質問2、女性や子供、老人、障害を持つ方々への支援はどのようにされているのかを見てきてほしいです。
3日間、瓦礫除去の作業をしていたので、具体的に活動を見にいくことは出来なかったのですが、オンザロードの活動の中では、保育園の設置や、高齢の方へのマッサージ、簡易風呂の設営等の支援を行っているそうです。
答えにならないかもしれませんが、私が今回一番印象的だったことは、町は瓦礫に囲まれていながらも平静を取り戻しつつあるということです。
学校は窓ガラスが割れたまま再開しているそうですし、子供たちは瓦礫の山の前で元気に笑って縄跳びをしていました。
現地に住む方から「もう僕らはこの状況を楽しんじゃっているから」「良かったらいつでも家に遊びにおいで」と瓦礫の中の家に招待してくれたりと、見た目の深刻さとは裏腹に被災者の方は元気です。
被災者の方のお宅を回っていて一番言われたのが「片づけたくても男手が足りない」という言葉。
「仏壇だけ動かしてくれない?」
「冷蔵庫だけ片づけてくれない?」
「納屋動かしたいんだけど…」と、頼まれることは大体、女性や高齢の方だけでは対応できないことばかり。
それを片づけてあげると「息子は仕事に行っちゃってるからねぇ」と、会話が始まります。
若者が少なくなっている町で、ボランティアの若者が現地に入って元気に活動することは、それだけでも十分、子供や女性、老人への支援になっているのだと思います。
質問3、この前北里の学生と会い、他の学生の被災地での動きが気になります。大きいものより、かゆいところに手が届いているような地道な活動をむしろ知りたいです!
「かゆいところに手が届いている地道な活動」の例としては、医療係の仕事をしている方の「マッサージ」や、美容師さんの「ヘアーカット」、音楽が出来る人の「演奏会」など、ボランティアに来る方の多種多様な技能を活かした活動がありました。
渡波地区に関して言えば物資は十分足りているので、配給を貰って生活していくことに何ら問題はありません。
ですが、これから必要になってくるのは「今まで日常にあった生活」を取り戻すことです。
そういう意味で、散髪で気持ちを切り替えたり、音楽を聴いてお酒を飲んでリラックスしたりする時間が必要になってくるはずです。
自分の特殊技能を活かすことが「かゆいところに手の届く」活動につながるのではないでしょうか。
以上3点、分かる範囲で質問に答えさせていただきました。
映像を撮ってきたので以下に載せます。(クリックすると別ウィンドウで見れます。)
車から撮っているので映像は悪いですが、写真よりも伝わると思います。
津波の被害を前にすると、人間の存在の小ささを感じざるを得ません。
でも、だからこそ感じるのは一人一人の力の大切さ。
現地で作業をしていると、「遠くから来てくれてありがとう」とコーヒーなどの差し入れを頂きます。
「明るくしてなきゃやってられないよ。」
垣間見られる本音に、こちらからも自然と「手伝わせてくれてありがとう」という気持ちが出てきます。
現実は重く被害は甚大ですが、そこにあるのはボランティアの若者と住民の「ありがとう」の連鎖。
お墓の中から出てくる魚の死骸。
腐って異臭を放つ畳。
思い出の詰まったアルバムは海水につかり、
悲しい別れも多くあったそうです。
それでも、笑っている被災者の方。
休まずに働き続けるボランティアの若者。
人間の弱さと強さ。
絶望と、その先にある希望を五感で感じてきました。
被災地のために、一人一人の力は間違いなく必要です。
時間があるなら、まずは行ってみて体を動かすことをお勧め。
自分のためにも大事な経験になるはずです。
何か他に質問があればコメントをください。
出来る限りお答えします。 (オルタナS鈴木純)