タイトル:電園復耕~大通りからそれて楽しく我が道を歩こう

なぜ人を押しのけて狭き門に殺到するのか?自分を愛し迎えてくれる人たちとの人生になぜ背いて生きるのか?
この書き下ろしは、リクルートスーツの諸君に自分の人生を自分で歩み出してもらうために書いた若者のためのお伽話である。(作・吉田愛一郎)

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◆新チーム発足

東西大学は野球では少し知られた大学だったが、アメリカンフットボールで知る人は殆ど居なかった弱小チームだった。ダンが彼らと初めて会ったのは、小田急線の沿線のキャンパスにあるグランドだった。駅を降りて桜並木をかなり歩いて大学のキャンパスに入り、また桜並木を歩くと金網に囲まれたグランドに出た。グランドは土で、芝生は生えていなかった。例の大学の職員がグランドの入り口に待っていた。そして金網の戸を引いてダンを中に誘って小さなスタンドの前に連れて行った。スタンドの前には選手が整列していた。

選手たちはダンを知って尊敬の思いを顔に出していたが、ダンは選手たちを見て失望した。まず人数が30人ほどで少なすぎた。さらにその30人も一目見ただけでその体つきは身体能力の無さを露呈していた。中には一般学生と比べても見劣りのする体格の者も数名混じっていた。ダンは挨拶もそこそこにに彼らに向って言った。
「5名ずつに分かれて50ヤードを走ってみて下さい」

上級生から5人ずつ走った。変な癖を持った走り方をする者、ひ弱な走りをする者が多かったが4年生と3年生と1年生に一人づつ脚力のある者がいた。4年生と3年生は既にチームのランニングバックとして活躍していた選手だったのでダンは入部したての1年生の方を呼んで「君は高校の時どんなスポーツをしてたの?」と聞くと地方の高校の陸上部にいて県では3本の指に入る100メールの選手だったと言った。

次に「ボールを投げたり受けたりしてください」と言った。ボールは6個しかなかったからバラバラに散らばった選手たちはバラバラにボールを投げたり受け取ったりしていた。ボールを投げられない者も多くいたが、これは問題ない。フットボールはボールを投げるものはQB(クオーターバック)と言って一人だけなのだ。フットボールは紡錘形をしているので、ベースボールの様にボールを縦に回転させて投げるのではない。ボールはライフルの弾丸が螺旋を切るように飛ぶのである。2人ほど目立った選手がいた。

一人は4年生のレギュラーQBだったが、もう一人は二年生であまり手にボールが馴染んではいなかったが、ボールは遠くまで飛んだ。彼はやり投げの選手だった。大学の陸上部のやり投げの選手としては通用するレベルではないらしいが、フットボールはやり投げの金属製の槍先のようにスピンしながら綺麗な弧を描いた。

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