勇気とは「恐るべきものと恐るべからざるものとを識別すること」――プラトン

今年の夏の終わり。生活から色彩が無くなった。それまでの楽しみや、嬉しさが消えてなくなり、思い煩いの海に沈んだ。大学を退学して、島根県津和野町という過疎地域で課題解決のために奔走して1年半。少しの歯車の狂いで、全速力で駆け抜けていた自分はいとも簡単に崩れ落ちた。

寝る間も削って津和野の将来を思い煩い、行動するも、思うように成果が出ない中で、自分の役割を、存在意義を、生きる意味を問うた。「本当に、自分のような人間が、津和野に居ていいのか」――そう何度も問うようになった。

津和野では高校生と関わり、教育の魅力化に取り組んでいる。高校生と人生や働き方、将来について対話する中で、彼らの目の色が変わり、「福井さんのようになって、この町に帰ってきます」という子たちまで現れた。

無我夢中で走っている時には、こういった言葉が自分を支えていたが、ひとたび歯車が狂うとそんな言葉すら重圧に感じるようになった。

「あなたは、あなたのままでいい。ありのままで、いなさい」

覇気を失っていた私を見かねて、私のパートナーが掛けてくれた言葉。ありのまま。条件付きで承認されることが多い世の中であると気付いた。

「学歴」があるから、「活動経験」があるから、「できること」があるから、認められる、採用される、愛される。そこでは、誰もが代替可能な存在となってしまう。「あなた」でなくても、条件を満たせば「誰でも」良い。

それは、条件を満たさなければ、承認されないということ。そんな関係性の中に身を晒すことに疲れきっていたところに、彼女の言葉が染み渡った。

自分が認められるだろうか、自分が必要とされるだろうか、自分にどんな価値があるのだろうか。そんなことは、思い煩うことではない。恐れることではない。

津和野町で活動する福井さん

恐れず、全てを委ね、「あなた」が「あなたらしく」いることが大切。思い煩いをせず、委ねきった先に、素朴に自分自身と向き合う勇気。

そんな、小さな勇気と出逢った夏であった。


思い悩まず、恐れず、少しずつ委ね、祈りながら、
愛に満ちた人間関係に溢れる社会をつくる手伝いがしたいと、生きる日々です。

神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。(ペテロの第一の手紙 5章8節より)
(寄稿・福井健)


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