今年7月、福島県いわき市で第一回目となる水風船大会が開催された。いわき市と聞くと、一昨年の震災が真っ先に頭に浮かぶ人も多いであろう。そのいわき市を、水風船大会の聖地にしようと活動している人たちがいる。水風船大会実行委員会の西本紗也香さんと、塩谷光高さんだ。

「大人が笑顔になれるものを作りたいと思った」と塩谷さん。震災後、西本さんと塩谷さんは仲間と一緒に何度も被災地へ足を運び、ボランティア活動をしてきた。西本さんは以前から水風船に興味を持っていた。塩谷さんに「水風船大会をやりたい」と伝えた事が全ての始まりだ。

第一回水風船大会では、16チームが参加した (撮影=鴻池治郎氏)


いわき市に足を運んでほしい

「野球なら甲子園、ラグビーなら花園、いわき市を水風船の聖地にしたい」と語る塩谷さん。

「ボランティアだと非日常のでき事かもしれませんが、ピクニックに行くような感じで各地から足を運んでもらいたい。訪れるきっかけを作っていかないと、なかなか変わっていかないから」と西本さんは言う。

ボランティアの数は段々減ってきているという。復興していく一方で、足を運ぶ人が減ってきているのだ。

「被災者とボランティア」ではなく「人と人」

ボランティアをしていると、どうしても「被災者とボランティア」という肩書きができてしまっているのを感じるという。「水風船大会を通して、一つの「チーム」になれば、肩書きを忘れ、お互い『人と人」として接する事ができる』と西本さんは語る。

7月に行われた第一回水風船大会では16チームが参加し、現地の人だけではなく、東京や新潟、茨城からも集まった。普段ボランティアで被災地に足を運ばない人にも声を掛けたところ、スポーツだと興味を持ってもらえたのだ。参加者の中には、ボランティアに熱心な人たちと出会い、心を動かされた人もいたという。

第一回水風船大会は大成功に終わった (撮影=鴻池治郎氏)


老若男女問わずできるということも、水風船大会を企画した大きな理由だ。ものによっては、男女一緒にできないものや、年齢の偏りが大きく出てしまうスポーツもある。

しかしこの水風船大会は、中学生以上であれば大きな力の差も出ないため、男女一緒にでき、様々な年齢の方に楽しんでもらえるという。

水風船大会実行委員会は今後、「水風戦協会」(一般社団法人申請中)として運営していく予定だ。今回話を伺った二人を含め、みんな自分の仕事を持ちながら活動している。一人では大きな事は難しいかもしれない。しかしその一人ひとりの力がなくては、大きな力には成り得ないだろう。

彼らは、「自分にも何かができる」ということを、証明しているのだ。

左から、塩谷光高さん、西本紗也香さん


第二回水風船大会の開催

前回の大会が大成功に終わり、大きな土台を作ることができた。そして第二回目の水風船大会が、11月4日に相馬市で開催される。

開催場所が、県に指定されている史跡でやるというから興味深い。相馬市役所からの協力を得て、相馬藩が築城した城のお堀の中でやるという。相馬市は野間追い発祥の地。

「演出も合戦風にし、参加者だけでなく、見に来てくれた人も楽しめるものにしたい」と塩谷さんは言う。

今回は、相馬市に被災した工場を持つ、米化学大手の関連会社からも協力を得ている。いわき市での大会を知り、「相馬市でやって欲しい」と声を掛けてくれたのだ。

「発祥の地はいわき市。色々な場所で開催し、決勝戦などをいわき市でやっていきたい」と話す。先にある目標は水風船の全国大会、そしていずれは世界大会を作ることだ。そうして、発祥の地であるいわき市に、大勢の人が足を運んでもらう事を願っている。

11月4日に相馬市で行われる第二回水風船大会は、参加者を募集中だ。1グループ5名とし、参加費は一人千円。それ以外のルール、申し込みの受付はホームページに詳しく記載されている。

ボランティアでがれき撤去などをしてきた人々が今、被災地に笑顔を増やそうと動き始めた。これは長い時間をかけての一つのプロジェクトである。「いわき市と言えば水風船大会」という言葉が、そう遠くない未来で聞けるかもしれない。そして私たちの一歩が、その未来を近くすることだろう。笑顔の連鎖を信じ、これからも水風船大会を見守っていきたい。(オルタナ編集部員=大森清香)