緒に見ていたのですが、反応するツボが全く違っていたり、世代が異なっても同じだったりする。

その時の空気感を思い出して見ている私と、初めて見ましたという感性が交差するので、時代が創り出してくる感覚や価値観というのはとても面白いと思います。時代の特徴を洞察するときには世代間のダイバーシティーもとても重要だと思います。

松永:時代は繰り返しますし、一旦巻き戻して、振り返ってみるのも面白いのではないかと思います。現在、これだけ情報過多になると、足すのではなく引いていって、シンプルになった方がいいという流れも出てくるような気もします。そうであれば、一旦無かった時代に戻って考え直してみることが参考になるのではないかと思います。

吉水:今、i-modeの2003年頃を振り返ると、何かのデバイスで、個人と個人がつながることをはじめて体験した時代ですよね。メールによる文章と絵文字のコミュニケーションがスタートラインだったと思います。絵文字文化は今でも残っていて、スタンプをLINEやメッセンジャーで送って、今でも、皆が使って喜んでいます。

■デジタル時代の同調性と価値観

池田さんは、2003年の頃は、何歳だったんですか

池田:十三歳だったと思います。ゆとり世代と言われます。

吉水:弊社の世代分析のカテゴリーでは、ハナコジュニア世代ですね。ハナコという女性誌を読んでいた世代の子どもの世代です。ハナコジュニア世代の上を、プリクラ世代と名付けていて、ギャル、ギャル男という言葉が生まれた世代です。この後から清潔感溢れる、優等生的な若い人たち、ハナコジュニアが出てきました。その次がLINE世代です。

松永:ハナコジュニア世代とライン世代の違いはどこにあるのですか。

吉水:あまり変わらないのですが、LINE世代はデジタルネイティブ第2世代で、より同調性が高くなります。LINE世代は、皆と一緒とか皆から大きくはみ出さない世代で、ファッションについても、上の世代は、メインな関心事で自己表現だと思っているのですが、この世代は、皆と気分を合わせるのがファッションだと思っていて、今日の気分の表出くらいに軽く捉えます。ファッションに凝って差別化している人は、サブカルチャーの一部に属した人と捉えます。

松永:池田さんの世代はどんなふうに同調性が高いのですか。

池田:私の頃は、まだ、ポケットモンスター等を皆が持っていたと思いますし、ミリオンヒットが残っていた時代と思います。今、若い人はいろいろな趣味を持っています。皆で一緒にゲームをやったりというのはあります。

吉水:皆で勉強したりしませんか。資格を取る等で。

池田:それはあるかもしれません。一人より、やるんだったら皆でやろうよというのはあります。

吉水:お互いに励まし合って進む世代で、その前の団塊ジュニア世代までは、資格取得というとちょっと人より秀でたいとか、自分のサバイバルツールと思っているのですが、池田さんの世代は、皆と一緒に取ろうよという雰囲気がある世代です。

池田:LINE世代のアンケート結果の中で、魅力を感じないもののキーワードの中に、女性にも男性にもエシカルという言葉が上位に入っていますが、その背景はどんなふうに捉えたらいいのでしょう。

吉水:トレンドワードが並べられた定量調査なので、また、魅力を感じる感じないで選んでもらっているので、おそらく、エシカルについては、エシカルという言葉は知っていて、その意味が嫌なのではなくて、トレンドワードであるのが嫌なのではないかと思います。

池田:なるほど。

松永:同調する世代なのに、皆が同調しているトレンドワードが嫌いなのですか。

吉水:それはすごく不思議ですね。

池田:とてもよくわかります。今はメディアの世代じゃないですか。私たちの次のLINE世代は、ソーシャル感度が高い世代なので、エシカルという言葉はトレンドになりすぎている、ゆえにあまり魅力を感じなくなっているということですね。エシカルの価値観には共感するけれど、言葉はトレンドになってしまっているので魅力を感じないんですね。

吉水:ラベリングが嫌なのではないですか。

池田:わかります。消費するよりも、自分たちで作りたいという願望が強いので、価値観を押し付けられると自分たちのものではないと感じる。作り出すことによって消費している。

吉水:そうですね。何かしらこう、「あてがわれた感じ」の何かが嫌ではないですか。

池田:クルマを買わないというのも、私たちの世代のモノではないという感覚があって、自分たちの世代のモノで何かを作り上げたい。iPhoneは、自分たちの世代のモノという近さがあって、テクノロジーに対して、向き合って使い込んでいく。

クルマとiPhoneを比べると、クルマは上の世代のモノという感覚があって魅力がなくなるという、一方で、アップルが作ったクルマなら乗ってみたいということになる。自分たちの世代のモノを作りがしたい。

■情報空間の中の居場所

松永:何か存在感のようなものやその背景にある人格、パーソナリティのようなものがあって、若い世代の人たちも、そのような背景に敏感なのだと思います。

居場所もそういうものに強くつながるようになってきていて、創ってみたいというクリエイティビティの前に、居場所や居心地の自由度が重要な要素になっていることが、デジタル空間の扱われ方をみていると良くわかります。

何を創り出すかということもあるのですが、だれに、どこに寄り添うかということも重要になっています。仕事場も含め組織についても似た感覚があるように思います。

吉水:居場所の話もそうですが、昔は就職というとやりがいや自己が満たされるという自己実現や承認欲求があったと思うのですが、特にハナコジュニア世代に顕著ですが、居場所感覚というのか、例えばオフィスがきれいだとか、人間関係がいいとか、お給料がそんなに高くなくてもよいから無理に働かせる残業のようなものがないとか、条件面の方を重視して仕事を選ぶ傾向が強くなっています。

池田:モチベーションとして創るということなら時間を忘れて没頭する。しかし、やらされている仕事に対してはモチベーションが沸かない。また、自由自在に扱えるものを好むのではなかいと思います。昔のロールプレイングゲームは、決められた方向に、例えば右からスタートすればずっと左にまっすぐに行くだけだった。

今のアプリは、どこからでも始められて、どちらの方向にでも行けて、逆に戻ることもでき、途中から始められて、途中でも止められて、終わりもない、決められた方向だけではない。そういうもの中に、自分のオリジナルなものを創りたいという感覚があるのではないかと思います。

松永:情報空間のこれからの進化がそうだと考えているのですが、背景情報の360°化というのがあります。自律的にふるまうシステムが目や耳を持ったかのように、周りの空間を認知しますので、情報空間内での移動の自由度が増し、背景情報の認知が自在になってくると、関心のある情報群の周りを自在に動くようになる。

自分の巣のある木の周りを自在に飛ぶ鳥のように、鳥にとっては、巣の入り口は木立の中に入ればよいので、360°どこからでも入って、どこからでも出てゆくことができます。

建築物では、金沢の21世紀美術館も、どこからでも入って、どこからでも出てゆくことができる、出入りが自在というコンセプトを選択しています。

このようなコンセプトは、随分以前になりますが、化粧品会社のトップクリエイターの方から、新世代のイメージのひとつとして示唆いただいたのですが、先見的で感受性の高い多くのアーティストが、多元的な宇宙観やインターネットの作り出す情報空間の新しい概念に影響を受けており、21世紀の実空間や情報空間の特徴として、このような出入り自由な構造概念を予見しています。

■情報空間の自己参画性と自由裁量性

吉水:自己参画性や自由裁量性のようなものが、自分でやっている感につながっているのでしょうね。

松永:デジタル空間が人間の知覚と、より密接に、さらに自在になると、自由に飛び回る鳥の目線のような感覚や感性が自然に求められ生まれてくるのではないかと思います。

鳥は、木の中の巣にどこからでも入りどこへでも出ていけるのですが、木の中に入ったら顔見知りの方が安心という特性もデジタル空間の中のデジタルパーソナリティを形成するひとつの大きな要因です。

以前、池田さんとのSNSの議論でもありましたが、フェイスブック、LINE、サロンとコミュニティがクローズド化していく傾向は、このような要因からも生まれてきているのではないかと考えています。

また、外から認知できる認識的な情報を多くの視点から捉えることができるようになると、文脈や暗黙的な感覚等の根本的な情報も生成されるようになります。これらは、視点の可動域が広くなるほど多元的に生成されます。

吉水:出入り自由に加え、社会の中での匿名性というのも興味のあるトピックスです。普通のコミュニティでは、相互監視の中で表現できないことでも、SNSでは、出入りの自由感に加えて、自分の名前を捨てることで、自由に表現することができます。

身近な人とでは話題にできないテーマで盛り上がることができる。それから、これはずっと流行っていますが、セレンディピティのような偶然の出会いが求められています。表参道のRaw Tokyoというフリーマーケットイベントがあるのですが、その日に皆が古着を持ち寄ってマルシェ状態になります。

デニムでも、人がはき古したものが高く売れることがあります。デニムについたしわが気に入って、はいてみたらサイズもぴったりで、自分が欲しかったダメージの感じがついている、そういう偶然性の出会いが今、好まれているのではないかと思います。それは、たまたま出会った自分だけのものになるのだと思います。

池田:それは、まさにクラウドファンディングで、西野亮廣さんがやっているのと似ていて、彼は以前、絵本のプロジェクトでお金を集めたのですが、その第二弾で、古本のプラットフォームを作ろうと声をかけています。

本は値段がどこでも同じですが、誰が売りに出した本かを明確にして、それによって値段が変わるようにしようという仕組みです。匿名ではなく、誰が読んでいた、愛用していたということに値段がつけることができます。

有名人が恩恵を受けやすいということはありますが、例えば、私が仕事で迷ったときに読む本というメッセージがつくことで、買い手にとってストーリーが生まれます。

松永:それが出会いの動機になるわけですね。

吉水:確かに、本をチェーン店の古本屋に持っていくと本当に二束三文ですよね。一冊、20円、30円になってしまう。本がかわいそうに思えることもあります。

松永:それは、収入にはならないけれど、20円、30円で扱われるものが、500円、1000円になることが、売り手にとっては、嬉しいんですね。

吉水:本を流通させようという人には、高値で売れることはモチベーションになるのではないかと思います。昔からの古本屋であれば、店主の目利き力で価値を査定してもらえるが、チェーン店では、10円、20円になってしまいます。

ネットの古本屋で、価値を一律にしない、愛着を持たれたものに新しい価値を持たそうとしているということだと思います。

松永:モノに反応しない無味乾燥とした世代のようにいわれながら、そういう価値に反応するのが面白いですね。愛着のあったものが二束三文になってしまうのが嫌なんですね。

この前、スポーツ自転車の部品のフリーマーケットが盛り上がるという話を聞いたのですが、自分で自転車を組み上げて乗る人たちが集まるそうです。

しばらく愛着を持って乗った自転車が飽きたとき、その自転車やその部品を捨てるのではなく、誰かに使ってもらいたい。それなりの値段がついて使い続けてもらうことが嬉しい。

飽きるというより、次のモノを経験したいのかもしれません、例えば、相手がお金を持たない学生であれば、安く譲ったりもする。それも楽しい。自転車の部品は使い続けることができ、身体の一部のように使うので愛着が生まれやすいのではないかと思います。セレンディピティと創発が同時にフリーマーケットでは生まれる。次世代のSNSをみるときの重要な視座だと思っています。

■メルカリ、ZOZOUSED、airClosetの活気

吉水:今、アパレル業界は、絶不調な状況にあるのですが、メルカリやZOZOUSEDやairCloset等には、活気があります。それぞれやり方が違っていて、メルカリは、売り手と買い手が直接交渉して、値段が決まります。

そのコミュニーションが楽しい人は、そこに行きます。一方、そこで値切られたり、相手に発送したりするのが面倒な人は、申し込めば箱を宅配業者が送ってきてくれて、その箱に売りたい服を詰めて発送すれば、査定してくれて値段がついて、すぐにお金が振り込まれるZOZOUSEDに行きます。

今まであったようなオークションサイトは、一週間ほど置いておかなければなりません。今の人たちは、何かを買うためには何かを捨てるという世代で、ある雑誌社の編集長が、今の人は、モノを買った時からモノを捨てることを考えていると言われていたのが印象的でした。

不要になってしまうモノを持ってしまうことに嫌悪感があって、不要になったときに誰かが引き取ってくれれば、誰かにとっては良いモノなので、罪悪感なく回せるという感覚があるのではないかと思います。

松永:社会的な価値観という点では、経済面も含め、フローという概念が言われてきましたが、インターネットの上にSNSが登場するようになると、フローイングというようにINGが付けられた価値観にシフトしているといわれています。

普段、英語を使うネイティブの人たちにとっては、SNSは、ソーシャルネットワークではなく、ソーシャルネットワーキングです。フローやネットワークではなく、流れている状態やつながる状態が生産されたり消費されたり消滅したりする状態そのものに価値がシフトしています。

池田:フローイングやソーシャルネットワーキングの中に、INGの価値が生まれるので、エアビーアンドビーやウーバーも、みんなのものという感覚があるのではないでしょうか。

松永:自分の手元になくてもいいんですね。

吉水:流れること自体に価値があるんですね。airClosetは、4点セットがスタイリストによって選ばれて送られてくる。気に入った服を着てクリーニングにも出さずに返却すると、次のセットがまたコーディネイトされて送られてくる仕組みで、ブランドは非公開なのですが、運営者側からするとブランドと顧客のマッチングなんですね。

松永:なぜ、ブランドが非公開なのに、ブランドとのマッチングなのですか?

吉水:プロモーションでやっているのです。顧客はコーディネイトされた4点を着ることになるので、今まで着たことのなかったブランドや自分では買わないブランドとの出会いが生まれます。とはいうものの、今の人は、ブランドに重きを置かないので、たまたま好きなコーディネイトだったり色だったりで選んでいることが多いのではないかと思いますが、そのような人たちに対しても、試すことで気に入ってもらえれば、次に買ってもらえるかもしれないということで、ブランド側は出品しています。

アースミュージック&エコロジーは、実店舗で売っているものをネットでレンタルしています。普通は、レンタルの事業が実店舗の売り上げを奪うと考えるのですが、それよりは、お客様に着てもらい出会ってもらう、有料のサンプリングのような考え方をしているのではないかと思います。

池田:出入り自由、フリーの潮流ということでは、海外のグラミー賞を取ったラッパーの人たちや日本でもゴールデンボンバーが楽曲を無料で提供したりしています。

漫画でも、普通は、スタート地点があってゴールがある、これからは、そうではなくて、どこからでも読めて、先ほどの360°のお話しのように、いろいろな物語が楽しめるような感覚のモノが求められていると言われていた編集者の方がいました。

■希薄になったクルマの所有欲求

松永:戦後、戦争のために生まれた全体主義がほどけて、個人主義に向かい、個人を大切にしようという時代の流れが始まりましたが、戦後が終わったといわれるようになってしばらくしてから、ふたを開けてみたら、個人が個人化ではなく孤立化してしまったと言われていた方がいました。

個人化して個性が生まれたのではなく、むしろ画一化されて、個人が孤立化しているという現況です。日本は、戦後、奇跡の経済成長を遂げましたが企業もある意味では全体主義で邁進し、24時間働けますかというCMも流行したこともありました。

そのような経済成長の中で、例えば、自動車を所有できれば、恋人を乗せて自由に旅ができるという、モノを所有する欲求やイメージが作られて存在していました。現在、その所有の欲求が初めからないと言われています。

池田:クルマを買えば、行きたいところに行けるという想いやイメージがその時代にはあったんですか。

吉水:それもありますし、クルマを買えるようになった自分や階段を登っている自分という感覚もあったのではないかと思います。

池田:クルマという商品によって、自由を所有するという面や自分を見せたいという面では、そのような欲求は今でも同じではないかと思います。

iPhoneでもテクノロジーで自分のしたいことをやるようになったということだと思いますし、また、やっていることをSNSにあげて皆から共感をもらいたいということだと思います。クルマがiPhoneに変わったということだと思います。

吉水:自分はこうゆう人間という表し方が、クルマからSNSという情報発信するものに変わったんですね。昔は、クルマは、スポーツタイプのクルマに乗っているのねとか、キャンプが好きなのねとか、その人のパーソナリティやライフスタイルを表すものでした。また、女子からみると経済力を表すものでもあり経済力指標としても機能していたのですが、今はその価値は消えてきているのではないかと思います。

松永:なぜ、経済力があることを表出する価値が薄くなっているのですか。

吉水:例えば、男性が600万円の年収を得て、女性が専業主婦よりも、共働きで300万円ずつの収入で暮らす方が、企業がどうなるかわからない今の時代では、確実にリスクヘッジできますし、500万円ずつ稼げば、さらに良い生活もできると思います。また、子供ができたり、どちらかが転職したり等々、ライフスタイルの変化についても柔軟に対応できます。

600:0や1000:0の場合は、稼ぐ人と家の中で働く人の役割がはっきり分かれています。団塊世代より上の世代の主婦は、主婦を主婦業という仕事だと思ってやっていました。

自分イコール主婦で、家族みんなのための役割を担うという感じです。ハナコ世代あたりから、主婦業は自分の一部で、他に、自分、母、妻と、自分を4分割くらいにして捉えます。ハナコ世代の子どもたちの世代(ハナコジュニア世代)は、ミーハーで消費を楽しむ母親を冷静に見ているのですが、母という役割に埋没せず自分を持っている母親を尊敬している面もあります。そのハナコ世代は、今、子育てが終わり、再び消費に向かっています。

■SNSの中の素顔、仲間で創る共益型の知

池田:一人の中に4つの役割を持つ母親というお話ですが、今、ロールモデルが多様化して十人十色になっています。例えば、アイドルといったら昔は、松田聖子さんとかその時代にミリオンヒットを出す人がその役割を担っていました。

しかし、少し前であれば、ベッキーとか、現在であればりゅうちぇるとか、マルチタレントと呼ばれる誰に対して好感度がある人たちが、アイドルの地位を担っています。それほどトンガってはいなくて、どの世代にも好感がある。今は、服をマーケティング的に着飾る人ではなく、服を脱いでいっている人、裸になれる人の方が好感度を作っていると言われています。

レディー・ガガが、LGBTの人たちが生きていきやすいように情報発信をしたり、本当にその人がやりたいようにやり生きたいように生きていることに共感が集まる時代だと言われています。

吉水:よくわかります。今は、嘘をついていない感じが重要なんですね。

松永:情報空間の方は、ブログからインタグラムへ移行したり等、まさにそうなっています。

吉水:ブロガーがリコメンするものをどうせステマでしょという感じや、不特定多数に発信するブログのときは、化粧を盛るということが許容されていたのですが、近くの人も含めて発信するインスタグラムになった途端、うそつき感が出てしまうので、盛りが減ったという研究もありました。

日本人の自分の演出の仕方は、独特で、微細なところにこだわりがあります。外国人からみると、日本の若い女性の化粧は、全く主張のない化粧にみえることもあります。一見、同じように見える地味な化粧でも、日本の女性の当事者間では、微細な違いを感じ取っていて、その中で自分を演出し好感度を作り出しています。

松永:インターネットは、皆の知をつくるために生まれた道具ですが、SNSの登場により、仲間の知をつくる道具に生まれ変わっています。

ホームページで情報を公開するのは、前者の皆の知です。みんなに公開するので、見知らぬ多くの人に見てもらうことを想定して情報発信されます。公益的とは、みんなにとってよいことという意味です。

一方、インスタグラムは、後者の共益的な知です。共益的とは仲間にとってよいことです。顔見知りも含めた仲間に情報発信をします。仲間うちに写真を展開するので、化粧の仕方でも情報の内容でも、リアルな本人像からかけ離れた写像がバーチャル空間側にあると信頼がなくなるから、化粧を盛るということがそこそこになっていくのではないでしょうか。

共益的な価値を提供するSNSのようなプラットフォームが登場すると、新しい価値観や世界観が生まれます。インターネットが出てきたときは、みんなの世界観が作られ、オープン化といわれました。なるべく多くの人に情報が行きわたることが価値になります。

インスタグラムのようなSNSの上の仕組みは、仲間の世界観を提供しますが、そこでは、グラニュラー化といって、その仲間の中で粒立つことが価値になります。グラニュラーとは、1グラム、2グラムのグラムと語源が同じで、粒立つことを意味します。SNS上ではその仲間の中で、自分が活き活きと粒立っているかどうかという価値の判断が生まれています。この仲間の価値は、五感によって判断されます。場の意味(sense)は、まさにコミュニティに参加した人たちの感覚によって、形成(making)されます。

そして、このような仲間の知は、どんどん変わっていく、動く知でもあります。また、その場所、つまり作られた空間が自分にとって快適かどうかで、入るのか出るのかが決まりますので、出入りも自由です。その空間の背景情報も感じ取って、気に入ればその場に居るし、嫌なら出ていく。

先ほど、アイドルの話が出ましたが、松田聖子さんは公益型で、りゅうちぇるさんは、共益型の空間をつくっているのではないかと思います。

大きな違いは、松田聖子さんはファンとの2項的関係で関係性が作られ、松田聖子さんが提供する歌という価値をファンが楽しむ関係性が強いのではないかと思いますが、りゅうちぇるさんの場合は、仲間との多項的関係の中で場が創られ、仲間で楽しむ雰囲気が価値化しているのではないかと思います。

メルカリやairClosetもそうですが、SNSの上で作られる仕組みは、共益型といっているのですが、仲間の基盤の上につくられているのが特徴です。新しい仲間が加わっていくと、さらに何か新しい価値が生まることを、創発的といっています。仲間との意味(sense)が創発的に形成(making)されます。仲間で創る場の意味は、仲間の五感で作られ、形を変え、多形化していきます。

池田:女子高生のインフルエンサーが集まって、一つのテーマをどのくらい多くの人に取り上げられるか、バスるかという競技のようなことをするインスタグラムの企画がありました。

私たちから見るとどれも同じに見えるのですが、彼女たちの目線でみると、大きく違っていました。インスタグラムは、ツイッターと違って、リツイートの機能がないので、一つの投稿でバスることができないので、一枚の写真ではなくて、自分の全体のアカウントの構成が見られたときのことを良く考えています。

インスタグラムのUIは3つずつ並んでいるので、信号機のように三色の写真で揃えてきれいにみせたり、ピンクの枠をつけたりと、その人たちなりの感覚にその人たちなりの意味がありました。このように、その人たちなりの目線でみるというのは、忘れがちな視点だと思いました。

■多形化する市場と多様化する個人

松永:SNSの世界では、このような状況が生まれていると思いますが、リアルの世界でどうなのでしょう。このようなふわふわと、しかも変わりながら、スーと流れていってしまうセンスメイキングの形が一つの特徴なのではないかと思います。

アドホックというのか、捉えようがないので、そのような世代の消費者が作り出している市場については、予測が立たず、マーケターは困惑しているのではないかと思います。線形のモデルや統計が全く使えないのではないかと思います。

池田:SNSからこのような流れが生まれていることが多いのではないかと思います。消費の世界でも、タレントが着た服がかわいいと爆発的に売れたり、SNSで流行ったスポットならきれいに写真が撮れるといってみんながそこに集まったり、CMや広告で、そこに行きましょうというより、個人の発信で動くというのが今起こっていることだと思います。

吉水:線形モデルや統計のような捉え方が典型的ですが、どちらも何らかの法則性を見出そうという癖があるのではないかと思います。偶発性とか自己参画性で動くものには、そのような手法では、予測が立たないのではないかと考えます。

松永:このように多様に形を変えながら変化する特徴を、多形化、ポリモルフィックといっているのですが、いろいろな人が集まっている状況を、今までのマーケティングでは点のように表していることが多かったのではないかと思います。

点の集まりから、平均や分散等の特徴からいろいろな分析をします。実は、この点は同質なものとして扱われ処理されています。ポリモルフィックの場合は、この点に固有性があると考えているのが特徴で、三人寄れば文殊の知恵といいますが、三人目が変われば、また、違ったものが生まれると考えます。

したがって、共益的な場に集まる人は、その目的や感覚が必ずしも同一ではなく、むしろ多様な人格が集まって、場が生まれているのではないかと思います。

電話の時代は、エンドツーエンド、つまり一対一で話すので、つまり、私と貴方という二者間の二人称の関係のコミュニケーションが行われていたと思います。

SNSの登場で、多様で自在な人格でのコミュニケーションの場が登場し、そこもかなり変わってきたのではないかと思います。

吉水:人が多様化しているといわれていますが、特にハナコジュニア世代以降は、個人の中でも多様化していて、自分の時間や相手に合わせた人格を使い分けながらコミュニケーションをとる時代になっていると考えています。

松永:自分の創出の仕方が多様になってきて、私とあなたという二人称の関係が大きく変わったのではないでしょうか。電話で話すというような一対一の二人称の関係は不在化しているような気もします。

吉水:そうですよね。今の人は、電話で話すのは実際に苦手だと思いますし、二人称の関係が世の中にも少なくなったのではないかと思います。

時折、上司と部下の二人でプロジェクトを組むこともあるのですが、あなたと私の関係になってしまうと、お互い息苦しいな、もう一人いないかなと言ったりすることもあります。

池田:なるほど、結婚でもそうなんですか。

吉水:今、男女2人だけの駆け落ちという概念がいつの間にかないですよね。今や、祝福される結婚しかしないのではないですか。どうしても好きだから、他を全て捨てて2人だけこの世界を飛び出すというのはないじゃないですか。

池田:結婚式場で、花嫁を奪いに行くような映画もあったのでは

吉水:今の若い人たちには、理解できない感覚の一つだと思います。そんな危険なこと、今しないよねという感じです。どこのコミュニティにも入らず、今たまたま好きなったその人とずっといるしかないわけでつらいと感じます。

ハナコジュニア世代が出てきたときに、若干、ネガティブな意味で、ペルソナという言葉を使い、複数の自己とか複数の仮面を持つ新しい世代という言い方をしたのですが、ペルソナという言葉は、パーソナリティという意味と仮面という意味の両面の意味があると言われた方がおり、そこから、自分があって、仮面があってもいいとポジティブに仮面をつけかえる世代と考えるようになりました。仮面をつけかえられるスキルこそ、今を生き抜く能力のような気がします。

松永:昔の日本の女性なら、皆、自分があって仮面があったのではないですか。

吉水:もっとセルフィッシュな感じです。昔の人のつけていた仮面とは、妻という仮面とか、母という仮面とか、仮面の顔が決まっていて、これとこれとこれをつけかえるしかないということだったのではないかと思います。

今は、仮面そのものを自分でカスタマイズできるので、逆にいうと、型にはまった仮面をつけろといわれると、息苦しくなるのだと思います。

松永:マーケティングの方では、パーソナリティを色分けして表すことが多いのではないかと思うのですが、SNSの情報空間を見ると、自分はこうだと認識していてあえて演じる人と、そうではなく自分が分からなくなっている人、つまり、パーソナリティの核のようなものが有る人と無い人がいるのではないかと思います。

後者の人は、そもそも、自分を理解しようとすることや、パーソナリティの核など有っても無くてもよいという感覚なのかもしれません。

池田:そうですね。自分は何をしたいんだろうとみんな探している感覚がありますよね。就職活動等でも、

吉水:自分探し感覚があるんでしょうか。団塊ジュニアくらいまでは、自分は本当は何をやりたいのか、今、自分が認識しているよりもっと素敵な自分がどこかにいるはずだと、自分探しをしていた世代のように映るのですが、ハナコジュニア以降は、自分なんて探したってそんな素敵な自分はいないと、いい意味である種の大人のあきらめが出てきた世代で、その都度、自分の居場所を探しているように思うのですが。

松永;SNSが広がって、その中でものごとを探すことが増えて、SNSのなかに潜ってしまっているようなところがあって、実空間の行動での自分探しのようなものが見えなくなってしまっているのではないかと思います。

また、情報空間の中は移動が自由なので、実空間が息苦しいのではないかとも思います。自分探しの行動が花嫁を獲得する等、実空間での行為の場合は、何かを獲得し所有したとしてもその結果、縛られることになるのであれば息苦しくなるという感覚が新しい世代に生まれているのではないかと思います。

リアルな世界でする自分探しと、りゅうちぇる世代の情報空間も含めた自分探しとは大きく異なっていると思います。

吉水:そうですね。花嫁を奪うとか、サッカーの中田英寿選手が自分探しで世界を放浪した行動が、新しい世代にはみんなとても古く感じたのではないかと思うんです。例えば、自分の居場所探しであったら、今日はここの家庭の奥さんをやってるけれど、明日は同窓会に出て元の自分の仲間と盛り上がって、明後日は、仕事場でこういうふうなことをやってるの、とまさに多形で局所最適だと思うのですが、その場その場の自分をいかにその場に最適化させるかということになると、自分にとってどう周囲を快適にするかということになっているではないかと思います。 

池田:全くそうだと思います。本当に。その場その場の自分をコミュニティの中で演じています。

松永:情報のつながりは、点と点を線で結んで表現されることが多いのですが、このような場でのつながりは線で引いてしまうと理解できなくなるのではないでしょうか。

水の波紋のようなイメージではないかと考えています。奥さんの自分と同窓会の自分と職場の自分が水の波紋のように広がる。

吉水:水の波紋というのがすごくやわらかくていい感じですね。しかも、その場で消えますよね。永続的ではない。

松永:INGの世界観、そしてそれが消えるというのが最近の気づきで、SNSの情報空間の中の特徴ではないかと感じます。

池田:いろいろな自分がいてコミュニティごとに顔が違う自分がいる。そして、どこかで気づいて、結局自分は何なんだろうと迷った人たちが、自分らしく「居る人」に魅かれていく流れが生まれているのだろうと思います。

松永:呼吸すると表現をすることもあるのですが、ふわっと広がって、かすかにつながり、あるいは重なり、ふっと消えていく。そこには、外へのコミュニケ―ションに意識や認知が向くときと、内に向けて自分は何なんだろうと意識や認知が向くときの両方があるのではないのでしょうか。

この二つの逆方向の働きかけやインタラクションが呼吸をするように繰り返しているようなイメージです。外に向くときを外挿、内に向くときを内挿と表現することもあります。

自分を外に向けて補間していくことと、内に向けて補間していくことの二つが、センスメイキングにはあると考えているのですが、この両方の意味付けができる場が情報空間の中に生まれたのではないかと思います。

SNSは、その場その場でふわっと波紋を広げ、そして自然に消えていくようなインタラクションが生まれやすい場ではないかと思います。

吉水:そうそう、アドホックネットワーキングなんですよね。

松永:アドホックなんですが、消えていく波紋も記憶には残ります。

吉水:アドホックであったとしても、それが積み重なることによって、この人とは気が合うとか信頼できるというコアな関係はできていくのではないかと思います。

松永:先ほど、上司と二人の関係で固定されてしまうと息苦しいという話がありましたが、その場その場の感覚でふわっと人間関係を構築できるSNS世代の人には一層、息苦しく感じるのではないかと思います。その場その場でふわっと波紋を広げて、人とインタラクションするのには、推測する力が必要で、アブダクション(仮説)を繰り返しているという捉え方もあります。

ふわっと広がりすっと消え、また広がる、これはこれで一体感がありますし、存在感も生まれます。

これを同じような意味で、見なしと表現する方もいて、見なしとは、仮にそうであると想定すること、そう思って見ることをいいます。また、麻雀をやられる方はよく使う言葉らしいのですが、その場その場に適応して対応する、手なりという表現をされた方もいます。

吉水:今の芸能界で受けている人というのは、みなこの手なり力がありますよね。何かそれもスキルのような気がします。当意即妙に答えることは、雛段の芸人の方にも求められているのではないかと思います。

松永:中心の人ばかりではなく、周辺の人にも、ふわっと波紋を広げる力が求められているということですね。

池田:なるほど。松田聖子は、歌を提供する人ですが、りゅうちぇるは波紋を広げる力のある存在なんですね。

■情報空間の中に写し出される人格、デジタルパーソナリティ

松永:SNSの登場により、人が認知できる情報空間が増大しかつ多様化して、そのような感覚が生まれてきているのではないかと思います。

インターネットは、当初PCをつなぎ、WEBサイトのような書き換えるまで変わらない情報を、PCを見ている人に向けて提供するプラットフォームでした。

スマフォが普及して、Eコマースからは、山ほどリコメンデーションが来ますし、SNSで多様なコミュニティにも参加できようになりました。仲間のコミュニティが生まれると、仲間同士でわいわいやっている内にいろいろな価値が生まれます。

それを創発と表現しています。また、出入り自由なSNSに自在に参加できるようになると、ネットの中に、個人やグループの人格のようなものがあぶり出されてきます。

デジタルパーソナリティと呼ぶこともあるのですが、リコメンデーションの仕組みでも、ネット上の個人やグループの嗜好をデジタルパーソナリティの一部として、コンピュータが捉えながら購買意欲を煽ります。

メディアは、今でも形を変えて、多様化を続けているのではないかと思います。テレビの時代は、番組を造っている人の知恵が一律に視聴者に届けられました。

その後、雑誌が出てきて、年齢、性別、嗜好等に合わせて、メディアが多様化します。マーケティングは、商品やサービスの多様性をバラエティーシーキングという形で消費者に提供しながら、ターゲティングをしながら購買意欲や納得感を作り出してきたのではないかと思います。

ある意味では、虚構であるのかも知れません。ところが、SNS時代の価値は、仲間による創発性から生まれます。

個人は、テレビや雑誌から情報を受け取るだけではなく、自分のパーソナリティをフェイスブックやLINEやインスタグラムに載せて、自分で情報を発信することも自在です。

「多様性」は、個人の中に生まれ、「内化」しているのが、この新しいデジタルメディアの時代の特徴です。

メディアやその時の気分に合わせて表出する多様な自分の人格は、デジタル空間上の仲間や出来事などの「関係性」を「認知」しながら、発信されることが多くなりました。

「関係性の認知」の痕跡も「仮想化」されたデジタル空間の中に残っています。自分の中の多様性もこのような仮想空間の内側でつながりながら、デジタル空間に仲間との「創発」が生まれています。

仲間との「センスメイキング」、意味付けや納得感のような創発的価値があふれている空間が、多くの人に支持されるSNSの空間になっているのではないかと思います。このようなプラットフォームがさらに進化し知能化していく時代になるのではないかと思います。

池田:今回は若者の特徴から、メディアの変遷、SNSでのコミュニティづくりなど、普段当たり前に行っていることを分析してみることで、視座が深まりました。話を聞いていて、SNSでつながったコミュニティから「場」が続々と生まれてきそうです。

また、改めてSNSネイティブの若者の感性を見てみると、いままさに変化し続けていると思います。例えば、自分がフォローしている有名人の子どもと友達の子どもの成長を同列に語っている特徴もあるかと思います。

さらに、誰かが話しているときにスマフォをいじっている風景をみますが、これは目の前にいる人とスマフォでやりとりしている「目の前にいない」人を、同じように親しく感じている証拠です。常時インターネットに接続して育った彼/彼女らからすれば、リアル・ネットは問わないのだと思います。

以前、話した若者は、「インスタグラムはムードを知れて、ツイッターやフェイスブックは出来事に対する意見を知れて、グーグルなどの検索エンジンでは定義を知れる。顔の見えない人が決めた定義を知りたいのではなく、ムードを知りたいからインスタグラムで検索する」と答えました。

若者たちがSNSで居心地の良い空間をつくりだす背景には、インスタグラムがムードで共感を集めることができるからだと思いました。

本日はどうもありがとうございました。


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