「奇想天外旅コラム」では、世界中を旅している若者がその土地で感じたありのままの想いを特集しています。今回は、ラダックに旅している武士雄飛さん(23)に寄稿してもらいました。前編・中編・後編の3部作のうち、前編を紹介します。




元々は緑色であったであろう薄茶色のシーツの上に横たわる。鼻に酸素を送る為の管を入れ込まれ、乱暴に左腕に注射を打たれた。激しい頭痛と吐き気、高熱による節々の痛み、鼻に送られる酸素を感じながら静かとは言えない病室で浅い眠りに落ちた。

念願であったラダック入りは、インフルエンザのような症状を伴い実現した。ここは、ラダックのレー。標高3500mの街。ラダックの旅の始まりは、高山病にノックアウトされるところから始まった。

青々とした空が広がるラダック


インド入りしてから8日間を費やし、ようやくレーまで辿り着いた。デリーからインド入りし、ヨガのふるさとレシュケシュへと向かった。その後、チベット文化の中心地でありダライ・ラマも住む街ダラムシャラへ。

そこからはレーへ向かうためにひとまずマナーリーへ。そしてマナーリーからバスで18時間かけてレーへと向かう訳だが、この道程が険しい。

5000m級の山を3つ越えて行かなければならない。高山病を舐めていた訳ではなかった。『食べる酸素』なるものを日本から用意し、マナーリーを出るあたりから計画的に摂取していた。

酸素ボンベも持参していた。舗装されていない道も多いので車は揺れに揺れるのだが、そんな道程を走るバスにはお陰様で世界中で鍛えられたのでそれほど苦ではなかった。

夜中の2時にバスは走り出し、最初は景色を楽しむ余裕すらあった。月明かりに照らされる山々や雪山の美しさは神秘的で、乗り合わせた皆が息を呑むのが分かるほどだった。

月もいつも以上に近くに感じられる。しかし、ふと窓から車輪の辺りを眺めると、タイヤのすぐ横は崖、もちろんガードレールなどない。崖と1mくらいの間隔を保ちつつ猛スピードでバスは走り抜ける。

ゾッとするシチュエーションだ。無宗教の僕も空想上の神に手を合わせてみる。ダラムシャラでチベット人と共にマニ車を回したことが思い出されたので、頭の中で『マニ、マニ』と唱えたりもしてみた。そんな内に眠りに落ちていた。

何度も激しい揺れで目を覚ましつつ、睡魔に襲われ眠りつつ。そんな状況が6時間続き、ようやくバスは停車した。朝食休憩のようだ。車外へ出ると、秋風のような涼しげな気持ちの良い風が吹き抜けると同時に、ジリジリと肌を焼き付けてくる強烈な紫外線が襲いかかってくる。

この休憩場所の標高がどれくらいなのかは知らないが、照り付ける紫外線の強さから相当な高山なのだと感じた。そして、紺碧の空と茶色い山々とのコントラストが束の間の疲れを癒してくれた。

休憩を終えると、再びバスは猛スピードで走り出す。次はお昼までノンストップだ。睡眠時間がまだまだ十分ではない乗客たちは、揺れに合わせて寝たり起きたりの繰り返しである。

僕もその繰り返しであったが、ある時から頭が痛いのが理由で目が覚めるようになった。後頭部と側頭部をカナヅチで殴られたような痛みがする。いよいよ高山病とのご対面か、と食べる酸素を口にして気を紛らわせた。

標高も標高だし、頭痛くらいは想定内であった。頭痛の痛みとは反対に、まだまだ気持ちは軽かった。浅い眠りの中、突然バスが泊まった。乗客は皆降りるように言われる。

どうやらパンクのようだ。突き抜けるような真っ青な空の下で僕らは待機することを余儀なくされた。そのこと自体は悪いことではなかった。綺麗すぎるほどの景色にカメラを向けることも出来るし、しばしバスの揺れから開放される訳だから。

でも、そのときから新たな異変が表れていた。吐き気だ。頭痛にプラスで吐き気まで始まった。いよいよ高山病の本格的なお出ましである。その後、バスは再び走り出しお昼休憩の場所で止まったが、もうバスから降りることも不可能になり、シートに横たわった。

もしも用の酸素ボンベも登場し、節々の痛みと高熱も伴い、もう完全にノックアウトであった。そこからレーまでの6時間は、景色を楽しむ余裕も、乗り合わせた欧米人の気遣いに応える余裕もなく、地獄のようであった。

天にこんなにも近い場所で、地獄を感じるなんてなんとも皮肉な経験だな、と意識が遠のく中でひとり苦笑いをした。(寄稿・武士雄飛)