今年、新卒で中古自動車販売会社に入社した大橋衛さん(23)は、10月12日、東京を離れ半年間、岩手県陸前高田市広田町へ行く。「今だからこそできることがしたい」という判断軸で選んだ決断である。

お世話になっている広田町の漁師と写る大橋さん(写真左)


この進路を選択した背景には働いていた会社での価値観の違いがある。大橋さんが配属された部署では、知り合いに中古車を売るということを強制されていた。

「車を販売するということに関しては、違和感を感じていなかったが、営業先が知り合い限定ということに関しては、違和感を感じていた」と、大橋さんは話す。

退職してからの進路は悩んだという。復興地へ行く他にも、教育関係の仕事をしたいと思っていたので、転職活動をすることや、体育の教員免許取得へ向けて勉強し直すなど、様々な選択肢を考えたという。

決め手になったのは、「今しかできないことがしたい」という判断軸を持ったことと、「とにかく動かなければ始まらない」という意思である。多くの友人に相談し、普段読まないビジネス書も読んでみたが、「待っていても何も起きない。結局は自分で決めるしかない」と実感したのだ。

大橋さんは学生時代から復興支援に関わっていた。復興支援団体SETのメンバーとして、岩手県陸前高田市広田町を拠点に支援活動を継続して行ってきた。2011年4月から広田町に入り、これまでに、10回ほど現地に通っている。

広田町に行く事を後押しした人物として、三井俊介さん(23)の存在もある。三井さんも同じ復興支援団体に所属し、昨年、法政大学を卒業し、広田町へ移住していた。大橋さんが、(広田町へ)行きたい気持ちはあるが、お金の面などで迷惑がかかるかもしれないとの旨を伝えると、「お金のことは気にするな。ここで一緒に作ればいい」と話してくれたという。

広田町の人口は約3600人。そのうちの半分は60歳以上である。大橋さんと同世代にあたる20代〜30代は、わずか100人しかいない。町で生まれた若者は、漁業や農家を継ぐ事を選ばずに、働き先を求めて市街地に出ていってしまうのだ。

大橋さんに広田町に行って何がしたいのかと聞くと、「まだ何も決まっていない」と答える。「ただ、今しかできないことがあると思うから、行ってあがいてみたい」と話す。

具体的な予定はまだ未定だが、先に移住して復興支援に関わっている三井さんの活動を手伝いながら暮らしていく。とりあえず、半年間広田町で暮らし、それから体育の教員免許試験を受けるかどうか考えるという。

予定は決まっていないが、大橋さんは悩みながらではなく、ふっきれたかのようにこう話す。「人と人をつなげることがしたい。広田町の人が温かく迎えてくれているので、俺にできる範囲で、全力で復興をサポートする。数年後、広田町の人が全員俺の事を知ってくれればいいな」

価値観の違いによる就職のミスマッチは今や社会問題となっている。大卒者の3割は3年以内に離職する。しかし、この数字はあくまで一般的な数字に過ぎない。短期間で離職率60%を超えるなど、大量に離職者を輩出する会社や部署もある。

社会貢献思考を持つ若者の価値観と、利益を追求する会社の価値観。大橋さんの選択は一例ではあるが、「働く」ということは何かと社会に問いかける。(オルタナS副編集長=池田真隆)


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